特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『かすみ鴨』と読書『人新世の「資本論」』

 もう10月も半ばです。そろそろ布団が恋しい季節です。今朝は特に寒かったですね。
 コロナ禍の減速経済と言えども、寒くなってくるとせわしさも感じます。家にはクリスマスケーキのチラシとかが入ってくるけど、たぶん20年くらい食べてない(笑)。それでなくとも年末は太りますからね。


 こちらは 少し前に食べた鴨の胸肉とイチジク。
f:id:SPYBOY:20200905202215j:plain

 『かすみ鴨』とネーミングされた鴨は完全放し飼い、無農薬の自然飼料で育てられているそうです。その農園では、消費者に命の有難みを感じてもらおうとトサツ体験までやっています。本当はただパクパク食べてるだけでなく(笑)、そういうことも体験してみるべきなのかもしれません。
 それはともかく、身も味もふっくら厚い鴨さん(敬称付き)、脂は締まっているし、美味しかったです。


 しっかし文科省が国立大学などにバカソネ中曽根に弔意を表せ、って通達を出した件、呆れてものが言えません中曽根元首相に弔意要請 国立大に通知―文科省:時事ドットコム。しかも、『強制ではない』と政府は言い張る。


 
 要するに自分で責任は取らない、忖度=自主的な隷従を要求する、まさに日本の政府のお家芸サイアクじゃないですか。
 不沈空母発言の後、パーティーでイギリスの巨匠ケン・ローチ監督に『お前みたいな戦争屋とは握手したくない』と握手を断られた中曽根のような奴にはぴったりかもしれませんが。

 戦前も軍部や政治家が度々大学に介入しましたが、ファシズムは政治だけでなく国民の自主的な隷従によって形成されてきました。やっぱり、この国は随分おかしなところまで来ているようです。これで激怒しないのなら国民もかなり劣化しているのでしょう。



 さて、話題の著者による話題の本の感想です。『人新世の「資本論

人新世の「資本論」 (集英社新書)

人新世の「資本論」 (集英社新書)

 著者は昨年の哲学者マルクス・ガブリエルらとの対談本『未来への大分岐』やNHKスペシャルのコロナ特集『令和未来会議』にも出演していました。ご本人は自ら『環境主義マルキスト』と称しています。
 『未来への大分岐』では『白井聡と一緒で)今どきマルキストとか言ってる奴はやっぱりバカ』とは思ったけど、ガブリエル氏やハート氏など論客の話の引き出し方は面白かったし、NHKスペシャルでは『コロナ禍において金融やコンサル、広告代理店は何の役にも立たなかった』と放言していたのも、好感が持てます(笑)。

 タイトルの『人新世』とは『ノーベル化学賞受賞者のドイツ人化学者クルッツェンによって考案された「人類の時代」という意味の時代区分。人類が地球の生態系や気候に大きな影響を及ぼすようになった時代で、現在の完新世の次の地質時代を表している』そうです。
 まず、本の内容をアマゾンの紹介ページから貼っておきます。

 前書きでいきなり、著者はSDGsは大衆のアヘン、と言いきります(笑)。そのあと、こんな内容が続きます。

 国連を中心にした『SDGs』、『グリーン・ニューディールなど環境保護自然エネルギーへの投資による経済発展』、(*以前にもブログでご紹介した)リフキンなどの『再生可能エネルギーを活用した分散型経済』、ノーベル経済賞学者スティグリッツの民主主義や自然環境も重視する『プログレッシブ・キャピタリズム』など、資本主義を修正する動き、またMMTや脱緊縮などの議論は、どれも大量生産・消費を前提にした経済成長至上主義であり、地球温暖化問題を解決することはできない

 ボクは別にSDGsの肩を持つ気はないし、胡散臭さも感じますが、実際に160項目以上あるチェックリストを読むと、それなりに実効性は担保されていると思います。
 むしろ著者がSDGsの中身をあまり読んでない、ということが判ります(笑)。

 更に著者はこう言っています。

 もはや地球温暖化問題は焦眉の急で、これらの施策では生温すぎて間に合わない。資本主義は経済成長を前提としているが、経済成長を前提としている限り地球温暖化は止めることができない
 

 株主至上主義、利益最優先は論外ですが、今や日経1面にも出てくるほどの、社会や市民など様々な利害関係者を意識した『ステイクホルダー資本主義』のような修正資本主義でも気候変動に対応できないのか、それは判りません。

 でも石油産業の圧力で気候変動を否定するトランプのようなアホが出てくることを考えれば資本主義で気候変動に対応するのはムリ、というのは一理はあります。

 そこから脱却する道として、著者はマルクス晩年の研究を引用します。

 資本論』を書いた頃までのマルクスは経済成長を前提として共産主義に移行する生産力至上主義の道筋を書いており、環境保護とは相性が悪かった。
 しかし近頃発掘されつつある資料では晩年のマルクスは生産手段だけでなく、自然環境を『コモン』として共有化するのを目指していた。


 著者はそれを『脱成長コミュニズム』と呼んでいます。
 ちなみに、この『コモン』とは、
自然や水道、教育、医療など、宇沢弘文先生が提唱した『社会を成り立たせるために必要な社会的共通資本』と同義
 と著者は言っています。

 でも、マルクス研究者である著者には大事でしょうが、我々には晩年のマルクスがどうだろうが関係ありません。それを延々と論じる4、5章あたりは非常につまらない。
 コモンという概念を考案した宇沢弘文先生は改めて偉いとは思いますが、著者の「マルクスを深読みすると宇沢先生と同じことを言っていた」は、どうでもいいです。『くだらない』の一語に尽きます。

社会的共通資本 (岩波新書)

社会的共通資本 (岩波新書)


 後半は著者が唱える処方箋、『脱成長コミュニズム』論が展開されます。
 気候変動に対処するには4つの方向性がある、と言います。
気候変動に対応する4つの未来(第7章P281)
f:id:SPYBOY:20201012160921p:plain

 資本主義は欠乏をもたらすことが特徴である。資本主義は資源の囲い込みなど『本源的蓄積』によって成立したが、それは水や農地など『コモン』(公富)を解体、私有化することだった。『潤沢』だった資源を私有化して『稀少化』(欠乏)することで資本主義は成長してきた。コミュニズムとは『コモン』を取り戻すことである

 ここは面白い指摘です。

 元来は潤沢にあったものを、私的に囲い込んだり、制度や宣伝で稀少化することで欠乏させる、それが資本主義だ

 ただし水や自然は日本では潤沢だったかもしれないが、中東などではそうではありません。またコモンには医療や水道、教育など元々潤沢ではないものだってあります。
 はっきり言って粗雑な議論ですけど、欠乏させることが資本主義だ、は真偽は別にして、一考に値する議論だと思いました。

 著者は『脱成長コミュニズム』を実現させるために5つのポイントを挙げています。

1.使用価値経済への転換(大量生産・大量消費への脱却
稀少性ではなく、使用価値(有用性)に重きを置いた経済に移行することで大量生産・大量消費を止める

2.労働時間の短縮
使用する分だけ消費するのなら生産能力は既に充分であり、労働時間も短縮することが出来るはずである。

3.画一的な分業の廃止
大量生産・消費を前提としなければ、効率的だが人間を疎外させる分業を行う必要はない。分業を止めれば労働に創造性を取り戻すことができる。

4.生産過程の民主化
経済成長を前提としなければ、環境変化に応じて迅速な経営判断をする必要はない。従って民主的な意思決定によって経営を行うことが出来る

5.エッセンシャル・ワークの重視
使用価値を重視すれば、ケア労働など労働集約的な産業が重要になる。それによって経済を減速させ環境保護を進めることができる


 根本は1の『使用価値(有用性)』によって経済をコントロールしろ、という考えです。

 しかし問題は『その使用価値を誰が決めるのか』という事です。
 著者がNHKで言っていたように、『コンサルや金融、広告代理店などは世の中に貢献していない』は同感です。ああいうものは世の中に役に立つものを生産していない虚業だとボクも思います。クズですな。クズ。

 ましてゴールドマン・サックスみたいな連中が金を右から左へ動かすだけで年棒数億円(場合によっては数十億円)というのはおかしいです。日本のGSの社員が石原さとみと結婚したから言ってるんじゃありません(笑)。

 金融だの、広告だの、コンサルだの、人材派遣だの、そんな連中が、ケア労働や医療など本当に人の役にたっている人たちの数倍、数十倍、数百倍の報酬を得ているのはやり過ぎでしょう。金融取引への課税や連中の報酬やマージンの公開など、税制や規制でコントロールするべきだと思います。


 しかし、何が有用か無用かなんて誰が決める権利があるのでしょうか。著者は自治・相互扶助で決めると言ってますが、そんなことが可能なのか。

 以前 史上最高のドキュメンタリーと言われる『チリの闘い』でアジェンデ政権下で国有化された自主管理の工場を見て『こりゃあ、ダメだ』と思いました(笑)。労働者が皆で集まって方針を決めている光景がまるで幼稚園みたいだったからです。
 素人がよってたかって経営戦略まで決めるような企業に勤めたら、労働者こそ不幸です。そんな会社は、人気投票や情実で方向を決められかねないし、そもそも、いつ潰れるか判らない(笑)

 ましてポピュリズムが横行する先進民主主義諸国を見ていたら、自治・相互扶助だけでやっていくなんて無理なのは誰にでも判ります。国民の半分が選挙にすら行かないんです。

 (いくら自治と言っても)権力が、役に立つとか立たないを決めるのはおかしいに決まってます。自民党の連中が文系学部や日本学術会議をやり玉にあげているのと同じです。そういうのを許すから、LGBTは生産性がないと放言する杉田水脈みたいなクズ議員まででてくる。
●研究費もマトモに出さないくせに、バカな政治家が学問に口を出したがるから、学術研究も衰退、結果として日本が衰退する。


 環境破壊を防ぐことも必要ですが、役に立つか立たないか、誰かに決めつけられるような社会はまっぴらです

 権力は競争がなければ腐敗する。それが社会主義で失敗した20世紀の教訓です。
 著者の言ってることは『脱成長コミュニズム』ではなく、『気候毛沢東主義としかボクには読めません。生産手段や自然環境を共有化すれば万事解決、なんてあるわけない。


 人間をどうガバナンスするか、を考えれば、スティグリッツが言っている『プログレッシブ・キャピタリズム(社会的な視点や民主主義を意識した資本主義)ダボス会議などで盛んに議論されている『ステイクホルダー資本主義(株主だけでなく、消費者、顧客、自然環境など多元的な利害関係者を意識した資本主義)を、スピードアップさせることを目指した方が良いのではないでしょうか。

 ボクは競争なんか嫌いですが、競争しか人間をガバナンスする方法はなさそうだからです。共産党だろうが安倍晋三だろうが、競争がなければ誰だってサボるし、腐敗します。人間はそういうもの。
f:id:SPYBOY:20200813211634j:plain


 ということで、この本の結論は間違ってます(笑)。そもそもコミュニズムとか言ってる時点で大間違い
 が、舌鋒の鋭さやユニークな指摘は面白かったです。文章も平易で、サクサク読めます。部分的には、例えばエッセンシャルワークなど世の中に本当に役に立つ産業を重視すべきと言う指摘は全くその通り、と思います。

 ただし、言ってることを真に受けるべきではありません(笑)。コミュニズムか資本主義か、は問題じゃない市民が政治参加するかどうかが問題なんです。

●先日のNHK BS『英雄たちの選択』で板垣退助自由民権運動を成功させるため『国民の政治参加』を訴えて全国行脚したエピソードが紹介されていました。その頃から何も変わってない、ということかもしれません。

www.nhk.jp


  と、いう事で、今週も金曜官邸前抗議はオンラインです。

 エネルギー基本計画の見直し、女川原発の再稼働、汚染水放出、核廃棄物の処分場など原発を巡る課題も再び大きくなりつつあります。
 普通に考えれば、原発なんてコスト高で、あと10年ももたないでしょう。日本だけバカ高い原発の電気なんか使ってたら、日本がもつわけないでしょう。
 ましてや、税金や電気代を無駄な悪あがきに使うな!