特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

声なき人々の物語:映画『万引き家族』と『フロリダ・プロジェクト』

昨日の新潟知事選の結果は残念でした。
朝日の出口調査によると、再稼働に反対する人は過半数を遥かに超える全体の65%もいたそうですが、与党系の候補がそのうち37%を取り込んだそうです。危惧していた通りです。

花角氏、再稼働反対票も取り込む 新潟知事選、出口分析:朝日新聞デジタル


与党は大票田である新潟市の票が前回の知事選より伸びたことが勝利につながったそうです。市町村別の得票をプロットした下図を見ると、赤やオレンジなど暖色系が前回より与党の票が伸びた地域で、海沿いの新潟市中央区などが特に与党の得票を伸ばしています。佐渡は与党系候補の出身地なので仕方ない(笑)。

どの市町村で差がついているのか? 新潟県知事選の得票率と得票数を地図化|みらい選挙プロジェクト情勢分析ノート|note
ちなみに新潟市投票率も前回より上がっています。

どの市町村で差がついているのか? 新潟県知事選の得票率と得票数を地図化|みらい選挙プロジェクト情勢分析ノート|note
組織動員もあるかもしれませんが、与党は原発に疑問を持つ人や無党派の取込もうまく行ったと言えるでしょう。原発の争点隠しが功を奏したと同時に、野党は原発のことだけ訴えても勝てないということを改めて示されました。短期間に野党共闘の体制を組んで与党と互角の体制にまで持ち込めたのは大きな成果だと思いますが、それでも野党共闘だけでは勝てない
311以降の選挙は毎回毎回そうなのですが(怒)、野党は経済政策など他の争点も訴えられるようにならないともうちょっと頭を使わなければ勝てない、わけです。原発の争点隠しをしてくることなんか最初から判ってるんだから、少しは頭を使えって!ボク自身は必ずしも野党が政権を取らなくてもいいから、今の政権が終わってくれることを望んでいます。経済も外交も大多数の人の利益に反することばかりやっているし、何よりも嘘をつくような政権というのは許し難い。ただ安倍晋三を退陣させるためにも当面は野党が選挙に勝ってくれなければ流れは変わらない。
首相だけでなく、野党まで愚かなのも日本にとって不幸なことです。
マクロン仏大統領のG7ツイート。安倍なんか影も形もない〜。やっぱり蚊帳の外(笑)

●もう一つの与野党対決となった東京の中野区長選は野党の候補が与党系の現職を破りました。また区議会補欠選挙立憲民主党の新人が与党を破りました。

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20180611/0012909.html



今回は どちらも共通するテーマを扱った、どちらも抑制が効いた語り口の、そしてどちらも圧倒的な作品です。話が長くなってしまうのですが、どうしても一緒に取り上げさせてください。
まず、新宿で映画『万引き家族是枝裕和監督 最新作『万引き家族』公式サイト

舞台は東京の下町。治(リリー・フランキー)と息子の祥太(城桧吏)は、アパートのベランダで寒さに震えるじゅり(佐々木みゆ)を見掛け家に連れて帰る。見ず知らずの子供に困惑した信代(安藤サクラ)だが、傷だらけの彼女を見て一緒に暮らすことにする。信代の妹の亜紀(松岡茉優)を含めた一家は、初枝(樹木希林)の年金を頼りに生活していたが……。


カンヌ映画祭で最高賞、パルムドールを取った作品です。万引きで生計を立てる一家がテーマということで、映画を見てもいない(笑)バカなネトウヨ反日映画とレッテル貼りしたのも話題になりました。先日 高畑勲監督の追悼でTV放送された『火垂るの墓』で幼い兄妹の死を自己責任と言っている低能がいましたが、日本人のリテラシーはどんどん劣化している。期せずしてこの映画は、日本人の知的劣化をも示す作品にもなってしまいました。


是枝裕和監督の作品はボクの苦手な家族をテーマにしたものが多いので、ボクは前作の『海街ダイアリー』くらいしか見たことがありません。人間関係がどろどろしたものって好きじゃないんです。こまやかに作られた『海街ダイアリー』はとても面白かったけど、今作もカンヌで受賞しなければスルー予定でした。


この映画は胡散臭さが如何にも、という感じのリリー・フランキーが息子と一緒にスーパーで万引きをした帰り道、2月の屋外に放り出されたままの女の子を見つけるところから始まります。


コロッケを差し出すと美味しそうに食べる女の子は最初 殆ど口をききません。寒空に放置するわけにもいかないので家に連れ帰ると、腕に傷がある。ネグレクトだけでなく、DVも受けているに違いがありません。彼らは見ず知らずの女の子と一緒に暮らすことにします。このエピソードが示すように、この映画は全てをみなまで語りません。センチメンタルや物見高さを排除し、複雑な事情を観客に想像させるに任せる。優れた映画はそういうものですが、この映画はその抑制が非常に効いている。ちなみにこの前 目黒で親の虐待で女の子が亡くなった事件があったじゃないですか。あの女の子はこの映画と同じように、親から真冬にベランダで放置されていた(怒)http://www.yomiuri.co.jp/national/20180607-OYT1T50007.html?from=ytop_top。ボクは死刑制度廃止には簡単に組しません。子供や犬を虐待するようなバカはさっさとぶち殺したほうが良いです。生かしておく価値なし。


治(リリー・フランキー)は建設現場、信代(安藤サクラ)はクリーニング工場でパート勤めをしていますが、どちらも不況で安定しない。彼らは樹木希林演じる祖母の月7万円の年金を頼りに暮らしています。足りない分は万引きで辻褄を合わせている。
乱雑に散らかった家、インスタントものが多く、おかずがあっても1種類だけの食卓。娯楽はパチンコやTV。貧困家庭の描写が非常にリアルです。だけど、彼らは生計の立て方を除いては、超まともです。お互いが適度に距離を保ちながら、心底では相手を思いやっている。二人きりになったときは本音で話している。正直、ボクはこんな温かい家庭で育ちたかったと思いました。


でもこの映画は万引きの話でもなければ、家族の話でもありません。
今の日本社会の冷酷さと貧困に対して、寄る辺がない者たちがどうやって立ち向かうか、というお話しです。映画が進み登場人物たちの事情が分かってくるにつれて、家族をテーマにした映画ではないことが判ってきます。映画では万引き家族の温かい雰囲気とエリート家庭の中にある孤独やDVが執拗に対比される。一見豊かそうに見える日本の漂白されたような社会の偽善があらわになります。子供たちに手を差し伸べる駄菓子屋の爺さん(柄本明)があっさり亡くなってしまい、店は閉店してしまうのも、何かを象徴している。


見ているうちに、これは日本の『わたしはダニエル・ブレイク』だと思いました。2年前にカンヌのパルムドールを取った、昨年のボクのベスト1作品、貧困にあえぐシングルマザー一家を失業者の爺さんが懸命に救おうとするケン・ローチ監督の傑作です。ケン・ローチ監督は、社会の片隅に追いやられた者たちの物語を新自由主義への怒りを込めて描きましたが、是枝監督は、一度レールから外れると公的制度からも社会からも、まるで村八分にあっているかのように扱われる日本の社会の酷薄さを静かに告発しています。『わたしはダニエル・ブレイク』では直接的な怒りが国家や政治家に向けられます。『万引き家族』には直接的な怒りをぶつける相手は出てきませんが、日本に暮らす人々を抑圧する『空気』が執拗に描かれる。登場人物たちが作った『家族』は抑圧と戦うための手段に過ぎません。
しかし『わたしは、ダニエル・ブレイク』も『万引き家族』も正義感やイデオロギーは感じられません。普段は無視されている当事者の声として表現している。昨年のカンヌ映画祭パルムドールザ・スクエア』は移民の話でしたが(ボクはこの映画嫌い)、それも含めて『わたしはダニエル・ブレイク』や『万引き家族』のような作品が続けてパルムドールに選ばれるということは先進国の状況を象徴していると思います。一部の繁栄の陰で無視されている人々がいて、それは着実に増えている。それも多くは女性や子供。そんなバカな社会に未来がありますか?


この映画では、彼らの生活のどこかに存在しているであろう暴力や貧困、社会からの阻害、そういうものは直接は描かれません。しかし、彼らの生活をほのぼのとした眼で描くことで、無意識に彼らを追いつめている何かの存在が暗示されます。家族役のどの俳優にも見せ場がある。樹木希林安藤サクラリリー・フランキー松岡茉優、それに子役の二人まで、一人の人間としての重みが描かれる。俳優さん、それぞれが名演だし、是枝監督の脚色も素晴らしいと思います。安藤サクラの演技がすごいのは当然と言えば当然ですけど(相変らず、凄すぎて少しうざい)、特に奇妙にエロ可愛かった松岡茉優。この子が仕事を終えた後『今日は楽しかったことがあったんだ』と話す場面はあまりにも儚くて美しくて号泣させられました。ボクは彼女の職業は経験したことはありませんが、ほぼ同じ気持ちは抱いたことがありますから。


あと子役の佐々木みゆ(下写真左)の可憐さ、寒さに震える姿、過去を思い出して怯える姿、徐々に心を開いていく姿、子供らしいあどけなさを保ちながらも抑制が効いているこの子の表情は芝居なんでしょうか。そして一人アパートの廊下で遊ぶ姿。結局 希望は子供にしかない。


『これは家族の物語』と思っていた観客はお話しの終盤で文字通り、それは違う、ということを見せつけられます。どんでん返しの中で、登場人物たちは生きていくためには心に思っているのと違うことも敢えて言わなければいけないそれがこの作品で描かれる苦渋であり、優しさです。
この映画が素晴らしければ素晴らしいほど、我々の社会の姿が浮き彫りになる。ボクはこの家族の面々が異常とも犯罪者とも思わなかった。他人事ではなく、身近な話にしか見えません。だって、ここで起きていることは明日 ボクの身に起こっても不思議じゃないんですから。社会から無視されがちな、排除された声なき人の物語だから普遍性がある。そういう人たちがどうやって生きていくかという物語だから普遍性がある。家族も万引きもそのための方便にしか過ぎません。


敢えて言えば、もうちょっとだけ音楽を使って観客が映画の中に入り込む隙間を作って欲しかった、とは思いましたが、完成度が超高い、素晴らしい作品です。お涙頂戴のセンチメンタルを極力 廃し、ただただ声なき人たちの静かな声を観客に届けようとする。


こんな映画がどうして反日なの(笑)。こういう作品を反日と決めつけるその風潮こそが、映画に出てくるような家族を作り出し、苦しめています。人を排除することでは問題は解決しない。自己責任、自業自得という原理は世の中には確かに存在するけれど、人間は社会から完全に独立しては生きられません。自己責任だけで全てが解決するのだったら社会も国家も政治家も公務員も要りません
この映画は我々の社会がどんなに貧困なのか、一部の日本人がどれだけ知的に劣化しているのか(笑)を見せつけてくれます。けれど、見てて辛くならないのは是枝監督の、描きすぎず、けれど、事実を直視しようとする脚色の腕です。それでも見終ったあと、何とも言えない苦さと微かな希望がずっしりと残る


是枝監督は、『日本はもはや昔のような映画大国になるとは思っていません。それは幻想だと思います。人口が減っていきますから、映画業界はもっと衰退していくと思います。むしろそのことに気が付かないふりをしているから問題だと思います』と言っています独占・是枝監督「人間の毒や業、残酷さ、汚れたところを表現できるのは樹木希林さん」カンヌ最高賞 (2/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット) 。これは映画だけのことではありません。今後 日本も衰退していくことはほぼ決まり切っていますが、問題なのは、安倍晋三も国民もそのことに気が付かないふりをしていることが問題なのです。
ちなみに是枝監督は次回作はフランスで制作、今後数年は海外で作品を撮るそうです。



もうひとつ、六本木で映画『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法映画「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」公式サイト 2018年5/12公開

6歳の少女ムーニー(ブルックリン・キンバリー・プリンス)と母親ヘイリー(ブリア・ヴィネイト)は、フロリダのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの近くの古ぼけたモーテル「マジック・キャッスル」で生活している。厳しい生活の中、ムーニーは子供たちと無邪気に遊び、管理人のボビー(ウィレム・デフォー)は彼らを見守っていた。ところがムーニーたちの生活は次第に厳しくなってくる……。


全編iPhoneで撮影した映画ということで大きな話題になった『タンジェリン』のショーン・ベイカー監督の2作目、世界100以上の映画賞にノミネート、50以上の賞に輝き、今年のアカデミー助演男優賞にウィリアム・デフォーがノミネートされるなど非常に評価が高い作品です。日本でもそうですが、著作権が死ぬほどうるさいディズニー・ワールドを無許可でゲリラ撮影したことでも話題になりました。ちなみにショーン・ベイカー監督はこの映画を撮るにあたって、是枝監督の『誰も知らない』を参考にした と言っています。


プロジェクトとは低所得の人たち向けのアパートやモーテルのことを指しているそうです。モーテルと言っても、銀行に差し押さえられたり、家賃を払えなくなった人が家を追い出され、特にリーマンショック以降は生活貧窮者が当座の住む場所として使われることが多いそうです。最近の映画でもそういう描写は良く見ます。


ヘイリーとムーニーの親子もその一人です。いや、正確には孫と祖母です。ヘイリーの娘が15歳で出産して失踪、ヘイリーが育てているのです。うーん。
●ヘイリー(左)とムーニー。要するにヘイリーもその娘も10代で出産したということです。


貧困なのか暴力なのか、二人が家を失った事情は語られませんが、きらびやかなディズニーワールドのすぐ近くの古ぼけたモーテルに彼女たちは住んでいます。エレベーターには小便の臭いが充満し、時々水漏れや停電も起きるようなところです。
●ヘイリーの身体にはほぼ全身タトゥーが入っています。


母のヘイリーは懸命に職を探していますが、態度も悪いし、まともな職もないし、うまく行かない。それでも風俗業につくことはガンとして拒否しています。そんな大人たちの事情とは関係なく、娘のムーニーは夏休みということもあって、1日中 近所の子供たちと無邪気に遊んでいます。ただ遊んでいるだけでなく、住人の車に皆で唾をかけるなど、かなり、ガラも悪いんですが、それでも子供たちの姿は愛らしい。フロリダの強い陽光の中、カメラもパステル調の画面で子供たちをとても優しく映しています。
●家々もまるでおとぎ話のような色彩です。しかし良く見ると廃墟です。銀行に差し押さえられたのか、開発が放棄されたのか。


モーテルの老管理人のボビー(ウィリアム・デフォー)が時には子供たちの悪戯を叱りつつも、温かく見守っています。


モーテルの住人達もヘイリーたちとあまり変わらない環境で暮らしています。ですから大人たちも子供たちも人種に関係なく、食べ物を融通しあったり、一緒に楽しんだり、子供を預かったり、助け合って暮らしています。しかし、ある日 ムーニーたちが起こした悪戯から、ヘイリーは周囲から次第に孤立していきます。貧困者が周囲から孤立することで、より一層の窮地に追い込まれていく。典型的なパターンではあります。
それとは対照的なのがディズニーリゾートに訪れる観光客です。華やかだけど嘘くさいホテル、安っぽい土産物屋、でも観光客は敢えてそれに興じている。ディズニーワールドの1日ツアーって正規だと家族合計で18万円近くするんですね。びっくり。ヘイリーやムーニーたちとは別の世界に暮らしているようです。


フロリダの美しい陽光。やたらと空が青い。夕焼けが赤い。悲惨な話ではあるんですが、話のどこかに存在しているであろう暴力やセックスの具体的描写もない。画面が美しいから、見ている側は悲壮な気持ちにはなりません。映画は子供の目線を中心に描かれているからなんです。夏休みの1日が過ぎるように真夏の太陽の下、お話しは淡々と進んでいく。そのムーニーを演じるブルックリン・キンバリー・プリンスは見事な演技で天才子役と呼ばれています。


話の切り取り方が非常にうまい、です。話のテンポもいいし、お話しの組み立て方が何気ないように見えて非常に工夫されている。厳しいテーマを扱っていますが、いかにも上質な映画を見ているという感覚が湧いてきます。


ヘイリーは生活に困窮しますが、他人に助けを求めようとはしません。これもその人なりのプライドです。まさにリアル。彼女は法律も犯すし、危ない橋も渡る。それで余計に周囲から孤立するし、実際にトラブルにも巻き込まれる。彼女は意固地になり更に孤立する。負のスパイラルです。でも当人は全く改める気がない以上、管理人のボビーも必要以上の手出しはできない。とうとうヘイリーもムーニーと引き離されそうになります。その時 何かが起こります。


これと同じことは日本でも数多く起きているはずです。差し伸べた手を振り払いながら自ら困窮する人たちは大勢いるはずです。我々は今こそ『自己責任』という現代のドグマ、呪いのようなイデオロギーを振り解く術を見つけなければなりません
映画はパステル調の画面、明るいフロリダの陽光、可愛らしい子供。強烈な貧困を描いたリアルなお話しですが、どこか遠い夢の中のようにも見えます。監督は、アメリカに数多くいる『声なき人々』に声を与えたかった、と言っています。それは見事に成功しています。イデオロギーで現実世界は切り取ることはできません。如何に現実は悲惨でも、人間自身がそうであるようにこの映画が描いているのはネガティブなことだけではありません。見終ったあと、何とも言えない余韻が長く、長く、残る、一見の価値がある完成度が高い映画です。個人的には『万引き家族』より、この『フロリダ・プロジェクト』の方が余韻が残る、観客が想像する余地があるという点でより優れていると思います。それくらい素晴らしいです。