特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『日本のいちばん長い日』

 1年で一番楽しい1週間、お盆休みが始まりました。
 仕事のこともすべて忘れて、自分の人生を取り戻す1週間(笑)。文字通り命の洗濯、です。定年になれば、毎日こういう日々を過ごせると思うと待ち遠しくてなりません。
●近所のお寺。山門の前に蓮の鉢植えが飾ってあります。夏の朝らしい光景です。

 先週 土曜日のTBS報道特集は力の籠った特集でした。前半は今回JOCが廃棄した弁当は13万食・1億円以上にもなるという内部告発をコロナ禍で苦しむ人たちと対比させて報じたもの。

 番組がスクープした弁当の廃棄を当初、1日分の4000食とだけ発表し事態を矮小化しようとしたJOCがクズ揃いなのは今に始まったことではありません。が、オリンピックで大量の弁当を廃棄する一方で、飢えている人や補助金を未だに受けられない人が大勢いる、というこの国のいびつさには何ともやるせない気持ちになりました。

 コロナの感染がどんどん身近に迫ってきます。身の回りでも、徹底的に気を使っている人でさえ感染したり、濃厚接触者になったという話を耳にするようになりました。残念ながら、これからまだまだ広がっていくでしょう。

 大勢の人が反対しても、この国はどんどん突き進んでしまう。戦前と同じように環境変化に応じて戦略を変えていく柔軟性がないだけでなく、市井の『下級国民』の犠牲のことなんか気にかけない。

 日本が抱える歪みが思い切り露わになった今回のオリンピックで良かったのはこの1点だけです。これからの日本はコロナだけでなく、オリンピックに使われた4兆もの金と景気後退のリスクに直面しなければなりません。日本の人は少しでも変わっていくことができるでしょうか。

 
 と、いうことでアマゾンプライムの配信で映画『日本のいちばん長い日

 太平洋戦争末期、ポツダム宣言が発せられ、それを受託するかどうか天皇、和平派(鈴木貫太郎、米内海相、東郷外相)と主戦派の重臣(阿南陸相や軍部)の葛藤、それに陸軍の中堅若手将校のクーデターを経て玉音放送が放送されるまでを描いたもの。

 言わずと知れた半藤一利原作、1967年に作られた岡本喜八監督の傑作です。
 お話自体は良く知っていますので、ボクとしてはまるで歌舞伎を見るような感じです。知ってるお話をどのように演出・演技していくか。見てみたら、実に完成度が高い作品でした。

 まず、出演陣がやたらとすごい(笑)。鈴木貫太郎首相役の笠智衆、阿南陸相役の三船敏郎、米内海相役の山岡聡、下村情報局総裁役の志村喬、今見ると、まずルックスからして立派(笑)。顔、立ち居振る舞い、全然今の人と違う。重厚で何をしゃべってもやたらと説得力がある。
●阿南陸相役の三船敏郎、米内海相役の山岡聡(右)

 笠智衆鈴木貫太郎は最高です。和平への確固たる意志を持ちながら、狸のようにボケたり、時には強硬論も唱えて軍の暴発を抑えながら、のらりくらりポツダム宣言受託へ持っていこうとする。映画でも取り上げられていますが、ポツダム宣言について『何も語らない』のを『黙殺』と日本の新聞に報じられ、海外では『拒否』と報じられた結果、原爆投下の原因になるというミスも犯した人でもあります。決して完全無欠の人ではない。

 が、この人が居なければ日本は日本中が焼け野原になる本土決戦をやって何千万人も死んだかもしれない。ボクも生まれていなかったかも。ここでの笠智衆を見ていると、ボケと腹芸、それに勇気と知恵を使いながら議論を終戦に持って行った鈴木貫太郎って、本当にこんな感じだったのではないかと思わされます。

 史実では、東条内閣の倒閣に裏で奔走し、引退していた鈴木貫太郎や米内光政を再び大臣に引っ張り出した元首相の岡田啓介終戦の最大の功労者ですが、そこいら辺はこの映画には出てきません。結果として、この作品は史実の一部分を描くことでドラマティックな劇映画に仕上がっています。

 だいたい笠智衆志村喬に何か言われたら、ボクなんか絶対言う事を聞いちゃいます(笑)。顔が、物腰が立派過ぎる。役者というより、歴史上の大人物みたい。それくらいのド迫力です。
●下村情報局総裁(志村喬

 三船敏郎もカッコよかった。主戦論者でありながら、天皇の決断が下ると敢えて陸軍の暴発を抑えようとする。それも迷いながら。この相反する要素があるから人間的に魅力がある。
 三船敏郎は実際に特攻帰り、軍隊内でも上官に反抗し、戦後も終生反戦の意志を持ち続けた人だそうですが、そういう人が演じているから重みが出るんでしょう。本物だもんなあ。

 映画には天皇の顔が映りません。背中と喋っているところだけ。実際は松本幸四郎(先代)が演じているそうですが、時代を感じさせて面白かったな。でも、セリフと背中だけで十分。余韻の残る見事な演技です。

 戦争続行を主張してクーデターを起こす中堅軍人役の高橋悦郎や黒沢年男、それに横浜の警備隊長役の天本英世もエキセントリックで実にカッコよかった。とにかく大臣から中堅将校まで名演ぞろいです。
●クーデターを起こす陸軍の中堅将校たち。井田正孝中佐(高橋悦郎)と畑中健二少佐(黒沢年男)(右)

天本英世も凄い。狂気の軍国主義

 高橋悦郎と言えば、彼は金曜官邸前抗議にも度々参加してました。ちょっとおしゃれな、そしてやたらと背筋がピンと伸びた老人がプラカードを掲げて黙々と立っている、と思ったら高橋悦郎氏。画面だけでなく、抗議する姿もこれまたカッコよかったですよ。

 今では再現できないような重厚な宮城や官邸のセットなども興味深かった。

 しかし、この映画の最も優れているのは様々な人物のエピソードが、まるで織物が織り挙げられるかのように進んでいくところです。
 当初はポツダム宣言を受け入れるか否か、内閣では全く決まりません。米内海相と東郷外相は受託を主張しますが、陸相の阿南は強硬に反対する。例えばポツダム宣言のsubject toという表現をどう訳すか、みたいな話で朝から晩まで揉めて、全く一致を見ない。

 こうやって物事が全く決まらないところは現在の日本を思いださせます。『シン・ゴジラ』はこの演出を参考にした、と言う話もありますが、当時から今に至るまで物事がなかなか決まらない最高責任者の不在は、日本という国の特徴なのかもしれません。

 一方 中堅・若手軍人たちは狂ったような継戦論を唱え続け、圧力を掛けます。またNHKや外務省などのまともな官僚たちは持ち場にあって誠実に自分の仕事を続けようとしています。そこから鈴木貫太郎や米内光政はどうやってポツダム宣言受託に持っていくか。

 これらのお話が玉音放送というレンズの焦点に集まるかのように収束していく。これは本当にすごかったな。岡本喜八監督の見事な演出。
黒沢年男のクレージー演技も見ものです。

●軍令部次長の大西瀧治郎中将(二本柳寛)。海軍にもこういう狂人がいたわけです。

 最後は焼け野原になった東京で戦災孤児がうろつく描写が挿入されます。それでも宮城前で、軍人たちが戦争継続を求める狂気のような訴えを続ける。夏空の下にひたすら虚しさ、空虚感だけが残る。あとには何も残らなかった。
 これが岡本喜八の戦争観なんでしょうけど、実に素晴らしかった。心に残ります。

 この作品は2015年にリメイクされましたが(未見)、これは越えられないでしょう。俳優もセットも監督も、もう再現できないレベルのこういう映画を見ちゃうと、同じテーマの映画なんか作っても意味ないなーと思ってしまいます。それくらい素晴らしい。確かに傑作です。NHK終戦特集も要りません。まさに圧倒的。