特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『仔羊の丸焼き』と映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』

 楽しい楽しい3連休も終わってしまいました(嘆息)。3日休みがあると精神的にゆったりして、本当に楽しかったんだけどなあー。
 異動がある4月のことを考えるとウンザリしてくるので、とにかく3月いっぱい現実逃避しています(泣)。

 春はあけぼの、いや、春といえば仔羊(笑)。久しぶりに麻布で仔羊のフルラック、つまり、一頭丸焼きを食べてきました。
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 カットすると中身は美しいピンク色。
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 これはタスマニア・サーモンの燻製。分厚い半生の身の上にトマトと香草が載っています。
 外食産業は閑古鳥と言われていますが、ニュージーランドの農協がやっている、この店はいつも通り満席でした。
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 さて、ニュースでは東京の桜も満開とか言ってますが、ボクの身の回りでは今朝は8分くらいかな。あいにくの曇り空です。


 桜の開花で普段の年だったら華やいだ雰囲気になるものですが、今年はそんな感じじゃありません。それでもイベントは自粛(これも責任が不明確でタチが悪い)の割には、お花見や聖火リレーに大勢の人が集まっているそうで、もう、何がなんだかよくわかりません。

 コロナの経済対策も政府は旅行券とか言い出したんですって?(笑)

 相変わらず検査はまともに行われてないし、満員電車は今日も走っているけれども、イベントや会議は自粛しろとか言ってるんだもん(笑)。昨日も相変わらず安倍晋三防衛大学の卒業式で憲法改正とか言ってたそうですけど、防大の卒業式は自粛しないの(笑)?


 現実では 経済は大変なことになってます。世界中で人の行き来が出来なくなっているのですから、どうなっちゃうのか。
 ボク自身もこんな形で経済危機が起きるとは思いもよりませんでしたが、前にも書いたように今 企業の経営者は内部留保をため込んでおいて良かった(笑)、と思っているはずです。

 コロナウィルスで影響が大きい小売・レジャー/ホテル・運輸の3業種に勤める人は日米欧でざっと1億人。4人に1人の雇用が脅かされています
r.nikkei.com

 今 優先すべきなのは雇用だし、そのためには内部留保が必要です。政府は守ってくれないんだもん。今まで内部留保を吐き出せと共産党やいわゆるリベラルの人たちが散々言ってましたけど、そんなに簡単な話じゃないですよ。


 リチャード・クー先生によると、20年代世界大恐慌によって企業は内部留保を優先、投資を抑える傾向が強くなりましたが、ニューディール政策があったにも関わらず第二次大戦による軍需拡大で大増産が始まるまで10年以上、その傾向は終わらなかったそうです。今回もそういう傾向は何年も続くのではないでしょうか。

 ●●の一つ覚えの山本太郎に加えて、共産党、自民の一部、それに昨日は維新まで消費減税を言い出しました。
www3.nhk.or.jp


 こういうのを見ると、右左関係なく、この国が如何にポピュリズムに弱いかということを示しています。連中は消費減税の手間やタイムラグ、消費減税が金持ち優先になる事、まして財源問題で減税が将来の福祉切り捨てのリスクになるなんて事は考えもしない。

 この国では左右の違いなんて大した意味は持たないのではないでしょうか。
 かなりの数の日本人には事実より心情が大事なんです。右も左も目の前の現実を冷静に見ようとせず、心情に流される大衆の懐に直接関係する消費減税は、まさに分かり易いサンプルです。

 そして戦前も戦後もこの国のリーダー層は大衆の心情に媚びることを自分の権力の源泉にする。ボクにはそう思えてなりません。もちろん連中は本音では、大衆はその程度のもの、操れるもの、と思ってるわけです。

 ちょっと前に放送していたBS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた 昭和編」(25日に再放送)。
 政治部記者というより、大野伴睦や中曽根に接近して政界のフィクサーの役割を担っていたナベツネが『軍隊に幻滅して戦後加入した共産党で組織を動かす技術を学んだのは(政界工作や新聞社内の権力闘争で)実に役に立った』と述懐してました。ナベツネにしてみれば、大衆なんて操るもの、なのでしょう。そこには彼なりのリアリズムがあります。
 
 昭和の政治は良くも悪くも金、人情、義理で動いていた。合理的にひたすら金もうけを追求する新自由主義もごめんですが、金と人情で動き、時には非合理的な日本の意思決定システムを現代の我々は脱却することはできたのでしょうか。
 今回のコロナウィルス騒ぎを見ても、ひたすら消費減税を主張する人たちを見ても、日本の非合理的な意思決定の仕組みは根強いと思わざるを得ません。
www4.nhk.or.jp



 と、いうことで、新宿で映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実
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gaga.ne.jp

 1969年、世界的に学生運動が盛んだった時代。安田講堂が陥落した後に東大全共闘が企画した作家の三島由紀夫との討論会に迫ったドキュメンタリー。2019年にTBSで発見されたフィルムの原盤を修復、当時の全共闘や盾の会のメンバー、全共闘世代の橋爪大三郎内田樹瀬戸内寂聴、異なる世代の小熊英二平野啓一郎などの証言を交えて全貌を現したもの。監督はAKBのドラマ「マジすか学園」などの豊島圭介


 三島由紀夫全共闘も知識としては知ってますけど、ボク自身は思い入れはありません。
 三島は2、3冊読んでみて面白かったし、『何てきれいな日本語の文章だ』とは思いました。文章の美しさは文字通り天才だと思います。
 が、日本によくある私小説よりはマシにしろ、三島も自意識にこだわり過ぎと思います。特殊な生育環境などからコンプレックスを抱くのはわかるんですけど、センチメンタル過ぎる。

 アイスランドの歌手、ビヨークが金沢21世紀美術館で長期の個展を行うために来日した際のインタビューで『三島は大好きだけど、あれはティーンエージャーが読むものでしょ』とあっさり片付けていたのに共感します。客体化した個を切り刻むような創作を長年続けているビヨークからすれば、三島の自己を透視する目は甘い、幼稚に見えるのかもしれません。
 だから この討論会の1年後に彼が市ヶ谷で自殺したのも、ボクには全く理解できない。
●ジャケットはすべてビヨークの自画像です。

Debut + Bonus Track

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  • アーティスト:Bjork
  • 発売日: 2007/09/11
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ユートピア

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  • 発売日: 2017/11/24
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Homogenic

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  • アーティスト:Bjork
  • 発売日: 1997/09/22
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ヴァルニキュラ

ヴァルニキュラ

  • アーティスト:ビョーク
  • 発売日: 2015/04/01
  • メディア: CD


 全共闘にもボクは否定的です。既存秩序に風穴を開けた功績は認めますけど、遅れてきた世代のボクから見ると、彼らは学生運動後も含めて、ホモソーシャルファシスト保守反動の総本山にすら見えます。
 当時 運動をやっていた人に話を聞いても、運動内部の男女差別はひどかったし、実力行使で権力を倒そうという勝算皆無の発想が理解できないし、何よりも学生運動が終わった後が悪い。大多数は自閉的になったり、すっごく保守的になったりした(笑)。お前ら、いったい何だったの?

 ごく一部は真摯な人もいたとは思いますが、大部分は単に時代の流行だったんじゃないでしょうか。右か左かは別にして、人が流されやすいのは昔も今もたいして変わらない。全共闘の年代の少なからずの人が定年後 嫌韓・嫌中のネトウヨになっているのも非常によく分かります。


 その三島由紀夫と東大全共闘が公開討論をやったのは断片的には知ってましたけど、全貌を見るのは初めてです。
www.youtube.com

www.asahi.com

 映画は昨年TBSの倉庫から発見された記録フィルムをデジタル・リマスターしたものに、関係者のインタビューと今話題の東出昌大(笑)のナレーションを組み合わせたものです。先週 TBSが映画のTVスポットをガンガン流してましたけど、映画館の客席も満員でした。

 1969年5月13日、三島由紀夫は東大全共闘から招かれて、警視庁からの警護の申し出を断り、討論会に数人の盾の会の会員とともに、ほぼ単身で乗り込みました。
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 当時の三島は東大以外にも大学を回って講演をやっていたそうです。当時の駒場校舎は全共闘と対立する共産党系の民青が勢力下で講演会が行われた900番教室は全共闘共産党との中立地帯になっていたそうです。実際 民青が討論会を襲ってくる可能性もあった。
 映画では討論会が平穏に済んだのを奇跡的、と言っていましたが、その日 教室におよそ1,000人の学生が集まり、2時間半に及ぶ討論が行われました。
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 最初に三島が10分ほど、『君たちの思想には全く同調しないが、心情には共感する』という挨拶を述べてから、討論が始まります。会場には決闘という言葉が飛び交っていたように殺伐としたものを予想していたのですが、両者とも非常に穏やかな言葉なのが印象的でした。双方がタバコの火を交換するシーンも見られます。

 驚いたのは全共闘たちが言っている言葉の意味が全く分からないこと(笑)。ボクの知識の問題もあるかもしれませんが、何を言っているかわからないのには文字通り頭を抱えました(笑)。

 彼らの言葉は当時の流行の意味で使われていて、いわば自分たちの専門用語なんです。『空間』とか『時間』とかの言葉がやたらと飛び交うのですが、何を指しているのかボクには正直 ちんぷんかんぷん(笑)。
 経理でも法律でもITでも、良く判ってない奴はやたらと専門用語、聞きなれない用語を使いたがるものです。最近で言えば、『クラスター』とか『オーバーシュート』みたいなものでしょうか(笑)。


 当時の学生たちが大学当局や政府・社会を批判して、そこからどうやって脱却するか、解放されるかということを論じているのはわかるんだけど、空理空論にしか聞こえません。抽象論ばかりで本気でそんなことを考えていたとはとても思えない。連中は単に甘えているだけなんじゃないか。簡単に言うとただのバカ。
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 三島はそれをいなすようにも見えながら、正面から受け止めて語り続けます。詭弁でごまかしたりしない。本音で話している。
 そこは感心しました。よく考えてみれば当時の三島は40代半ば、学生たちは20歳そこそこ。親子の会話とでもいえなくはない。
 途中 会場から飛び入りが乱入したりしますが、三島は動じないし、丁寧語を使った語り口は変わりません。
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 思ったのは当時の三島はまさにスター、ということ。
 実際 三島は週刊誌などにも取り上げられる芸能人や財界との派手な交友や右翼民兵である盾の会などの特異な活動をしていたわけですが、存在感が非常にある人だったんですね。
 記録フィルムの中でボディビルで鍛えた肉体を薄着で誇示しながら、目を見開いて明朗快活に聴衆に語りかける三島からは、キラキラしたオーラが発せられているかのようです。結構カッコいい
 すべて当人の計算づくだったようですが、それでも大観衆の前でそういうことができるのだから、やはり彼は千両役者です。
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 映画では、双方の率直な議論は思わぬところで収束したように見えました。対話を続けているうちに、どちらが言ってることも経済優先・アメリカの言いなりになっている日本の偽善的な在り方に対する『反米愛国運動』なのが浮き彫りになってきます。これは文字で討論を読んでるだけじゃわからなかった

 三島が『天皇』に固執するのはたまたまに過ぎません。三島はアメリカによって作られた象徴天皇という制度に強い違和感を持っています。同時に守るべき日本文化の象徴として天皇という言葉を使っているけれど、それは分かり易いからです。自分でも『天皇制に肩入れするのは)たまたま天皇から学習院の卒業式で成績優秀者の時計をもらったから』(笑)と言ってましたが、まさにそうなんです。
 ボクも含めて、人間なんてそんなものです。良くも悪くも、個人的な動機が一番エネルギーが強い。

 一方 全共闘の側だって、左の立場にたっているのは『たまたま』にしか見えません。別に彼らは働いているわけでもないし、左である必然性は感じられない。だから空理空論を振りかざす『ためにする議論になってしまう。

 三島にしてみれば、社会変革を求める全共闘も同類だったんです。両者は反米愛国であると共に、『大衆は操ればいい、と思っている権力者に対して抵抗しようとした』。その心情はわかります。
 三島は表面的なイデオロギーに囚われず、そのことに対して意識的だったのは全共闘の若い子とは全く違いますけど、最後は市ヶ谷でミイラ取りがミイラになってしまった。
 
 しかし、『反米愛国運動』に過ぎないというところが全共闘や三島の限界だし、今の日本のリベラルの多くもその域から脱してないからこそダメなんだ、とボクは思います。

 アメリカという頸木からも愛国という心情の枷からも脱することができないから、新たな地平を構想していくことができない。自分たちのルサンチマン、心情ばかり優先するのではなく、もっと経済、法律、統治のメカニズムを考えなくちゃいけない。

 その頃は構造主義なんて言葉は広まっていなかったのでしょうが、もっと世界を相対化しなくちゃいけない、もっと個を突き詰めなくちゃいけない、その上で自分が何を選ぶか、責任を持って決めていかなくてはいけない、と、ボクは思います。
●この映画でもサルトルはあっさり却下されてました。でも現代の分断を乗り越えるには、構造主義のような相対化の極北を乗り越えなきゃならないんだから、それを認めた上で実存に行くしかないでしょう。


 映画は討論後の三島の死と全共闘のその後も取り上げます。
 三島は太平洋戦争当時 学徒動員には行ったけれど死は免れ、生き残ってしまったという負い目を持っていたそうです。彼の市ヶ谷での切腹もそれに影響されているのではないか、といわれています。

 全共闘の面々はどうか。
 インタビューの中ではいまだに虚勢を張ってる、つまんない奴(演劇家の芥正彦)もいましたが、当日 司会を担当した木村(元地方公務員)の『時代に収束していった。時間はかかったけどね』という言葉、当日は客席にいた橋爪大三郎東大名誉教授の『学生運動という戦争に負けても)ボクたちは死ななかった』という言葉は胸に残りました。この人たちは学生運動が終わっても自分と向き合い続けた、全共闘の中でも いわば上等な部類だとは思いましたけど。
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 インタビューと解説、記録フィルムを取り混ぜた構成は巧みだし、分かり易い、全然退屈しません。
 それにクールに、全共闘のその後に食い下がるところは素晴らしかった。監督は討論会後に生まれたそうですが、AKBの『マジすか学園』を作っていたとは思えません(笑)。

AKB48 マジすか学園 DVD-BOX(5枚組)

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  • 発売日: 2010/05/28
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 映画は、三島も全共闘もお互いに熱と敬意と言葉があった』と指摘して結ばれます。それはその通りだと思いました。ネットで無責任なデマや放言をまき散らしているような連中とは違う。彼らは『熱』を持っていたというと時代性に片付けられてしまいそうだけれど、それは(少なくともその場だけでも)自分の発言に責任を持とうとしていたということです。言葉に責任を持つというのは現在にも通じる普遍的なことです。そして、もちろん『熱』は免罪符じゃありません


 この映画を見て、全共闘とは何だったのか、当時の時代はなんだったのか、少しクリアになった気がしました。それは『マジすか学園』(笑)の豊島監督の手腕なのか、50年という時間が必要だったのか、は、わかりません。多分両方でしょう。

 三島にも全共闘に興味がなくても、映画は全然平気です。予備知識もなしで大丈夫だし、確かに三島はカッコいい(笑)。じりじりするような当時の緊迫感も、討論会や時代を描く視点も鋭い。けれど観客に結論も押し付けてこない。
 
 ドキュメンタリーとして、かなり面白かったです。マジで面白い。お近くで上映されたら、見逃さないことをお勧めします。

映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』予告編