特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

NHKドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』(第2話)と映画『ブータン 山の教室』

 楽しい楽しい五連休の真っただ中です。
 近場へご飯を食べに行くくらいで、あとは家でのんびりしています。お天気も良いし、五連休が永遠に続いたら良いんだけどなあ(笑)。


 土曜日に放送されたNHKドラマ『今ここにある危機とぼくの好感度について』第2話も攻めていました。
www.nhk.jp

 番組は『このドラマはフィクションです』と言うゴム印が書類に押されるところから始まります。組織ぐるみで不正をごまかそうとすることをテーマにしたお話ですが、オープニングから平気で公文書を改ざんするどこかの自称民主主義国を暗示しています(笑)。いや、北朝鮮の事じゃないです(笑)。もうちょっと東の国(笑)。

 途中はややドタバタ劇が過ぎる、とも思いながら見ていたのですが、最後まで見るとそれが意味があることがわかります。このドラマの切っ先は鋭すぎて、オーバーなくらいのドタバタでないと収まらないからです。

●現実だって、ドタバタぶりはこのドラマと変わらない。

●ほら、現実の方がドラマよりひどい。


 大学の不正研究に対する内部告発をテーマにしたドラマに、脚本家の渡辺あや氏は今回も鋭いセリフをぶちこんできました。

『人は誰しも弱いしさ、みんな自分の立場を守りたいもの。理事だって理事の立場もあるんだしさ。』
と、大学の上層部を庇う主人公に対して、不正を内部告発したポスドクの女性は穏やかに言葉を返します。 

あの人たちは自分のことを弱い、と思ってないと思うんだよね

権力を持ってるから強い、と思っている。強いから間違うわけない、って思ってる。そんな気がしない?

 ドラマが描いているのは世間知らずの大学の理事や教員だけでなく、情報を隠蔽したり改ざんする大組織、政府、そしてホモソーシャルな男社会のことです。さらには政府に忖度し続けるNHKのニュース班のことでもあるんじゃないか。

 内部告発の顛末を描いた第2回の内容はちょうど同じ日に放送されたTBS報道特集の赤木俊夫氏の特集とまさに、重なりました。

 今回の物語の結末は苦いけれど、微かな救いが見えます。赤木氏の場合とは違う、フィクションです。しかし、このエンディングだからこそ、見えてくるものがあります。

 松坂桃李君演じる、悪人ではないが頭がちょっと弱い、好感度だけを気にして生きてきて我が身が一番かわいい(本人談)、主人公は我々自身じゃないか、ってことです。第1回を見たときは松坂君の主人公役は自身のセルフパロディーか、と思ったけど、それだけじゃなかった。このドラマは政府や大組織、男社会だけでなく、我々自身にも切っ先を向けている
 一見 ドタバタ劇に見せかけた、このドラマ、実はかなり深いです。



 今日は 憲法の日、各紙の改憲に関するアンケートを見ていると40代以下の年代は改憲に賛成の人の方が多いようです。
www.asahi.com

  改憲に賛成の理由は中国の進出とか、コロナの緊急事態のこととか、様々だと思いますが、憲法を守れという政党やオールド左翼の人たちはまず、『なぜ、そうなのか?』と考えるべきです。改憲に賛成する若い人が何故多いのか、現実を見るべきです。それすらやらないで自閉しているから、オールド左翼の面々はダメなんです。

 もちろん夜郎自大のバカウヨにはこれぽっちも未来なんかありません。が、十年一日が如く『平和憲法を守れ』、『戦争反対』ばかり唱えている連中にも未来はない、と思います。
 金正恩だって、安倍晋三だって、戦争反対に決まってるじゃん(笑)。昭和天皇が良い例で、世襲のお坊ちゃま君たちが戦争なんてリスクを自ら冒すはずがない。それでも戦争が始まるのは連中が無能だから、です。

 ま、改憲に賛成してるのは男が多いそうなので、改憲派が増えた理由は男はバカだから、というシンプルな理由だけかもしれませんが(笑)。

 ボク自身は絶対に憲法を守れ、とは思わないです。改憲して、憲法裁判所は作ればよいと思うし、内閣の解散権は考え直した方が良い。

 でも、今 憲法を変えるデメリットやリスクはあっても、メリットはない、と思います。上野千鶴子などは『国民の意志で憲法を選びなおす『選憲』をやればいい』というけれど、今の劣化した日本人だったらロクなことを決めないでしょう。こんな無能な政府と感情に流される劣等国民の国です。実質的にアメリカの属国だからこそ、なんとか国際社会に生存できているのじゃないでしょうか。


 神田神保町にある岩波ホールってそういうことを思い起こさせる場所です。行くたびに未来がないところだなあ(笑)、と感じます。
 確かに上映作品はまあまあだし、雰囲気は落ち着いているし、他では見られない驚くほど上品な老人客もごく僅かいる。柔らかな物腰や余裕のある佇まいを見るだけでも人生のお手本にしたくなるような人がいるんです。レストランでも映画館でも、昔はそういう人をたまに見かけましたが、今では絶滅危惧種だと思う。

 しかし、それを除けば、客層は若い人が極端に少なくて団塊世代が中心、つまりマナーが悪い下品な年寄りが大勢いるし、今時、どんなミニシアターでも導入しているネットの座席予約システムもありません。
 満席にならないように前もって券を買うのもチケット売り場は10F、密空間のエレベーターを使いたくないボクのような人間は10階までの階段を2往復せざるをえない(笑)、というサービス精神の無さも、悪い意味で古色蒼然、化石のような映画館です。

 その岩波ホールで、映画『ブータン 山の教室

bhutanclassroom.com

舞台はブータン王国。首都ティンプーで見習い教師として働くウゲンは教師という職業に飽き飽きし、オーストラリアへ行ってミュージシャンになりたいという夢を持っていた。態度不良の彼は、教育長の長官からブータンで最も辺境にあるルナナ村に転任するよう告げられる。彼は仕方なく8日間もかけてルナナ村に到着する。電気もトイレットペーパーもない場所での生活を不安に思っていたウゲンだが、美しい自然と村人たち、子供たちに触れていくうちに次第に変化していく。

 ブータン王国北部にある、標高4,800メートルのルナナ村の学校を舞台に描く人間ドラマ。監督はブータンの人、主なキャストを除いては実際の村人たちが出演しています。

 主人公のウゲンは人口10万の首都ティンプーで見習い教師として働いています。しかしミュージシャン志望の彼は全くやる気なし。彼女とクラブに行ったり、スマホを片時も手放せない、今時の若者です。

 態度不良が教育長の長官(女性)に目をつけられた彼はブータンの辺境にある標高4800メートルにあるルナナ村の学校に赴任することを命じられます。ブータンの国是は『国民全員の幸福増大』、どんな辺境の地でも教育の機会を保障する、と長官がウゲンに説教するこのシーンは、日本の為政者に爪の垢でも煎じて飲ませたい、と思いました。
 オーストラリアへのビザを申請中の彼は、申請待ちの期間だけでも、と嫌々赴任することにします。

 ルナナ村へはまず、バスで2日、ウゲンはその間もスマホiPODを手放すことができません。カス野郎ですよ(笑)。

 バスの終点の村にはルナナ村からわざわざ道案内の村人(写真左)が来ていました。

 その後は山岳地帯を徒歩で6日の行程です(笑)。

 驚いたことに、村から歩いて2時間のところには村長(中央)を始め、60人弱の村人全員が迎えに来ていました。

 彼らにすれば『教師は未来に触れることができる人』というのです。『知識を伝えてくれる学校の先生は、ヤクの放牧や冬虫夏草を取るくらいしか仕事がない村で子供たちに未来をもたらしてくれる』と彼らは考えている。
●本当の村人たちです。

 やる気のないウゲンは到着早々、もうムリ、と根を上げます。電気も水道もなければ、紙も教材もない。肉なんてめったに食べることができない貧しい村です。

 しかし、嫌々ながら村の子供たちに授業をしていくうちに、ウゲンは変わっていきます。変わらざるを得ない。
●学校の子供たち(これも本当の村人)。教室の中でヤクを飼っています。ヤクの糞を乾燥させ、燃料にするんです。

 だって寝坊をしていると、授業をやってくれと、生徒が家に迎えに来る。それも、こんな子↓が。これは卑怯です(笑)。
●クラス委員のペム・ザム。演じているのは本人、ルナナ村の住人です。

 ブータンの最奥地の貧しい村ですら、子供たちは将来の夢を持っています。金儲けとか有名になりたいとかじゃなく、本気で皆の役に立ちたいと思っている。村の普段の生活がお互い助け合うことで成り立っているからでしょうか。
 子供たちはどうして、こんな澄んだ目をしているのか↓。これはマジモンです。参りました。彼らは自分の夢を語ることにためらいがない。日本では有り得ません。


 
 村は本当に貧しい。教材もなければ、紙も鉛筆も、電気もまともに使えない。それに酒に飲んだくれて仕事をしない人間もいるなど、問題もあります。
 それでも人々は自然の中で、自然と共に暮らしています。ヤクを放牧し、僅かな米を育て、冬虫夏草を探す。ミルクやチーズを取るだけでなく、毛を衣服にしたり、糞を燃料にしたり、生活のパートナーであるヤクの肉を取らなくてはならないときは家族を失ったかのように悲しみます。
 人々は、ヤクや自然を讃える歌を歌いながら、生と死を乗り越えながら生活しているのです。 

 段々と村に溶け込んできたウゲンは放牧されたヤクたちに歌いかける『ヤクに捧げる歌』を村の少女↓に教わるようになります。

 授業では子供たちと大声で歌い、踊る↓。楽園か!って。子供たちの歌にしろ、村人の『ヤクに捧げる歌』にしろ、歌手志望のウゲンの歌にしろ、音楽の意味をつくづく考えさせる映画でもあります。

 やがて冬が来ると村は雪に閉ざされます。そうなると里とのつながりは一切途絶えてしまう。ウゲンは村を離れなくてはならなくなりますが。

 20年前まではネットも遮断するなど伝統を守ってきたブータンでしたが、近年 近代化や拝金主義の波に揺れて伝統文化が失われつつある、のも背景にあるのでしょう。
 ルナナ村ですら子供たちに英語が教えられているし、ウゲンだってオーストラリアへの移住を夢見ています。
 小国のブータンにはグローバリゼーションの中で生き残っていかなきゃいけない危機感もあるのでしょう。彼らは日本人より遥かにグローバリゼーションを意識していると思う。地球温暖化で雪が少なくなってきたことにも触れられます。

 終盤 村長の『世界一幸福と言われるブータンなのに、未来に触れることができるウゲンのような若い人がどうして外国へ行ってしまうのか』というセリフには考えさせられます。

 劇映画、フィクションではあるけれど、村の美しい自然、実際の村人たちの表情がどんなお話よりも強烈です。我々はこんなバカな暮らしをしていていいのか?もっとシンプルに生きるべきなんじゃないのか?どんなセリフやプロットより、子供たちの表情だけで説得力があります。正直、参りました(笑)。

www.youtube.com