特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

余韻が深く、長く、心に残る:映画『ドライブ・マイ・カー』

 緊急事態宣言が解除されたということで、街には大勢人が出てるみたいですね。ボクはこの週末も静かに過ごしましたけど。
 感染が減るのは嬉しいですが、宴会や会食を再開するのは勘弁してほしいなあ。そういうのをやりたくてウズウズしてる連中が一杯います。
 まだまだ感染のリスクが無くなったわけではありませんし、ボク自身 徒歩圏内だけで暮らして極力人と会わない生活にすっかり慣れてしまいました(笑)。コロナ禍でますます人間と接触するのに違和感を感じるようになってしまった。特に宴会とか会食とか、とにかく話題が続きません。苦痛です。
 もちろん経済が回らないのは困りますけど、そういうものはやりたい奴だけでやって欲しいですよ(泣)。
●朝陽が昇るのも、もう秋の空。

 それにしても選挙、ですか~。とうとう国会でのまともな議論は行われなかった。岸田はG20も欠席するそうですし、コロナ対策も国民の暮らしも政治家には関係ないってことですかね。
 そんな政治家を選んでしまったのは国民なんですから、自分で自分のやったことに落とし前はつけなくてはいけませんね、選挙で。


 ということで、六本木で映画『ドライブ・マイ・カー
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 脚本家の妻(霧島れいか)と幸せな日々を過ごしていた舞台俳優兼演出家の家福(西島秀俊)。ある日 家福が外出する際に妻から『今晩帰宅したら大事な話がある』と告げられるが、その夜 帰宅した家福の前には急死した妻の姿があった。2年後、家福はアジア各国の俳優を招いた演劇祭で演出を担当することになり、愛車のサーブで会場の広島に向かう。演劇祭の規定で専属ドライバーを付けられた家福は、口数が極端に少ないドライバーの渡利みさき(三浦透子)と時間を共有するうちに悠介は、それまで自分が目を向けようとしなかったことに気づいていく

 今年のカンヌ映画祭で日本人として初めて脚本賞を受賞、村上春樹の短編を元にした作品だそうです。溝口監督は黒沢清監督の芸大での教え子で、黒沢監督がベルリン映画祭で銀猫賞をとった『スパイの妻』でも脚本を書いています。

 8月に封切りして1か月、当時の感染状況では3時間の長尺ものは流石に見に行く気になれませんでした。最近 やっと感染が収まってきたので、出かけた次第です。

 この映画を撮った溝口監督が脚本を書いた『スパイの妻』は映画としては好きです。俳優さんたちの熱演、黒沢監督の不穏な雰囲気を醸し出す演出や政治性を滑り込ませたところ、それに美しい映像はとても印象深かった。ただ、話としてはくだらなかった(笑)。黒沢監督本人も不得意と言っているメロドラマ調のお話はボクは好きではありませんでした。

 最初に言っちゃうと、この『ドライブ・マイ・カー』もお話自体はくだらない(笑)。ところが、ありふれた話、と思いながら3時間見てたけど、全然退屈しなかったし、深く心に残りました。これは何なんだろうってことを書きたい、と思います。


 主人公の舞台俳優兼演出家、家福はドラマ『きのう何食べた?』の西島英俊が演じています。脚本家の妻と二人暮らしだった彼は2年前に愛妻が急死し、今も失意の中にあります。

 彼は愛車サーブを運転するのが好きで、どこへ行くのも自分で運転して出かけていく。彼女の死後もそれは変わりませんが、愛妻と暮らしている時に彼女と真正面から向き合わなかった負い目が内心に残ったままです。 
●妻(霧島れいか)と家福(西島英俊)

 そんな家福が広島の演劇祭の演出を任され、長期滞在することになります。いつものようにサーブを運転して広島を訪れた家福ですが、事故防止ということで演劇祭から強制的にドライバーが派遣され、彼は愛車を自分で運転することが出来なくなる。
●演劇祭側から家福にドライバーの渡利(三浦透子)が派遣されてきます。

 派遣されたドライバーの渡利(三浦透子)は極端な無口です。23歳の彼女は故郷の北海道を捨て天涯孤独、ドライバーという仕事で広島へ流れてきました。
 演じる三浦透子という人はサントリーのCMの二代目なっちゃんだそうですね(笑)。どこかで顔を見たことがあると思った。この映画の中の彼女のどことない寂寥感と強い視線は、渡利という現代の社会からはじき出されたキャラクターを非常によく体現していると思う。

 家福は演劇祭で様々な人と出会うことになります。まず、オーディションに応募してきた若手俳優の高槻(岡田将生)。売れっ子だったのに女性スキャンダルで事務所を追われ、この劇に再起を賭けています。

 高槻はかって家福の妻が脚本を書いたドラマに出演していました。それだけでなく妻とただならぬ関係にもあったらしいことは家福も判っています。
 しかし家福は舞台監督として彼を受け入れ、劇に参加させます。しかし高槻は依然として女性の尻を追いかけている(笑)。それだけでなく、高槻は家福に度々相談を持ち掛けてきます。演技のことだけでなく、亡き家福の妻の事まで。無神経なのか、挑発しているのか、判りません。
 この二人のやり取りはなかなかスリリングです。ただ、屈託がなく、感情を抑えることを知らない高槻は、他人と壁を作り、感情を押し殺している家福とは対照的な人間ってことは判ります。

 それに国際演劇祭ということで参加してきた韓国や中国の俳優たちが良い味を出しています。他者としての存在が明確な彼らは他者を拒否する家福の姿を鮮明に浮き彫りにする。

 映画の中で演じられる、劇中劇の演出が本当にお見事で、演劇のノリまで見事に再現されている。映画のお話に重層感を付け加えています。 

 ただ、演出はちょっと古臭いところもあるかも。特に喫煙シーンが多いのと家福が車愛好家というのはどうなんだろう(笑)。
 地方ならともかく、今どき、都会ではまともな人はタバコなんか吸わないでしょ(笑)。渡利がキャラクター上 喫煙者というのは判るけど、家福が喫煙するのは唐突で、そこからシーンを作っていくのはやや違和感がありました。

 また家福が車愛好家というのも、もっと年寄りなら判るけど家福の年代ではどうなんでしょう。東京で忙しく暮らしていたら、移動時間が読めない車なんかに構っている暇なんかないとは思いました。車がメタファーとしての役割を果たしている設定も古いと思った。日用品と化した今の自動車に意味を感じる人って、そんなにいるでしょうか。

 それはともかく(笑)、今までの人生における後悔や罪の意識から逃れることができない家福、そして渡利は時間を共有するうちに、お互いが自分の過去を直視していないことに気が付きます。ある事件をきっかけに家福は渡利の絶望に向き合う事を試みる。そのことによって家福は自分の絶望にも向き合うことになります。

 ボクはこの映画、『捨身』の話だと思いました。家福があんなにこだわっていた車の運転を諦め、渡利にゆだねることが象徴的です。劇中劇でも同じことが語られる。人生には自分を捨てることで、見えてくるものがあるのかもしれません。

 そんな人間たちの所作を広島、瀬戸内の美しい景色が包み込みます。

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 この映画、断片的だが美しい、幾つものシーンがあります。色々なシーンが折り重なるように層を成しているかのようです。それが観客の心に何とも言えない感情を残します。映画を見ることで自分の心の中を指で辿っていくような気持になる。そこが素晴らしい。

 3時間という上映時間は全く気にならないどころか、豊かな時間を過ごすことができました。そして見終わると静かな余韻が深く、長く、心に残る。この映画、ボクはかなり好きです。『スパイの妻』より全然好きだなあ。

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