特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

TBS『報道特集』と映画『パリ13区』

 楽しい楽しいゴールデンウィーク。ボクの休日はカレンダー通りなので、今日は出社です。でも1日行けばお休みですから、寂しくなんかありません(笑)。
 3連休が2回と言っても大して長い休みでもないし、まとまって何かをしようという感じでもない(自分が悪いのですが)。ああ、1年中ゴールデンウィークだったら良いのに。
北参道のレティエで今年最後の🍓ソフト。牛さんのクッキーが載ってます(この店は実家の牧場のミルクを使用)。


 土曜日のTBS『報道特集は考えさせられる特集でした。前半はウクライナ情勢、戦争で石油や小麦の価格が上がると貧しい人たちへ皺寄せが行くというお話。

 後半はちょうど今の時期 飛び立っていった特攻隊のパイロットたち、特に学徒動員で駆り出された学生たちを振り返るものでした。見ていて胸が痛くなった。

 彼らは政府のプロパガンダに載せられたというより、日本という国の非道性を理解しつつも自ら死を選らばざるを得ませんでした。 

 番組で作家の保坂正康氏は、国家に死を強要された特攻隊のパイロットたちは『時代に生きるのではなく、歴史の一部として生きることを選んだ』と表現していました。

 死を強要する大日本帝国に納得して特攻に行ったのではなく、歴史という大きな文脈の中で自分の死を位置づけることによって自らを納得させた、というわけです。折しも彼らの多くが飛び立ったのは桜の花が咲き誇っている時期。残酷な話です。

 ウクライナの戦争と特攻隊、番組で並列に取り上げたことには大きな意味があると思いました。戦争による『死』を美化してはならないと思うからです。

 死を覚悟しても歴史の中で生きようとしている、のはウクライナで戦っている人も特攻隊の人たちも同じだと思います。
 ただウクライナでの戦いは特攻隊のような死を前提とした作戦ではないし、そもそもがロシアによる侵略戦争です。たとえ降参してもロシアは住民を殺したり、シベリア送りにしたり、子供を連行したり、性犯罪を起こしているのも違います。武器があるのなら戦わざるを得ないかもしれない。

 ウクライナで戦っている人たちの多くは国に強制されているのではなく自発的に銃を取っているでしょう。郷里や知り合いを守りたいという愛郷心パトリオティズム)に基づいているだけではないか、と想像しています。大日本帝国侵略戦争を起こし、個人に死を強要した太平洋戦争とは根本的に異なる。
靖国で売っている『特攻の母の玉子丼』だそうです(怒)。特攻隊を美化して商売している奴って百田尚樹も含めて地獄へ落ちろ。

 侵略者相手に戦うことによって、ウクライナの人たちはウクライナという国の物語を編んでいる。ゼレンスキー大統領がドキュメンタリーで言っていたように、『侵略者相手に断固として戦った記憶がウクライナの子供たちの将来を切り開く大きな助けになる』というのは真理ではある。

 ボク自身は『パトリオティズム』にしろ、『国民国家』というものにしろ、あまり肯定的に捉えられない面もあります。
 が、『国民国家』が前世紀の遺物であったとしても社会を繋ぐ紐帯が他にないのなら仕方がありません。国民が自ら編んだ物語による社会の統合はロシアの奴隷になるよりマシでしょう。スターリンウクライナ人を1000万人近く餓死させてからまだ100年も経っていません。
 

 『戦争はダメ、殺すな』という普遍的な平和主義で物事を割り切れれば、どんなにか良いかと思います。しかし現実はそんなに単純ではありません
 実際 プーチンのように武器を持って殺戮を繰り返している奴が存在している。『殺すな』という呼びかけは続けるにしても、その言葉が説得力を持つでしょうか?ボクはそうは思いません。ガンジー公民権運動の非暴力だって計算ずく、『当時の状況では暴力より有効な手段と判断したから』行われていたわけです。
●かってイラク侵攻に反対したロック・ミュージシャンのパティ・スミススザンヌ・ヴェガウクライナ『軍』支援のためのチャリティ・コンサートに出演したそうです。
www.nikkei.com

 ウクライナの人にしろ、ロシアの人にしろ、多くの人が犠牲になる戦争なんて全く馬鹿げています。死は美化してはならない。しかし馬鹿げていても戦争を止めるための戦争だったら肯定しなくてはならない時もあります。その方がマシだからです。

 仕事が典型ですが、現実の世界では『正しさ』ではなく『どちらがマシか』で判断しなければならないことも多々あります
 日本の戦後リベラルがどんどん凋落しているのもそんなことすら判らない、現実離れした輩があまりにも多いから、でしょう。改憲の道を一歩一歩進めているのは安倍晋三みたいなバカウヨより、そういうお花畑な連中、例えば想田和弘のような連中かもしれません。


 と、いうことで、新宿で『パリ13区

 舞台はパリ、13区。エリート校を卒業したにもかかわらず、コールセンターで働きながら無為に過ごしている台湾系フランス人のエミリー(ルーシー・チャン)は、ルームメイトの募集広告を見てやってきたアフリカ系フランス人の高校教師カミーユ(マキタ・サンバ)と関係を持つ。一方、ボルドー地域で暮らしていたがソルボンヌ大学の法科に復学した32歳のノラ(ノエミ・メルラン)は大学になじめず、不動産会社に勤めることになる。彼女は、その会社を手伝っていたカミーユと出会うが。

 監督は『ディーパンの闘い』でカンヌのグランプリを取ったジャック・オディヤール。それより脚本が、2年前、本当に素晴らしかった『燃ゆる女の肖像』の監督のセリーヌ・シアマ、ということで見に行った映画です。

 この人は名作『ぼくの名前はズッキーニ』でも脚本を書いている人で、関わっていたら絶対見に行かざるを得ない。


 パリ13区というのはアジア系など多様な人種が住んでいて、再開発も進んでいる地域だそうです。認知症の祖母が所有するアパートを借りて暮らす台湾系のエミリー、そのルームシェア相手のアフリカ系の高校教師カミーユ、法律の勉強を再開するためソルボンヌ大に復学するノラ。そしてノラが見間違われることとなるネット上の風俗嬢、アンバー・スウィート。映画では男女4人の関係が描かれます。

●中国系のエミリー

 エミリーはマクロンやオランド、シラクなどを輩出したエリート校、パリ政治学院を卒業したにも関わらず、コールセンターで適当に働いて、適当に過ごしている。彼女は収入の足しにしようとルームシェア相手を募集します。そこへやってきたのが高校教師のカミーユ。エミリーは彼と直ぐ関係を持ちますが、2週間も経つとうまくいかなくなり、ルームシェアも簡単に解消されてしまう。

●エミリーとアフリカ系の高校教師、カミーユ(右)

 ノラは32歳。地方で働いていましたが、学位を取ろうとソルボンヌの法科へ復学したところ。ここいら辺は日本とは違いますよね。地方から都会へやってきた彼女は気分転換にウィッグをつけて変装、クラブへ出かけますが、ネット上で有名な風俗嬢、アンバーと間違われ、その噂が学校へ広まって学校にも居づらくなります。

ボルドー暮らしを切り上げてソルボンヌ大に復学した32歳のノラ

 不動産会社で働くことにしたノラは、その会社にいたカミーユと出会います。カミーユと付き合うことになったノラですが、うまくいかない。彼女はネット上でアンバーに声をかけ、悩みを打ち明けるようになります。
●ネット上のポルノスター、アンバー。ウィッグを被ってクラブへ出かけたノラは彼女に間違えられたことから、友人になります。

 全編白黒で描かれた、古典的にも見える映画です。しかし分割された画面や、前衛的なエレクトロ音楽など現代的な手法を使いながら、マッチングアプリやネット上のセックス、異性、同性を問わないカジュアルな性関係など、多民族が暮らす現代パリの若者たちの恋愛や性的関係を描いています。

 登場人物たちは30そこそこ、子供ではありません。だけど大人にもなり切れていない。

 カミーユもエミリーもノラも自由に生きているように見えて、自分に嘘をついている。それどころか、性格もどこか欠落している。あまり共感できるような人たちではありません。一番まともなのがネット上のポルノスターのアンバー、というのが如何にも、という感じです。

 性的な関係を結んでも分かり合えない者同士で唯一、分かり合えるのがネット上で知り合ったアンバーとノラ、しかも同性、というのが実に皮肉が効いています。

●左からエミリー、ノラ、カミーユ

 共感できない登場人物たちですが、ツンデレで死ぬほど性格が悪いエミリーはボクは凄く良かった(笑)。

 ノラ役のノエミ・メルランは脚本を書いたセリーヌ・シアマの『燃ゆる女の肖像』にも出ていましたが、殆ど同じキャラクターなのは笑いました。この人はセリーヌ・シアマの彼女だそうですが。

 カッコいい画面と音楽、時折挿入される美しい画面、スタイリッシュな映画です。このスタイリッシュさはボクは好き。
 監督はコメディと言っていますが、あまりコメディぽくは見えなかった。この作品はエリック・ロメールの『モード家の一夜』へのオマージュとも言われていますが、確かに似ている部分があります。人と人との距離を容赦なく見せつけてくる。

 若い登場人物たちはセックスやテクノロジーを使って他者とのつながりを模索し続けます。時代が変わっても人間がつながりを求めるのは変わらない、とでも言っているかのようです。だけど、どんなに時間を費やしても、テクノロジーを使っても、孤独、という病は癒せません。

 

 そんなに重くない、お洒落で皮肉を利かせながら現代を切り取った作品。すごく共感できるとか、深く感動するような感じではないけれど、多様な視点が当たり前になった世界に生きていく人間には、ちょっとした心の養分になるお話です。

www.youtube.com