特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

胸いっぱいの愛情を:映画『止められるか、俺たちを』

今朝の東京は12度くらい。寒かったです。
家にはおせちやクリスマスの宣伝が入ってくるようになりました。もう年末の声が聞こえてきています。先週末 街を歩いていると七五三の格好をした子供とハロウィンの仮装をした子供が一緒に歩いていました。うーん、なんだか良く判らない(笑)。こういう国は世界中で日本だけかもしれません。
●土曜の朝、森の中。明治神宮天皇制という邪教の地ですが(笑)散歩コースとしては悪くないです。


今回の映画の感想は言いたいことが山ほどあります(笑)。今年の邦画は『万引き家族声なき人々の物語:映画『万引き家族』と『フロリダ・プロジェクト』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)や『カメラを止めるな超満員のお話:映画『カメラを止めるな!』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)、『菊とギロチン傾く時代の中で:映画『菊とギロチン』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)など素晴らしい作品がありましたが、今回は今年の邦画ではベストかも。非常に感動したんですが、そういう映画こそ、言いたいことが山ほどあるんです。


ということで、新宿で映画『止められるか、俺たちを『止められるか、俺たちを』公式サイト 10月13日(土)よりロードショー

1960年代末〜71年、日本初めての独立映画プロダクション、若松プロの活動を当時 在籍した女性助監督、吉積みゆきの目から描いた群像劇


●日本初の独立映画プロダクション若松プロの69年〜71年の姿が描かれます。中央サングラスが井浦新が演じる若松孝二監督、その左が門脇麦が演じる新人助監督、吉積めぐみ。


まず、若松孝二という監督の紹介から。ボクも映画を見るまで、詳しくは知りませんでした。
2012年に交通事故で亡くなった映画監督、若松孝二宮城県出身、農業高校を中退、家出し上京。新宿でヤクザになり、1957年に逮捕されました。半年間、拘置所に拘禁されて屈辱的な扱いを受けたことを根に持ち、テレビの助監督を経て『映画の中でなら警官を殺せる』と映画監督になったそうです(笑)。
その後 65年に規制に囚われない日本で初めての独立映画プロダクション、若松プロを創設、タブーなしに政治や性を描いた作品は当時の若者たちから大きな支持を受けたそうです。若松プロからは高橋伴明監督や今作の白石和彌監督、それに日本を代表する脚本家の荒井晴彦ウルトラマンの脚本を書いた佐々木守など様々な人材が育ったことでも有名です。調べてみたら アニメの『日本むかし話』も『ウルトラマン』も『ウルトラセブン』も『アイアンキング』も『ルパン三世』も若松プロの出身者が書いている。すごい。
それだけでなく上映を手伝っていた女子学生があさま山荘事件の直前に連合赤軍内ゲバで殺されたり、中東で日本赤軍に加わったスタッフもいる。若松プロの中心人物の一人でもあった足立正生という監督もパレスチナへ渡って日本赤軍に合流、私文書偽造で服役しています。ちなみに足立氏は現在は刑務所から出所(笑)、ちょうど2週間前 NHKで放送されたドキュメンタリー「1968 激動の時代BS1スペシャル - NHKにも出演していました。
●78歳の今も『真実を追求するにはカメラとライフル、両方が必要だ』という足立正生。でも『パレスチナ・ゲリラや赤軍派はカメラの前で「やらせ」が多すぎる』と語っていました(笑)。

●映画の中の足立正生山本浩司)(左)と井浦新演じる若松監督(右)。NHKで見たばかりの足立氏の仕種とそっくりなのでびっくりした。あと、こんなに温和で良い人だったとは思いませんでした。


若松監督は演出の腕も確かで、寺島しのぶにベルリン映画祭で最優秀女優賞を取らせたのを筆頭に、井浦新や満島慎之介など若松作品への出演が飛躍の契機となった俳優さんも多い。晩年の作品に出演していた井浦新は特に彼に傾倒しており、若松作品に合わせて、それまでのARATAという芸名を変えてしまったことでも有名です。今作はこの井浦新が若松監督を演じています。有名パンクバンド『ソニック・ユース』のメンバー、ジム・オルークが若松映画に惚れ込んでサントラを作るために、そのまま日本に住みついてしまったことも有名です。
ソニック・ユースのこのCDジャケットをSEALDsがパクったことでも有名

GOO

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ただ、ボクは若松孝二の作品はあまり見ていません。ベルリン映画祭で寺島しのぶが主演女優賞を取った『キャタピラーむなしさの中の青色:キャタピラー - 特別な1日(Una Giornata Particolare)や『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち純粋と幼稚:映画『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)は面白かったけど、若松の過去作品をそんなに遡って見ようとは思いません。全共闘世代に支持されたっていうところがどうも胡散くさい。ボクは昔のフォークソングとかその類の文化は過度な自己陶酔、自己憐憫を感じるから大嫌いなんです。井浦新が俳優業に目覚めるきっかけになった傑作の誉れ高い『実録・連合赤軍』ですら、見ていない。最初からバカだって判っている連合赤軍の陰惨な話なんか好き好んでみたいと思わないですもん。


だから『兇悪』、『日本で一番悪い奴ら』などで最近のヒットを飛ばしている白石和彌監督(映画の舞台となった60年代末の遥かあと、90年代に若松プロに在籍)を始め、スタッフも俳優も、かっての若松プロの人材が結集して作られた、この作品もあまり期待しないで見に行きました。大好きな井浦新若松孝二をどう演じるか、どう考えても似合わないだろ、くらいの興味しかありませんでした。
●どう考えても井浦新は若松監督とは似ても似つかないだろと思ったら、役作りは完璧でした。彼の人間性までよくわかる。なおかつ井浦のオリジナリティが発揮されている。脱帽です。うしろにはゲバラの肖像が飾られています。


見てみると、映画の印象は事前と全く違っていました。
舞台は69年、世界中で反体制運動が起きていたころ、門脇麦が演じる吉積めぐみという21歳の女性が、既に若松プロに入っていた友人に連れられて原宿の若松プロにやってきます。独立プロ故、とにかくお金がない。若松監督からはいきなり『給料は払わん』(笑)、『3年我慢できたら監督にしてやる』と宣言され、過酷かつ風変わりな現場で朝から晩まで働かされます。ブラック企業どころじゃありませんが、当時はどこもそうだったそうです。
若松プロや周辺にはのちに名を成すような人が大勢出入りしています。先ほど挙げたような人たちの他にも大島渚赤塚不二夫佐藤慶渡辺文雄篠原勝之など多士済々です。映画には出てきませんが、かってビートたけしは吉積めぐみの部屋に居候したこともあったそうです。新宿のフーテン仲間だったらしい。めぐみを連れてきた友人、秋山も後に無印良品チェッカーズ(歌手)のプロデューサーになりました。当時はお金もないが、規制もタブーもない、けれど、刺激と熱気はある。 
●タイトルが出てきたこの場面、タイトルが表示されるとすぐ、左下でシンナーをぷかぷか吸ってる女の子が映ります。当時を笑い飛ばす意識が感じられて、やるな!と思いました(笑)。


年代はボクより遥かに上の人たちの話ですけど、お話しの舞台となる原宿のセントラルアパート(当時 有名人が大挙して住んでいた伝説のアパートメント)や雑然とした当時の新宿の雰囲気は、ボクも幼児の頃の漠然とした記憶があるので、そういうところも面白かったです。でも映画に出てくるセントラルアパートが実際とは全然違っていたり、レコード屋に70年当時はなかったパンクのコーナーがあったり、細部にこだわらないところも若松プロの映画らしい(笑)。
若松プロの面々。しょっちゅう飲んでいます。実際のセントラルアパートの中はこんな感じじゃありません。進駐軍用のもっとモダンな建物です。


登場人物たちはやたらと酒、それもまずそうなウイスキーの水割りやストレートを飲みまくる、タバコを吸いまくる、理屈になってない議論を延々やっている、など当時の風俗は見ていて嫌だなあ、と思います。今から見れば、あんなにバカバカ、タバコを吸ってるなんて信じられません。フォーク・ギターを弾いて歌う歌もやたらとキモい。普段だったら、ボクはそういうシーンだけで拒否反応を起こします。けど、この映画で見ると不快じゃない。
●全編に渡って、タバコの煙がモクモクしています。今だったら犯罪行為です。


この映画は、当時を単に回顧するだけだったり、昔は良かったみたいな自己憐憫の空気は、ない。若松監督と縁がなかった門脇麦が演じる吉積めぐみという女性の視点から描いているからかもしれません。門脇麦の演技力が強烈なのは判っていたけど、この映画でも全開です。門脇麦のあか抜けなさが当時の女性らしく見えるし、時には今の女の子らしい表情も見せる。絶妙なバランスです。当人は『映画のことを何も知らずに若松プロに入った吉積めぐみと若松監督のことを何も知らずに現場に入った自分が重なった』と言っているそうですが、なるほど。ちなみにボクはその中間かな(笑)。
門脇麦のこの表情!


井浦新は大好きな俳優ですけど、若松監督を演じるなんて大丈夫かよ、と思って見てました。これがお見事でした。阪本順治監督がこの映画について『井浦新は自分にないものに近づこうとして演技をしている』と述べていましたが、なるほど、まさにその通りです。徹底的に茶化した演技に徹していて大正解でした。周囲は理屈屋の映画青年や左翼活動家ばかりですが、若松孝二という人はそういう呑気な連中とは一線を画したリアリストだったのが良く判りました。彼は映画を作るためにお金を集めなければならないんです。彼だって理想を追い求めてはいたけど、それだけじゃなく現実社会に向き合っていた。そこが彼と左翼の活動家連中との大きな違いです。
でもね、それだけじゃないんです。事務所に出入りしている活動家の女の子がおにぎりを握れなくて四苦八苦するシーンがあります。若松監督が『おにぎりを三角に握ることもできないで革命ができるのか?』と笑いながら話しかける場面です。世間知らずで生活能力がない、当時の活動家の子たちをよく象徴するシーンではあります。でも、それだけではありません。その女の子は数か月後 連合赤軍の総括で殺害されます。パンフやTwitterで知って愕然とした。そういう女の子をわざわざ実名を入れて描いたことに込められた思いを考えると、堪らない気持ちになります。


満島真之介高岡蒼佑高良健吾寺島しのぶ奥田瑛二、など若松プロゆかりの有名俳優がバンバン端役で出ているだけでなく、当時の人物でまだ生きている人も大勢カメオ出演しているのを探すのも楽しかったです。あと曽我部恵一の音楽も良かった。ちょっと当時のフォークっぽいアコースティックな響きを残しながら、美しい音色で映画全体をチル・アウトさせている。時折流れる当時の歌は勘弁ですが、インストものは実に良い仕事です。
●『俺たちの映画を見に来る客なんか、俺たちと考えは同じに決まっている。もっとワールドワイドに、多くの人に届く映画を作らなきゃダメなんだよ』と吠える大島渚高岡蒼佑)。今と同じようなことを話していたんだ!(笑)

荒井晴彦役の藤原季節(昨年M・スコセッシの『沈黙』に出てきました)。後年 荒井晴彦は『時代屋の女房』『Wの悲劇』『探偵物語』『共食い』などを書いて日本を代表する脚本家になります。


若松はいかがわしいピンク映画を撮ったり、土地や宝石転がし、怪しいクスリ、インチキ商売で資金を作っては、自由な映画を作っていきます。過去の作品の撮影シーンが再現されるところは本当に面白い。低予算でいい加減、過酷な現場なんだけど、人々が生き生きしている。今 それらの作品を見るとつまんないとは思いますが(笑)。


やがて若松監督と足立はカンヌ映画祭の帰りにパレスチナへ寄り、旧知の日本赤軍重信房子パレスチナ・ゲリラ(PFLP)の訓練キャンプを映像に収めます。当時の国際社会はイスラエルの宣伝を鵜呑みにして、パレスチナのゲリラはテロリストと思われていたから、若松たちの行動は文字通り命がけです。ゲリラたちは撮影に応じてくれ、仲良くなったけど、ある日 若松たちを追い出すように山から降ろします。次の日ゲリラはイスラエルの総攻撃を受けて多くの死者が出ます。ゲリラたちは攻撃を受けるのを知っていて若松たちを敢えて山から降ろした。
そのことが忘れられない若松と足立は素材を基に映画『赤軍 - PFLP・世界戦争宣言』を完成、ところがパレスチナ・ゲリラの映画なんか上映する映画館なんかありません(笑)。

赤軍‐PFLP 世界戦争宣言 [DVD]

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若松プロの面々は自分たちでバスを真っ赤に塗って、共鳴した左翼活動家たちも乗せて日本全国自主上映の旅に出ます。吉積めぐみも上映の旅に出たがるのですが、若松から『お前は残って映画を作れ』と参加を止められます。そこで事件が起こります。


吉積めぐみは、映画を作ることで何か違う者になりたい、違う場所に行きたい、と思っていました。けれど何を描いて良いかわからない時間はあるけれど、焦燥だけが募っていく。この映画で描かれている登場人物はほぼ全員そうです。そして映画で世界と戦っている、映画で世界を変えたいと考えています。その思いは今 この映画を作った人たちにも引き継がれている。だからこういう映画が出来たんだと思う。


ただ、解説で映画評論家の四方田犬彦が、吉積めぐみの終盤の描き方はもっと夢のある描き方でも良かったのではないか、と書いていたのは同感でした。吉積めぐみは女を捨てることで何者かになろうとした。全共闘の中でもそういう女性は居たんじゃないでしょうか。当時はバリケードの中でも女性としての役割を押し付けられたからです。バリケードの中に立てこもっている中でも炊事をさせられたという女性活動家の話を聞いたことありますけど、進歩的だったはずの全共闘若松プロのメンバーの中でさえ、そういう意識はあった。それが当時の限界ですし、ボクが当時の学生運動の連中を『偽物』と非難してやまない点でもあります(笑)。この映画の吉積めぐみの描き方も出来れば、もうちょっと捻りがあってよかったかもしれません。これが昔の日本映画、ATGみたいなジメジメした描き方だったらボクは激怒したと思う。でも、この映画は違う。この映画はそれだけではない。


めぐみが亡くなったあと、若松監督が新作のスポンサーに『今度の映画でも警察を爆破してやりますよ、わはは』(笑)と電話で話しているところで映画は終わります。バカですよね(笑)。でも、そこで涙が出てきたんです。これは何なんだろう、自分でも不思議でした。
後で必死に考えたら(笑)、それは、この映画は、登場人物とその時代を、彼らの熱さに負けないほど、それこそ胸いっぱいの愛情を込めて描いているからだ、ということに気が付きました。若くして亡くなった吉積めぐみも、この映画の中では愛情に包まれている。ボクは人間はこれだけ温かい気持ちを持つことが出来る、ということに感動したんです。若松プロが残したものは思想とかイデオロギー、過激さではなかった。残ったものは数々の映画作品だけでなく、彼らの熱と愛情だった。本人たちはそこまで意識していなかったかもしれないけど。
●晩年の若松孝二監督。強面ですが優しい人だったということは判りました。



当時の彼らはやってることはバカで滅茶苦茶なんだけど、この作品は一歩突き放して、それを笑えるように作っている。だから彼らの面白さが伝わってくる。彼らが本気で面白がっていたことが伝わってくる。それがこの映画の愛情であり、エネルギーです。ボク自身だって、吉積めぐみと同じようなことを考えていたわけです。『自分は何者かになりたいと思っていたけど、何をすればよいのかわからない。』。多くの人がそうじゃないでしょうか。だから、この映画は今の映画になっている


若松監督の死後 若松プロ再開第一作だそうですけど、若松孝二の映画より面白いです。全然似てない、と思っていた井浦新若松孝二門脇麦の吉積めぐみ、エンドロールで見た当時の写真と、そっくりでした。それだけでなく映画の各シーンも当時の写真とそっくり。こんなに綿密に作られていたんだと、おそれ煎り豆!。思わず滅多に買わないパンフレットを買ってしまいました。
これはもう、傑作の類です。井浦新門脇麦の代表作になるかもしれません。エネルギーと愛情にあふれた素晴らしい作品です。もう一回 見に行ってきます(笑)。