特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事』

 東京は昨晩の雨で桜が散り始めました。今年の桜ももう終わり。
 雑事が多くて、うんざりするような3月の心を桜は慰めてくれます。平安時代の昔から花に慰められなければならないような人間社会。何とかならないのでしょうか。日本は戦争がないだけ善し、としなければいけないのでしょうけど。
●朝陽と桜

 大阪の新規感染者が東京を超えたそうです。宮城も山形もそうですが、また全国的に感染が拡大しています。


 
そんな時に聖火リレーなんかやっていていいのでしょうか。マジでこの国は狂ってると思います。

 国民の安全より政治家の権力と電通パソナ、マスコミの利権の方が大事な訳です。彼らにしてみれば『コロナで国民が死んでも全体のための捨て石に過ぎない』と考えているのでしょう。


 ということで、渋谷で映画『生きろ 島田叡-戦中最後の沖縄県知事
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ikiro.arc-films.co.jp

 太平洋戦争末期の沖縄県知事、島田叡氏の足跡をたどるドキュメンタリー。大阪府の内政部長(NO2)から知事として米軍上陸寸前の沖縄に赴き、アメリカ軍の上陸以後も戦火の中で壕を移動しながら執務を続けた島田氏の軌跡を追ったもの。

 監督はTBSのニュース23の元キャスターで『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロ』の佐古忠彦。TBSは以前 島田や島田と想いを共にした海軍司令官、太田實を扱ったドラマやドキュメンタリーを放送しています。過去の取材フィルムに収められた証言と新たに発見された手記をまとめています。
spyboy.hatenablog.com
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 太平洋戦争末期 沖縄に米軍が上陸してくるのは必至の情勢でした。軍部も第32軍という軍隊を配備して不十分ながらも守りを固めます。一方 沖縄県庁は知事が東京に出張したまま沖縄に戻らない、という事態が起きていました。内務省大阪府の内政部長(府のNO2)だった島田叡を知事として沖縄に派遣することにします。
 島田は元々民主的な考え方を持つ官吏として中央から目をつけられていたそうです。東京帝大卒のキャリア官吏なら中央での勤務があるはずですが、島田は終生 地方での勤務に甘んじていた。
●島田氏

 沖縄へ知事として赴くということは死を覚悟しなければなりません。島田は『若い人は赤紙1枚で兵隊に召集させられるのだから自分には断る権利はない』、『自分が断れば、他の人に行かせることになるから』と家族の強硬な反対を押し切って、沖縄へ赴任します。彼には妻と娘二人がいました。長女は府知事に直談判に及ぶほど反対したそうです。それを振り切って赴任した心中には胸が詰まります。

●最後まで島田と行動を共にした警察部長の荒井氏

 当時の沖縄は食料も不足し、住民の疎開も進んでいませんでした。住民は日本軍の大軍がいるのだから、と、疎開に消極的だったそうです。島田は自ら台湾へ赴き米を調達、県民を山間地帯へ疎開させるなど懸命に働きます。
 また軍は防備を固めるために沖縄県民を駆り出そうとしています。労働、看護、輸送に17歳以下の学生まで動員させようとしていたのです。前知事は軍との協力にも消極的でした。島田は軍とも協力し、学生を看護や兵隊として動員することも認めます。
 当時の風潮として本土の人間には言葉や風習が異なる沖縄県民への差別が色濃くありました。軍は沖縄県民を使役したくせに、県民が捕虜になったら米軍に基地の所在など機密を教えるのではないかと疑心暗鬼になっていたそうです。
●当時の沖縄県庁の面々

  
 島田は沖縄県民の命を守ることを一義においていました。と、同時に大日本帝国の官吏として軍との協力も進めなければならない。しかし軍にとっては沖縄は捨て石、本土上陸迄の時間稼ぎが目的で沖縄を防衛する気はありません(映画の中で牛島司令官のお孫さんが『祖父は沖縄を守る気はなかった』と証言しています)。島田は難しい立場です。

 やがて米軍が沖縄へ上陸。猛烈な攻撃で軍隊も県庁も沖縄に多い天然の洞窟を使った壕への避難を余儀なくされます。
 
 総攻撃に失敗した陸軍は当初予定していた那覇での決戦を諦め、沖縄南部へ退避することにします。しかし南部には既に民間人が大勢疎開しています。軍が南部へ移ることは民間人を戦闘の巻き添えにすることを意味します。
●陸軍の司令官、牛島

 島田は南部への退避に反対、陸軍に那覇に残るよう強硬に申し入れます。しかし陸軍はずるずると結論を出さない。知事に対して返事もしない。時間だけが過ぎていき、やがて軍はなし崩しに移動を始めます。そして’’沖縄東部を避難地帯にするから民間人はそちらへ移れ’’と申し渡します。沖縄東部に避難地帯を作るなんて知事の島田にも知らされていませんでした。
 折しも梅雨の季節。民間人は砲弾が飛び交う中、ぬかるみの中を徒歩で移動することになります。大勢の人が命を落とします。
 
 これって、今の政府そっくりですよね。結論を出さない。責任を取らない。判断をしない。なし崩しに物事を進めていく。原発事故もコロナ対策もオリンピックも同じじゃないですか。



 
 また映画の中で引用された米軍の記録フィルムでは、まともに歩けないような老人まで着の身着のまま裸足でぬかるみの中を歩かされている。行き倒れになっている。あまりのひどさに愕然としました。

 海軍にも移動命令が出ます。島田と仲が良かった海軍の司令官の太田少将は一旦は従ったものの、大勢の住民を巻き添えにする陸軍との協働を不可として那覇近郊の基地に戻ります。陸軍は海軍の陸戦隊を竹槍部隊とし、陸軍の盾にしようとしたのです。
 太田は本土に対して、戦況より県民の労苦を報告する最後の電報『後世 沖縄県民に格別の高配を賜りたし』という最後の電報を打った後、軍を解散して兵たちに『生きろ』と指示を出し、自分は自決します。
 ただし太田が移動せず那覇に残ったことで、海軍の基地周辺の住民は戦闘の巻き添えで1000人以上も死ぬことになります。どっちにしても戦争は民間人が巻き添えになる。
●島田の盟友だった海軍陸戦隊司令官の太田少将

 その後 島田は各地の洞窟を転々とすることになります。

 映画で実際の洞窟を見ていて思ったのですが、ただの穴です。キャンプ生活と言うか避難民に近い。軍にしろ県庁にしろ仕事なんかまともにできないです。米軍が攻めてきて壕に入った時点で、勝ち目なんかあるわけがない。それでも戦争を続けたのですから、恐ろしい限りです。

 
 地下壕には官だけでなく民間人も軍もいます。映画では軍隊が泣く赤ん坊を殺したり、殺されそうになった、食料を奪われたなどの証言が出てきました。皆 異口同音に言うのが『敵はアメリカ軍ではなく日本軍』。
 
 そんな中 島田は民間人の犠牲を減らそうと努力を続けます。が、出来ることは限られている。無線すらないのです。
●自分も少年兵(鉄血勤皇隊)だった元知事の太田氏。『島田氏は軍の命令が絶対の状況の中で出来る限りのことをやったのであって、学生を動員したことを非難することなんかできない』と証言します。

 やがて陸軍司令官の牛島は自決。しかし自決するにあたって『軍も民間人も捕虜にならず、死ぬまで戦え』という指示を出します。それによってまた、大勢の犠牲が出ます。
 一方 島田は県庁を解散、人々に生きて沖縄を再建するよう指示を出します。その後 島田は警察部長とともに洞窟を出て消息を絶ちます。ピストル自殺したとも入水自殺したとも言われています。

 結果として沖縄戦では住民約9万4,000人、沖縄出身者もふくむ日本軍約9万4,000人、アメリカ軍約1万2,000人が亡くなったとされています。住民の犠牲は軍が南部に移って以降に集中しているそうです。
●島田の最後の姿を目撃した看護師の人。『米軍は女子供には手をださないから、米軍が来たら直ぐ降伏して命を生き永らえろ』と島田に言われたそうです。

 事績自体はある程度知っていたことなので、それほど驚きはありません。しかし実際にその場の人の証言を聞いたり、当時の民間人の姿や洞窟を見ると、沖縄戦が如何にひどいものだったか、改めて感じます。単に戦争だから、ということだけでなく、当時の日本の官僚(軍隊)は恐ろしく無能で国民を軽視していたことが被害を数倍にしています
 沖縄の人たちが受けた傷はボクには想像もできません。

 映画では、やはり官吏としての島田と人間としての島田の相克が印象深いです。島田は軍に協力して学生を動員したりもしています。やむを得ない事情があったとはいえ、やはりエリート官僚でもあります。
 しかし極限状態に追い込まれるに従い、官僚としての島田より、人間としての島田が強くなってくる。追いつめられると人間は本質が出てきます。今の忖度役人も同じですが、島田の場合は忖度ではなく、一人の人間に戻っていく。


  
 一人でも多くの命を救うことで沖縄を再建したい、と考えていた島田とは対照的に、最後まで『沖縄を本土のための捨て石にする』という狭い視野から脱することが出来なかった牛島など軍の連中との対比は今に通じる問題でもあります。

 政治家や官僚もそうだし、我々にとっても切実な問題でもあります。戦争じゃなくても地震やコロナのような危機の際 自分がどう振舞うか、ってあるじゃないですか。どうして島田がそういう判断と振る舞いができたのか。これは我々自身の問題でもあると思いました。

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佐古忠彦監督『生きろ 島田叡ー戦中最後の沖縄県知事』INTERVIEW