特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

セルフ・ネグレクトの物語:NHKスペシャル『ある、引きこもりの死』と映画『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-』

 昨晩放映されたNHKスペシャルある、引きこもりの死』は思わず、見入ってしまいました。
 番組はいわゆる8050問題、つまり80代の親が40~50代の引きこもりの子供を養っている問題を描いていました。40~50代の引きこもりは推計61万人、親が亡くなると子供は生活の糧を失い、周囲からの援助を拒み、引きこもったまま亡くなっていくケースが多々あるそうです。その年代の子供たちは山一ショック~小泉不況の就職氷河期世代であったことも引きこもりを助長している。
www.nhk.jp

 このこと自体は当時から指摘されていましたが、政府は大した手は打たなかった。それから親も子供も歳を重ね、近年はいよいよ来るものが来た、ということなのでしょう。

 番組で見た、引きこもりの人を何とか支援しようとする役所や福祉協議会の職員の姿には正直 頭が下がりましたが、支援を拒む人も多い。自ら餓死に向かっているかのような、やせ細った手首や足首は映像で見るとショックでした。雑草が生い茂った家に住んでいる姿は、ジャングルに残った日本兵のようだった。

 引きこもったまま亡くなっていくのも、ある意味 本人の自由意志です。ボクだって出来れば人と関わりたくないし、人間には孤立死する権利はあると思う。
 しかしセルフ・ネグレクト(自己放棄)という言葉にあるように、自分で自分を見放すことを全て自己責任で考えてよいのでしょうか。

 番組で描かれていたような経済的な問題でなくても、健康や気力の衰え、精神疾患、もしくは何らかの拍子で自暴自棄になってしまうことは誰にでもあります


 今の社会はあまり人間を大事にしていないと思います。政治だけでなく、ボクも含めて多くの人々も人間を大事にしない。生産性とかだけで人間を判断するバカ議員すらいる。そんな風潮だと自分自身の存在価値が感じられずに、セルフ・ネグレクトみたいなことが増えてくる。

 本当は政治や社会全体にだって責任があるのに、そちらは頬かむりして、一個人にばかり責任をおしつける。コロナと同じ構造です。

 この国は多くの人が自己責任という病気に集団感染しているかのようです。生きることは人間の権利って発想にどうしてならないのか。人材が有効活用できるだけでなく、社会の多様性だって増すのだから、社会としても利益が大きいはずです。
●今夏公開された映画『カセットテープ・ダイアリーズ』では親の失業で悩む移民の高校生の主人公が、スプリングスティーンの『生きていることは罪ではない』という歌詞を聞いて立ち直ります。

 甘っちょろい生活を過ごしているボクですら、毎日がサバイバル、綱渡りをしているような感覚はあります。この国では一歩 足を踏み外しただけで社会から転落しかねない。番組に出てきた人が言っていた、自分自身から逃げたいって気持ちだって、時々感じます。
 あの番組に映っていた人たちは全くの他人事、とはボクにはとても思えませんでした。

●ナイキはかっての児童労働や宮下''ナイキ’’公園の件などはありますが、真正面から在日朝鮮人や混血の子を取り上げたこのCMには感動せざるを得ませんでした。必見です。ボクはちょっと泣きました。このCMにバカウヨがいっぱい群がってますが井の中のバカ蛙はさっさと滅びるのみ。これが世界標準の感性。

●前回 カカオの問題を取り上げましたが、補足。2025年までに明治や森永など大手メーカーは児童労働や搾取に考慮したカカオ豆に切り替えるそうです。
news.nissyoku.co.jp


 ということで、吉祥寺で映画『ヒルビリー・エレジー -郷愁の哀歌-

hillbilly-eregy-movie.com

 2016年夏に発売された無名の弁護士の自叙伝「ヒルビリー・エレジー」は、2016年から17年にかけて全米NO1の大ベストセラーになりました。著者のJ・D・ヴァンスはイエール大を卒業した弁護士ですが、アパラチア山脈にあるケンタッキー州ジャクソンに生まれ、ラストベルトのオハイオ州ミドルタウンで育った人物です。
 本の発売がトランプの当選と重なったこともあって、彼が描く貧困者の暮らしや考え方がラストベルトのトランプ支持者を描き出しているとして、大変話題になりました。

 立ち読みした(根性!)この本には、大変印象に残る一節がありました。

 彼らはとにかく、オバマが嫌い、というんです。政策の問題ではありません。ハワイ生まれのシングルマザーに育てられたオバマはハワイやジャカルタで暮らした後、奨学金で本土のハーバードのロースクールへ進み、人権派弁護士になりました。卒業後はラストベルトからほど近いシカゴで貧困対策の社会運動に従事して、政界へ進出しました。
 貧困層の味方だし、努力で積み上げてきた非の打ちどころがない経歴です。しかし、そこが嫌いだそうです。

 何故なら、彼らはオバマを見ていると『自分が責められているような気がする』から
 努力してキャリアを切り開き、なおかつ社会のために働こうとするオバマに対して、自分たちは仕事も不安定で、酒や麻薬に溺れ、家族を満足に養うどころか、DVすら起こしてしまう。オバマを見ていると、自分たちの存在自体が否定されている気がするそうです。

 その気持ちは判らないでもありません。事実に基づいた見解ではありませんが、ある種の人間にとっては真実ではある。昨日のNHKスペシャルある、引きこもりの死』で描かれていた、周囲からの援助を拒み続ける引きこもりの人たちとも、ある意味 共通する。ただ、規模が違う。こちらは地域ごと、世代ごと切り捨てられている。

 オハイオなどラストベルトの斜陽化は70年代から始まり、現代も続いています。戦場からラストベルトの故郷へ帰ってきたベトナム帰還兵が失業して『俺はUSAの敗残者だ』と悲痛な叫びをあげるスプリングスティーンの『Born in The USA』は85年の作品です。

Bruce Springsteen 'BORN IN THE USA' live 1985

 その当時でも街にはホームレスがたむろする状態だったわけですが、今は一層ひどくなっている。職もない、麻薬と暴力が蔓延する。福祉団体のわずかながらの食糧配給で生命を繋ぐ人も多い。それが40~50年も続いている。

 それに対して金持ち優先の共和党は勿論、金融やITを優先させたクリントンが典型で、民主党だって十分な手を差し伸べなかった。見捨てられた人たちがトランプの嘘八百に希望を託してしまうのは判らないではありません。


 今作は、そのラストベルトの人たちを描いたベストセラーの映画化です。監督は『ビューティフル・マインド』でアカデミー監督賞を受賞、「ダ・ヴィンチ・コード」などの巨匠ロン・ハワード、出演は「魔法にかけられて」や『メッセージ』などアカデミー賞ノミネート6回のエイミー・アダムス、「天才作家の妻」などアカデミー賞ノミネート7回の大女優グレン・クローズなど大変豪華な映画です。

 ところが、配給はやっぱりネットフリックス。以前ご紹介したネットフリックスの『シカゴ7裁判』同様、アカデミー賞候補、という下馬評も出ている作品ですが、東京では1館・1日1回の公開です(今は上映館も増えました)。これは、どうしても見たい。根性で吉祥寺まで行ってきました。
●右が著者のJ・D・ヴァンス。

 映画は主人公(著者)の幼少時のケンタッキーでの描写から始まります。
 ケンタッキーなどアパラチア山脈の周辺に住む人たちはヒルビリーとか、ホワイト・トラッシュ(クズ白人)などと呼ばれています。昔『じゃじゃ馬億万長者』ってTVドラマ・映画がありましたけど、あれの原題はBeverly Hillbillies。ヒルビリーの一家がLAのビバリーヒルズに住んだらどうなるか、というコメディです。

 アパラチア山脈周辺はイギリス系、アイルランド系の白人が開拓してきた地域ですが、深い森と山に囲まれて地理的に孤立しており、文化的・経済的に取り残されていました。カントリー音楽の源流の一つとなったブルーグラスの発祥の地でもあります。辛い労働を慰める労働歌の発祥の地。
●この映画で描かれたアパラチア山脈の村。深い森が広がる中で白人貧困層が住んでいます。

 白人の中でも最貧困層が多いことで知られていますが、主産業は衰退産業である炭鉱ですから、さらにひどくなっている。著者のJ・D・ヴァイスは『自分たちは白人と思ったことはない』と言っていますが、文化や教育、言語などの差から白人の中でも露骨に差別されているだけでなく、近年は麻薬や加工食品メーカーの食いものにされてきたことでも知られています。失業率が高いだけでなく平均寿命も短い。
 この作品はヒルビリーたちとラストベルトの労働者たち、二重の苦境を描いている。そこは見るまで気が付かなかった。

 主人公一家は祖母(グレン・クローズ)が13歳で妊娠・出産したことから、ケンタッキーから離れ(そういうことが多発する地域にもかかわらず、保守的・閉鎖的な地域です)、近隣のオハイオ州へ移り住みます。
●主人公の祖母(グレン・クローズ)(左)と母(エイミー・アダムス)。二大女優の競演です。二人ともジャンクフードばかりのホワイト・トラッシュを演じるため、10キロ以上 体重を増やしています。

 オハイオ州ミドルトンは鉄鋼業の街。かっては栄えていましたが70年代後半以降、衰退の一途をたどっています。
主人公の母(エイミー・アダムス)はそんな街で看護婦として働きます。主人公を出産しますが、ほどなく離婚。その後も知り合う男たちともうまく行かない。次から次へと男も住むところも変わっていきます。
●ラストベルトで暮らす母(エイミー・アダムス)と兵役でお金を貯めてイェール大に進学した主人公(右)。

 お話は名門イェ―ル大学のロースクールに入学した主人公と過去のオハイオでの暮らしが交互に描かれ進んでいきます。主人公はイラク戦争に従軍して学費を貯め、さらに奨学金ロースクールに進みます。賢くて優しいインド系の彼女も出来た。しかし、学費がバカ高く、文化が全く違うエリートの世界とのギャップにずっと苦しみ続けます。
 過去と現在のお話を交互に描くことで、主人公が名門大学で感じるギャップがいちいち、過去のオハイオでの暮らしに起因していることが判ります。
●母(エイミー・アダムス)は息子である主人公を愛してはいるものの、感情をコントロールできません。

 オハイオで看護婦として働く母は麻薬に手を出すようになります。周囲の人間も含めて、麻薬があまりにも身近にある環境です。子供まで麻薬をやっている。親も何も言わない。
 ただでさえ失業率が高い不況の街で職を失った母親は、低賃金の職と様々な男の家を転々とする。

 大人しく内向的だった主人公も段々とチンピラもどきになっていく。それを救ったのは祖母でした。

 グレン・クローズエイミー・アダムスも10キロ以上体重を増やし、言葉遣いも全く変えて、白人貧困層の姿を熱演しています。どすを利かせた徹底して下品で無教養なしゃべり方です。二人とも、良くこんな役を受けたなあと思います。
●イェールのロースクールに通っている主人公(中央)は母(エイミー・アダムス)(右)がヘロイン中毒で病院に担ぎ込まれたことでラストベルトの故郷に帰ってきます。

 失業、経済的な貧困、文化・生活面での貧困、暴力、行政の無為無策、それが何十年も続いている。日本では全く想像できない驚くべき実態ですが、見ていてそれほど暗くなりません。二大女優の演技合戦に魅入られてしまうからです。

 エイミー・アダムスは早くも来年のアカデミー賞候補に噂されています
www.salon.com

 『ガープの世界』以来 ボクは大ファンのグレン・クローズのすごさは今更言うまでもありませんが、今回もすごい。

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  • 発売日: 2011/12/21
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 主人公が立ち直るきっかけになる、セリフ無しの表情だけで、十分説得力がある。見ていて、今回も号泣でした。表情だけで泣かされてしまう俳優って、ボクにとってはこの人だけかもしれません。


 主人公はイラク戦争に従軍して学費を貯め、更に奨学金をもらって一流大学へ進学、弁護士になります。この境遇から抜け出せた例外的な存在です。
 新自由主義にかぶれた政治家や竹中平蔵みたいなエセ学者は構造改革が必要、と言いますけど、石炭や鉄鋼産業に勤めていた人がIT産業に移れと言っても、ムリな話です。
エイミー・アダムスのヤク中演技もすごい。ラストベルトでは多くの人が薬におぼれている、と言います。

 バブル以降 日本は莫大な財政赤字と引き換えの公共投資で何とか地方経済を成り立たせてきた。それでも地方の商店街にはシャッター通りが拡がり、工場の閉鎖は続いている。
 多くの日本企業が落ち目になり、更に今後 少子高齢化が進み医療・福祉関連予算が増える一方 公共投資で地方経済を今のまま維持するなんてことは出来ない。この映画で描かれたことは他人事ではないんです。


 女優さんの見事な演技合戦と大監督の巧みな演出、暗くならずに凄絶な労働者階級の実態を見ることができる。考えることができる。豪華だけどミニシアターでかかるような志を持った作品。
 エンドロールで映った本物の祖母も母も主人公も映画とそっくりなのは、ビックリ。そこまでやらなくていいのに(笑)。超よくできた映画だし、心に残ります。ネットフリックスで公開中。

Hillbilly Elegy a Ron Howard Film | Amy Adams & Glenn Close | Official Trailer | Netflix