特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

分断を乗り越えて:映画「あのこは貴族」

 3月も終盤に差し掛かりました。早いですねー。
 週末はお花見にも行ってきたのですが、今日は映画の感想に集中したいと思います。


 銀座で映画『あのこは貴族
f:id:SPYBOY:20210320131509p:plain
anokohakizoku-movie.com

 病院経営の医者一族の末っ子、榛原華子(門脇麦)は結婚寸前で恋人に振られてしまう。高級住宅地、松濤で育ち、エスカレーター式の名門女子校を卒業した華子は既に20代後半、同級生たちは専業主婦に収まり、出産した子も多い。『結婚こそが幸せ』と思い込んでいた華子はお見合いを繰り返した結果、良家出身で容姿端麗な弁護士・青木(高良健吾)との結婚が決まる。
 ある日 華子は青木の携帯に時岡美紀という女性からのメッセージが入っているのを見つけてしまう。時岡美紀(水原希子)は富山から上京、慶應大学に進むものの学費が不足して中退、その後 大企業で働いてもやりがいを感じられず、恋人もおらず、東京で暮らす理由を見いだせずにいた。全く異なる生き方をしていた2人の人生が交わっていく。

 予告編を見て面白そう、とは思ったのですが、あまり関心がないテーマなのでスルー予定でした。しかし1か月のロングラン上映が続き、あまりにも評判が良いのと小泉今日子がパンフレットに推薦の長文を寄稿していると聞いたので見に行った次第。

 余談ですが小泉今日子は先月の朝日新聞の連載インタビューで『コロナ禍でジャック・アタリの利他の話を読んで影響を受けた』と話していました。大晦日の紅白に出演した後 暴走族の友人と初日の出暴走に出かけていたと言う厚木のヤンキー(笑)だった人です。そういう人が今は、’’ジャック・アタリ’’とか言っている。元々ファンでしたが、一層好きになりました。

 
 映画の原作は山内マリコによる同名小説、監督は岨手由貴子と言う人。ボクはどちらもお初です。
あのこは貴族 (集英社文庫)

あのこは貴族 (集英社文庫)


 映画は主人公の華子(門脇麦)がタクシーに乗って、人気のない正月の東京を走っているところから始まります。窓から無言で外を眺めている華子に運転手が『お客さん、東京の人でしょう。』と話しかけます。そう、彼女は家族が一堂に揃う食事会に出るため、都心のホテル(オークラ?)に向かっているのです。

 お正月、東京の住人がオークラやオータニのようなホテルで一族の食事会をするのって、結構ある光景です。多くの場合年寄りを囲んで、既に結婚して独立した子供や親せきが集まって食事をして顔見世をする。年寄りが生きている時はボクの家もそうでした。お正月にこういう食事会をする人たちって案外多くて、ホテルの普通のレストランでも1か月前に電話しないと予約がとれなかったりします。高くて不味いんですけどね(笑)。

 華子の表情はどこかうつろです。窓の外ではオリンピックの工事が着々と進んでいる、華やかだけど空疎な東京の景色が広がっています。
●華子(門脇麦)。病院経営の医者一家の末っ子

 この映画 華子がタクシーの中から街を眺めるシーンが度々出てきます。彼女は常に眺めているだけ、傍観者なんです。
●末っ子ということもあって、華子は常に誰かに頼って生きてきました。悪気があるわけではありません。生来ののんびり屋という性格と単純に家が裕福だからです。

 ホテルに着いた彼女は懐石料理店の個室に入っていきます。彼女の実家が非常に裕福であることが良く判ります。それもそのはず華子の親は代々医者で、病院を経営しています。華子も親と一緒に松濤の豪邸で暮らしている。松濤って言うのは渋谷の奥の地域で田園調布なんか目じゃない、東京でも指折りの高級住宅地です。
 実は華子はこの日、結婚を意識していた婚約者に『重い』と言って振られたばかりだったのです。

 華子は20代後半、仕事を辞めて家事手伝いをしています。エスカレーター式の女子校を卒業した彼女の同級生たちは、親友の逸子を除いて結婚して専業主婦になったり、出産を控えています。大人しい華子は口には出しませんが、流石にこの状況には焦りを覚えている。
 食事会に集まった親兄弟たちは早速 お見合いの相手を見繕い始めます。
●華子と女子大時代の友人の逸子。同級生たちは結婚や出産しており、残っているのはこの二人だけ

●華子の親友、逸子(石橋静河)はバイオリニストとして何とか生計を立てています。

 お見合いを繰り返すうちに彼女は弁護士の青木(高良健吾)に出会います。ハンサムで女性に優しい、慶應幼稚舎出身の弁護士です。お見合いではロクでもない男にしか巡り合わなかった華子はやっと出会ったまともな男に夢中になります。
●青木(高良健吾)は政治家も輩出する名家の出身。慶應幼稚舎出身(笑)の弁護士。女性に親切だし、ジェントルマン。

 婚約することになった華子が初めて青木の家に行くと、華子の松濤の豪邸がかすむような数千坪もある超大豪邸でした。青木は黙っていたのですが、彼は政治家や経営者を排出する代々続いた名家の出身だったのです。病院経営の華子の一族の遥かに上を行く『上流階級』でした。まるで貴族のようです。
 ちなみに青木の大豪邸を見て、ボクは毎年 松濤の大豪邸の広大な庭でガーデンパーティーを開いているという麻生太郎(本人は学習院だけど、息子は慶應幼稚舎)を連想しました。
●青木と華子は青木の大豪邸で結婚式を挙げます。

 しかし金があるからと言って幸せになれるわけではありません。青木もその親や親戚たちも、家を守っていくことが最優先です。華子に求められるのは家の仕来りを守ると同時に跡継ぎの男児を産むこと。今まで自分の意思をはっきり示したことがないまま育ってきた華子は不満を覚えつつも、周囲に従うしかない。
 そんなある日 彼女は青木の携帯に時岡美紀(水原希子)という女性からのメールが届いたのを見つけてしまいます。

 ここから物語は時岡美紀の話に移ります。彼女は富山の普通の家庭で育ち、慶應大学に入学しました。なんでここだけ実在の大学名なのかと思ったのですが、そうでなければ成り立たない話だからです。
●時岡美紀(水原希子、左)と親友、理英(山下リオ)はともに富山から慶應に進みました。

 
 映画の中の美紀だけでなく、慶應に入学すると大抵の人は、『内部生』と呼ばれる付属校からの進学者と外部から入学してきた『外部生』とのあまりの違いにカルチャーギャップを受けます。

 高校から入学したボクにとっても正直、驚きの世界でした。内部生、特に幼稚舎(小学校です)からの生徒には数代続いた政治家や経営者、芸能人の子供が大勢います。大物ヤクザの子供もいる(笑)。要するに一般人とは生活が全く違う。
 ボクが印象的だったのは、内部生の子が学校が雇っている掃除の人の面前で平気で廊下にゴミを放り捨てていたこと。公立校で自分たちで掃除をするのが当たり前だと思ってたボクはその傍若無人さにショックを受けました。『死ね』とは思いましたが(笑)、そういう環境で育っただけで彼らには悪気はないんです。あと内部生には時々金持ちで頭が良くて、尚且つ性格もめちゃくちゃ良い奴もいる。これはどう考えても勝ち目がない(笑)。

 幼稚舎出身者は概して一握りの超優秀な奴と大多数のおバカちゃんに分かれますが、幼稚舎の時はずっとクラスが変わらないので、家族ぐるみで結束が固い。つながりは生涯続いていく。大学に入っても、交友関係は自然と外部生、内部生と分かれるようになります。
 高校から入学したボクも大学に入った時点では外部から来た子には内部生とみられます。同罪です(笑)。それでも幼稚舎出身者とは姿恰好からして違う(笑)。というか、身分、人種が違うといっても良いかもしれない。
●理英も美紀も東京の女子大生、特に慶應の学生の派手な生活には戸惑うことばかりです。

 富山から上京してきた時岡美紀も内部生とのあまりの違いにショックを受けます。しかし、そのあと地方出身の外部生は反動で、滅茶滅茶派手に遊びまわるようになるのがだいたいのパターン(笑)。東京の人の方が概して地味に過ごしているものです。
 そんな時 美紀はバリバリの幼稚舎出身者 青木と知り合うことになります。
●青木(左)と美紀。悪気はないんだけど要領がいい、幼稚舎出身の内部生の描写もめちゃめちゃうまい。感心しました。
 

 その後 富山で働いていた父親が失業した美紀はキャバクラに勤めて学費を払おうとしますが挫折、学校を中退してしまいます。
 しかし美紀は富山に帰ることもできません。市街地は空き店舗ばかりだし、良い仕事もない、多くの若者は親の跡を継ぐしかない。若い奴はヤンキーばかりだし(彼女の弟が乗っている超低車高の車は笑いました)、おっさん連中は女性を愛人か家政婦としてしか扱わない。美紀はそんな冨山から出たくて、慶應に入ったんです。
●富山の実家ではジャージ姿の美紀

 その後 美紀は勤めていたキャバクラの客の伝手で大企業に就職、彼女なりに東京で生き抜いてきました。キャバクラで再会した青木との『関係』もだらだらと続いていた。
●青木(高良健吾)と美紀(水原希子)は長年の『知り合い』でした。

 そして、本来だったら交わることがない華子と美紀が巡り合うことになります。 
●違う階層の人間が交わることのない東京で、ひょんなことから二人は巡り合います。
f:id:SPYBOY:20210320131534p:plain


 映画の中で『東京では違う階層の人同士は絶対交わらない。出会うことすらもない』というセリフがあります。マスコミはそういうことを言いませんが、その通りだと思う。

 ボクは今の世の中、東大出身者(官僚)と慶応幼稚舎出身者(代々の経営者、オーナー)が動かしているんじゃないか、と思っています。少なくとも半分くらいはそうだと思う。ボクはなんだかんだ幼稚舎出身の経営者や弁護士、コンサルと仕事をすることも多いんですが、やっぱり住む世界が違う。ただ彼らは比較的おっとりしていて、金の亡者の新自由主義者ではないことが多いから、竹中平蔵みたいな連中よりまだマシでもある。実際 竹中平蔵慶應の中でも滅茶滅茶嫌われていた、と 慶應の某名誉教授に聞いたことがあります。

 そういう人たちと一般の人たちは同じ東京に住んでいても、住む場所も行く店も感性も考え方も全く違う。我々一般人と彼らは交わることはほとんどないし、おそらく相手方の気持ちもあまり判らない。どちらも自分たちの世界、狭いサークルの中で生きている。
toyokeizai.net

 それだけではありません。2021年の今 分断は更に広がっている。経済的格差、東京と地方、男性と女性、いや男性同士、女性同士ですら分断されている。今回のコロナ禍で生理用品を買えない女性が増えていると言うニュースがありますけど、コロナ禍は分断を更に広げたでしょう。
www3.nhk.or.jp

 そういうことを指摘する人は少ないけれど、現実にはスタートの時点から我々は分断されているんです。
 ●美紀は大学を中退後、キャバクラの客のつてで大企業に就職しました。彼女なりに自分で生き抜いてきた。

 生来の人間嫌いで、どこのサークルにも属することを拒否してきたボクは、この映画が言ってることが非常に共感出来ました。地縁血縁も殆ど拒否して孤立して生きてきたボクは、自分自身は美紀に近い、と思って見ていたのですが、華子や青木が体現する世界にも触れることはあるので(笑)、他人事とも思えなかった。

 
 俳優陣が素晴らしいです。末っ子の頼りないお嬢様を演じているのにド迫力を感じる門脇麦の演技は相変わらずだし、屈折した感情を表現する水原希子もいいです。この人の人間離れした美しさも映画的ですらある(笑)。善人だけど冷酷でもある青木も高良健吾君が演じるから、それだけではないキャラに感じられると思いました。
 
 華子も美紀もそれこそ階層が違います。自分たちの狭い世界で生きていて、本来なら交わるはずもない。しかし実は自分自身が何も持っていないこと、だけは共通しています。何も持っていないということだけは分断されていなかった。青木ですら、最後にそのことを理解する。それに気づいた3人が成熟と成長を体現していくのが素晴らしい。感動的です。
●美紀と理英、華子と逸子、共に新しい道を歩み始めます。

 その中に時折 抒情的にも感じる美しい映像が加わる。端正で流麗だけど静けさをたたえた、まるで環境音楽のようなサントラも渋い。この構成には舌を巻きます。

あのこは貴族 オリジナル・サウンドトラック

あのこは貴族 オリジナル・サウンドトラック

  • 発売日: 2021/03/03
  • メディア: MP3 ダウンロード

 原作は読んだことありませんが、アマゾンのユーザー評には『こんなにうまく行くわけないだろ』と言うものがありました。
 でも映画を見ているかぎり、そういうことは全く感じません。東京の『上流階級』にしろ、慶應エスカレータ式の女子大の雰囲気、地方の不景気や人々の生活、東京の住人や地方出身者の生活、そして見えない天井が頭の上にある女性たちの息苦しさ、描写があまりにもリアルです。監督もしくは原作者が本当に体験してきたこととしか思えない。
 いくつもの丁寧な伏線が織物のようにお話に編み込まれています。
●これ見て、ボクもスカーフ買おうと思いました(笑)。彼女のジョン・スメドレーのセーター姿も素敵でした。


 女性同士の連帯を描いたシスターフッド・ムービーという体裁をとっていますが、この映画はそれだけではない、もっと大きなテーマを扱おうとしている。
 オリンピックの準備が続く2021年の空疎な東京を背景に、この映画は希望、について語っている
 格差が広がり、階層が固定化し、相変わらずの男女差別も解消されず、少子高齢化で衰退する一方の日本に残された微かな希望。それは社会のプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、自分の力で生き残っていこうとする華子や美紀、逸子や理英たちの姿です。しかも彼女たちの等身大の姿は押しつけがましくない。しなやかに社会の分断を乗り越えていく。この手があったか、と思いましたもん。

 この映画、『まるで自分自身を演じているようだった』と水原希子がインタビューで答えていたのも、小泉今日子が推薦文を書くのも良くわかります。自分なりのやり方で世の中と戦っている人たちだからです。

 見終わったとき、ボクの第一印象は『今の日本でも、こんな映画を作れちゃうんだ』ってこと。と、同時に日本の社会にもまだ希望が残っている、とも感じました。この感想を書きながら再発見することが多かったのですが、見ている時より見終わったあとにグサグサ来る(笑)。人によって感じ方は違うでしょうけど、ちょっと驚くような傑作、と ボクは思いました。
 DVDは絶対買うけれど、できれば劇場でもう1回見たい。まだまだ発見があるでしょうから。現時点での今年のベストワン。断トツです。

映画『あのこは貴族』予告編