特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

バイデン氏の勝利演説(We take care of own)と映画『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ 』

 日曜日の朝はバイデン氏の勝利宣言の中継を見ていました。
www.tokyo-np.co.jp

 とにかくNHKを含めて、日本の報道は酷かった。
 マスコミは大接戦だったと言ってますが、今回の選挙はほぼ世論調査通りの結果です。事前に予想された接戦州が予想通り接戦になり、予想通りバイデンが勝ちました。
 むしろ共和党の牙城のアリゾナジョージアをバイデンが取ったのが意外だっただけです。マケイン上院議員の地元だったアリゾナなんか、まさに『死せるマケイン、トランプを走らす』じゃないでしょうか。実際に勝負を決めたのはペンシルベニアにしても、トランプの致命傷になったのはアリゾナです。

gendai.ismedia.jp


 常識的に考えても何万票も不正なんかできるわけがないのに(それができるのなら民主党が苦戦した議会選だって不正があったはず)、日本のTVは、郵便投票は不正というトランプの主張をまともに取り上げていたし(木村太郎なんかTVに出すほうがおかしい)、IFにIFを重ねた不確かな裁判の話(普通に考えてあるわけがない)を延々やっている。

●7日、トランプはペンシルべニアの高級ホテル、フォーシーズンズで訴訟を始める大会見を開くとtweet。しかし、会見が開かれたのは同名の造園業者の駐車場でした。アダルトショップと火葬場が隣にある植木屋の駐車場での記者会見の最中、バイデン勝利の知らせが入ってきました(笑)。

slate.com

 勝利宣言の中継では、バイデンは聞き覚えのある曲と共に登場してきました。ブルース・スプリングスティーン『We take care of own』です。

Bruce Springsteen - We Take Care of Our Own (Official Video)

 バイデンの演説の内容は『俺たちは自分たちで癒しあおう。自分たちの力で支えあおう』という歌詞そのままやんけ(笑)。元々はブッシュがハリケーン・アイリーンの被災者を放置したことに抗議した歌です。星条旗なんか関係ない、つまり『政府なんかあてにならない』って歌でもありますから、新大統領の登場に使われるのは違和感もありましたが(笑)。

www.nickiswift.com
目はどこにある、見る意志のある目は
慈悲に溢れた心はどこにある
俺を見捨てなかった愛はどこにある
俺の手、俺の魂を解放してくれる仕事はどこにある
俺の心を支配する精神はどこにある
アメリカの夢の約束は今この国のどこにある
星条旗がどこで翻っていようと
俺たちは自分たちで支え合う

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 ただ、力強い歌詞とは異なり、現実は厳しいと思います。
 バイデン氏が演説で国民の融和を訴えたのは正しい。それに感動的でした。しかしトランプが7000万票も取ったことは深刻な事態です。自分のことしか考えない、人種差別主義者の候補者に7000万人も投票した。人種だけの問題ではなく、貧富の差、それに伴う文化や教育の差がどんどん広がっています。産業だって、正直言ってアメリカの石炭産業や鉄鋼産業なんてどうにもならないでしょう(日本も一緒)。
 共和党よりはマシにしても、民主党も必ずしも若い人や産業構造の転換に苦しむ人たちに充分 手を差し伸べて来なかった。民主党主流派のバイデン氏にそれができるかどうか。左派のサンダース氏が労働長官、ウォ―レン氏などが財務長官という声も挙がっていますが、それが実現してもかなり難しい話です。

 それでも昨日はカマラ・ハリス氏の演説だけでも成果がありました。メアリー・J・プライジの曲に載って登場した彼女が言っていたように、『私は副大統領となる最初の女性かもしれません。しかし、私で最後ではありません。』と演説するのを世界中の大勢の少女が見ていたはずです。エリートとは言え、黒人でアジア系の女性が副大統領になるのを現実に見たわけです。

www.elle.com

 そしてバイデンの奥さんもファーストレディとして初めて、自分の職業を続けるかもしれない。そうなれば前代未聞です。やっぱり世の中は少しずつ変化しつつある。

 バイデンもハリスも中道派、世の中がガラッと変わるわけではないと思います。トランプのように自ら世の中を壊していくのは止まるかも知れませんが、そう簡単には変わりません。
 オバマ氏ですらアメリカの分断を結びつけることは出来ませんでした。賢くてスマートなオバマ氏より、田舎のじいさんみたいなバイデン氏の方が分断を癒すのには良いかもしれませんが、バイデン自身が言っているように↓、彼が率いたのは左から中道までの幅広い連合体です。そうでなければ勝てなかった。
 妥協すべき点は妥協して、お互いが支えあわなければならない。

 そもそも世の中を一遍に変えるのなんてムリだし、副作用を考えれば一遍に変えてもいけない。でも少しずつ変えていく不断の努力が必要なのでしょう。
 今回 アメリカは自らを変える力があることを示しました日本はどうでしょうか


 ということで、銀座で映画『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ
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jose-mujica.com

TV番組でウルグアイのムヒカ大統領に突撃取材した田部井監督は彼の人柄に惹かれてしまい、その後 何回もウルグアイを訪れるとともに、来日したムヒカ氏に密着取材し、彼の人柄を探っていく
●映画館に貼ってあった映画紹介のイラスト

 先日 高齢で政界からの引退を表明したムヒカ氏に関するドキュメンタリーです。
 ウルグアイの前大統領、ムヒカ氏については、今年の春 エミール・クストリッツア監督の素晴らしいドキュメンタリーを見たので、日本のTV監督が作ったこの作品は期待していませんでした。プロデューサーが『きみは何故総理大臣になれないのか』の大島新氏じゃなかったらスルーしてたかも。ですが、存外面白かった。
●本当に良い顔してる。内面は今でも激しい人ですが。
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 映画は田部井監督が生まれたばかりの自分の子供にホセと名付けたところから始まります。それほど彼は傾倒しているらしい。次にムヒカ氏が一躍 有名になった国連でのスピーチです。それ自体はいいんだけど、あまりにも有名すぎるので映画にするか~と思いました。安藤サクラの日本語ナレーションだし(笑)。
●農園で飼っている3本足の犬と一緒に。
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 しかし田部井監督がムヒカ氏とその周辺と会話をしていくと面白くなります。
 彼の書斎にはゲバラの胸像が飾ってあるし、彼はゲバラ日記の筆跡そのままの復刻版を宝物にしています。実際ゲバラに遭ったこともあるそうですが、心酔しているという感じでもないらしい。
 今に至るまで彼の基礎となった左翼ゲリラ時代の話もかなり詳しく出てくるし、武装闘争と富の再配分だけでは世の中を変えることはできない、という心境になった12年の辛い獄中生活(拷問付き)も語られる。
 日本の映画だとそういう点はスルーかと想像していたのですが、誠実な作りです。


 見ず知らずの日本人TV監督に非常に丁寧に対応するムヒカ氏。そういう人格なのだとしても、親切すぎる。その理由はムヒカ氏の隣人で、彼に菊作りを教えた日系人たちへのインタビューが入ってくると判りました。

 ムヒカ氏は親を亡くして貧しさにあえぐ中、日系人たちから菊などの花作りを教わって生計を立てていたそうです。その際、彼は勤勉で創意工夫に励む日系人たちに大きな刺激を受けたらしい。

 彼はかなり日本のことも勉強しているし、考えている。特に明治維新は興味があるそうです。長年アメリカの大資本にプランテーション状態に置かれ、工業発展が遅れたラテンアメリカの人らしい視点です。
 彼によると、日本が近代化で西欧の植民地主義を跳ね返したのは高く評価しているが、その代償として日本人は元来の自分たちの歴史から遠く離れすぎてしまった、と考えているらしい。
 この映画の主題が見えてきました。ムヒカ氏から見た日本、これは興味深い。

 後半は大統領退任後の日本訪問がクライマックスになります。退任後、世界中から招きを受けたムヒカ氏ですが、日本訪問を選びます。彼曰く、テクノロジーと歴史がある日本を見ることは、自分たちの未来を考えるうえでヒントになると思ったから、だそうです。

 ともすれば、我々は彼の言葉をただありがたがりがち、教えを請おうとしてしまいますが、彼は80を過ぎても自ら学んで未来を考えようとしているらしい。
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 銀座の街で広告を見て、『日本人は美しいのに洋服のモデルはなぜ西欧人なんだ?』というムヒカ氏。
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 ロボットの受付を見て無言のまま複雑そうな顔をするムヒカ氏。原爆資料館を見学してショックを受けるムヒカ氏。
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 『若い人と話したい』という彼の希望で開かれた東京外語大での講演会は印象的でした。
www.youtube.com

 普段のムヒカ氏は物静かですが、講演はまるで演説会のようでした。言葉も通じない、孫のような年代の子たちに本当に真剣に、情熱的に語り続けます。
『大統領になっても大したことは出来なかった。だから今も戦い続けている。自分の家の前の舗装も直している』

『人間の価値は富でも権力でもない』

『倒れても何度でもやり直すことが出来るかだ』


 ムヒカ氏にとって日本人の自主的な規律は不思議だったようです。ウルグアイのTVのインタビューに答えてこう言っています。
 1日に200万人も乗り降りする駅がある。それを日本人たちは自ら規律を守って乗り降りしている。私には信じられない。人間にとって何が幸せかはそれぞれだが、私はそんな日本に生まれなくてよかった。

●浅草にて。良い意味でそこいらのおっさんみたい(笑)
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 この映画はムヒカ氏というより、ムヒカ氏を通して日本人自らを考えるような映画でした。ボク自身は日本の治安の良さ、(まだ)戦争はしていない、経済はある程度発展している、などの点は日本に生まれてきたことは良かったと思っています。これからどんどん落ち目になっていくにしても、です。

 ただ、ムヒカ氏が言うように、日本人はあまり自由だと思いません。例えば、中国の人。共産党の悪口以外は良くも悪くもやりたい放題にすら見える。共産党の悪口以外、中国の人たちの方が精神的に遥かに自由に見える。

 これは自らの精神の問題なのだと思います。We take care of ownという自律の精神は日本人にはあまりない、と思う。意識的にでも、無意識にでも、集団の規範に何も考えずに従ってしまう。ムヒカ氏はそれを指摘していた。富のために我々は何を犠牲にしているのか。
 『本当に貧しいのは、足るを知らないということだ』というムヒカ氏の言葉は日本人にこそ、突き刺さります。


映画『ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ』予告編