特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

女の子の映画2題:『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール』と『サーミの血』

あっ と言う間に10月になりました。今年も75%が過ぎて、めくるカレンダーも残り少なくなりました(笑)。
早くもTVニュースの政治ショーは飽きました(笑)。週末のTBS「報道特集」で小池と民進の合流に小沢が糸を引いてた話も出ていましたが、小沢なんてこの20年くらいロクでもないことしかしていない。大失敗した小選挙区制に始まり、新党を作っては壊してるだけで、政策なんてまともに論じたこともない。民主党政権当時 小沢は役人のマネジメントもまともに出来ませんでした。彼は過大評価されてると思いますね。小沢にできるのは政局を作ってかき回すことだけ。あんなの、お払い箱でいいですよ。まして前原なんて論外(笑)。
●同じ間違いを繰り返すバカは要りません。根本的に判断力が欠けている。これで京大なんだからなあ(笑)。

枝野がリベラルの議員と一緒に新党『立憲民主党』を立ち上げるそうです。最初からこうしてくれていればよかったんです(笑)。あとは岡田のような中道が参加できるようにウィングを広げること。中道まで入れなければ現実においては無力ですからね。そうやって誰にでも判り易い明快な政治姿勢を打ち出せれば、案外広い支持を集める可能性もあるんじゃないですか。


いずれにしてもボクの投票先は決まっています。リベラルな姿勢の議員を増やすしかない。なおかつ勝ち目がありそうな候補に投票する。好きとか嫌いとかはどうでも良い。こういうごちゃごちゃしたときだからこそ、現実を直視して効果的に振る舞わなくてはいけないと思います。
安倍晋三の『私利私欲解散』で直近の調査では再び 内閣の不支持は支持を上回っています。安倍を引きずり下ろすチャンスがないわけではない。

●今週はこういう物もあります。

●前回のエントリーで『今回の解散は北朝鮮との戦争リスクのため』と書きましたが、今朝 田原総一郎がボクが聞いた話と同じことを書いていました。戦争のリスクは年末にかけて高まると思います。 
安倍首相は総選挙の理由を誰にも伝えていない:日経ビジネスオンライン




ということで、今週は女の子をテーマにした映画です。まず 六本木で『奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール映画「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」公式サイト

ロック歌手の奥田民生を敬愛する35歳の編集者コーロキ(妻夫木聡)は、ライフスタイル雑誌の編集部に異動する。お洒落な雰囲気に違和感を覚えながらも奮闘していたある日、洋服メーカーのプレス、天海あかり(水原希子)に一目ぼれしてしまう。それが魔性のような彼女に振り回される日々の始まりだった。


漫画家・渋谷直角のコミックを、『モテキ』『スクープ』などの大根仁監督が映画化。主演の妻夫木聡水原希子の他にも新井浩文安藤サクラリリー・フランキー松尾スズキといった芸達者な人たちがしっかりと脇を固めています。最初はスルー予定でしたが映画評論家の町山智浩氏が褒めていたので、とりあえず見に行った次第。客席は妻夫木君目当て?の若い女性で一杯でした(笑)。


基本的には水原希子を如何に可愛く写すか、ということが中盤までの映画の主旨(笑)です。それに応えて水原希子も文字通り身体を張って、可愛く、エロく、ツンデレで、気まぐれな魔性の女を熱演しています。
●これは汚い(笑)。うらやましい(笑)。

●ただし、現実にこんな感じでゆるふわぶりを発揮してたら、ただのバカですけどね(笑)。


水原希子という人は差別に反対する発言を続けて、最近もネットでネトウヨに叩かれているような、実際はかなりしっかりした人のようです。でも、この映画では彼女のパブリック・イメージ通りのファッション雑誌から飛び出てきたような姿が全開です。確かに絵になります、可愛いです(笑)。


女の子を綺麗に写す映画、それはそれでいいと思うんです。『気狂いピエロ』など60年代のゴダールの名画の数々はそういう主旨じゃないですか(笑)。何だかんだ言って。

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ただ彼女に振り回される妻夫木君のキャラクターがあまりにもバカでかなりイライラする。こんな可愛い女の子に振り回されるのは理解できるのですが、付き合い始めると偉ぶったり見得を張ったりする。バカの癖にメール・ショービニズム(男性優位主義)なんかちらつかせるんじゃねえ! 今どきそんなの流行んないよ。このイライラは中盤まで続きます。


大根監督の映画の特徴の一つは東京を綺麗に写すことだと思います。今回もボクの馴染みのある光景が色々出てくるんですが、『へー、カメラを通すとこういう風に見えるんだ』と思いました。水原希子の勤める洋服メーカーなんかボクの通ってた小学校への通学路沿いですからね。他にも『瑞穂や郡林堂の豆大福』とか、洋服メーカーの名前が『ルイーズ&ゴフィン』(キャロル・キング!)とか、あるあるネタで一杯です。ボクはこういうネタ嫌いじゃないんです。
●編集長の松尾スズキ(左から二人目)と『ルイーズ&ゴフィン』の社長を演じる天海祐希(右から二人目)

●原宿 瑞穂の豆大福(爆)


主人公は奥田民生を崇拝しているという設定ですので、音楽は殆どが奥田民生のものばかりです。ボクは奥田民生は嫌いと言うわけではありませんが、何がいいのかわからないので、まったく印象に残らなかった。代わりに脇を固める俳優さんたちが入れ替わり立ち代わり見せ場を作ってくれます。リリー・フランキーのインチキな怪演や新井浩文のカメレオンのような演技、ぶっ飛んで見せる安藤サクラ、渋くて不気味な松尾スズキと全く飽きません。
リリー・フランキー(1枚目左)も新井浩文(2枚目右)も実に芸達者な人だと思いました。


で、水原希子演じる小悪魔のような女性に振り回され続ける妻夫木君ですが、徐々に成長していきます。これも大根監督の映画の特徴ですが、『商業主義の中で如何に自分の想いや志を通していくか』というテーマが周りの登場人物たちとのかかわりの中で語られていきます。永年 深夜ドラマで苦闘してきた大根監督ならではの観点ですが、これは仕事でも、組織の中でも、家族の中でも、多かれ少なかれ誰もが直面する、普遍的な話です。
忖度をしないのはバカだけど、忖度だけになってしまうのは絶望的に大バカのクズです。『心は何度売っても良いけど、魂は売っちゃだめだよ』という水原希子の台詞は心を打ちます。前川前事務次官も言いそうでしょ(笑)。実は男を何股もかけている彼女自身の生き方もそうなんですね。


福山雅治主演で話題になった昨年の『SCOOPTV『マネー・ワールド 資本主義の未来』と読書『抗うニュースキャスター』、不覚にも胸が熱くなる(笑)映画『SCOOP!』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)福山雅治演じるカメラマンが二階堂ふみちゃん演じる見習い編集者にそういう哲学を伝えていく話でしたが、今作はそれが一層濃厚になっています。

実は水原希子の可愛さではなく、妻夫木君の演じる新米編集者の成長、これがメインテーマです。終盤 仕事で忙しい新しい彼女に『あ、ロールキャベツ、冷蔵庫の中に入ってるから』とさりげなく話すところなんかも、バカだった彼の人間的な成長を表しています。
そして最後は妻夫木君が実に良い顔を見せます。このシーンだけで前半のバカさ加減が吹っ飛びます。いや、この人、こういう顔を作れるんだ。ハートウォ―ミングな昔のアメリカ映画のようなエンディングです。


『(500)日のサマー』へのオマージュだった『モテキ』と同じことをやっているという説もありますが、ボクは充分面白かったです。


強いて言えば妻夫木君の成長だけでなく、水原希子演じる魔性の女の内面をもうちょっと描いて欲しかったとは思います。それに彼女が齢を取ってどう変わっていくか。それとも変わらないのか。そこは男の監督の限界かな(笑)。
単に水原希子の美貌を鑑賞するだけでなく、現実の中で生きていくための勇気と希望が湧いてくる軽いエンターテイメントに見えますが、結構深い映画だと思います。


もう一つ、新宿で映画『サーミの血映画『サーミの血』公式サイト

1930年代、スウェーデン北部。山間部で生活している中学生のエレ(レーネ=セシリア・スパルロク)は、少数民族サーミ人であることから差別や偏見にさらされていた。彼女は寄宿制のサーミ人専門学校に通っていたが、成績が良い彼女は町へ出て高校に進んでみたいと思っていた。しかし、慕っていた教師からはサーミ人には進学の資格はないと言われてしまう。やけっぱちになった彼女は学校を抜け出して、夏祭りで知り合ったスエーデン人高校生のニコラスの家へ向かうが。


第29回東京国際映画祭で審査委員特別賞と最優秀女優賞を受賞した作品です。
1930年代のスウェーデンは保守党が政権を握っており、今のような社会福祉国家ではまだ、なかったそうです。ましてや当時は人類学が曲解され、人種的な優越論などが幅を利かせる時代。ナチスユダヤ人に対する態度がその典型でしょう。スウェ―デン、フィンランドソ連などに点在するサーミ人も知能が低い、能力が劣るなどの根拠のない偏見を持って扱われていたようです。劣等人種であり、保護されるべき存在であると。
サーミ人は近代国家の枠組みとは関係なく、トナカイと共に暮らしてきた少数民族です。

●主人公の少女。独特な民族衣装は可愛いと思うのですが、スウェ―デンの社会では差別を受けます。


映画はサーミ人の葬儀にある老婆がサーミ人居留地を訪れるところから始まります。故人の姉であるらしい老婆はサーミ人の音楽や風習を一切拒否し、親族から離れて自分ひとりだけ近代的なホテルに泊まります。儀式が行われる奥地へヘリコプターで向かう親族たちをホテルの窓からじっと見ている老婆。そんな彼女が過去を回想することで、お話しが始まっていきます。


中学生の主人公は妹とともに寄宿制の中学校へ通っています。そこでは民俗衣装が強制され、一般とは違うカリキュラムで勉強をさせられます。家に帰っても父親は亡くなり、母親は生活に手いっぱいで子供に構っている暇がない。成績の良い主人公はサーミ人の中でも疎外感を感じています。でも学校の外ではサーミ人は劣等人種として動物扱いされます。そんな彼女の憧れはスウェーデン人の美しい女性教師。サーミ人には読むことを禁じられている本やピアノに触れることで彼女は外の世界への憧れを募らせていきます。
●独特な衣装で暮らす子供たちは学校の外では差別と侮蔑を受けます。


やがて彼女は村祭りで高校生のスウェ―デン人の少年と知り合います。物陰で彼とそっとキスをする。ますます、外の世界への憧れを募らせた彼女は、学校を抜け出します。
●夏の夜。少女はスウェ―デン人のふりをして村祭りに潜り込みます。


画面を見ていてサーミ人スウェーデン人(ゲルマン人)、ボクには違いが殆ど判りません。ルックスは確かに金髪碧眼のゲルマン人とは違いますが、顔つきが多少 モンゴロイドっぽいだけで区別つかないです。主人公が民俗衣装を脱いでスウェ―デン人の中に紛れ込む描写が何度もあります。違いはなかなか判らないくらいなんでしょう。そんなくだらないことで人を差別しているわけです。
●学校では人類学的な調査と称して、裸にされ寸法を測られるなど屈辱的な検査を受けます。


食生活や食事、歌など生活習慣や文化は違うけれど、違いはそれだけです。それなのに民族の違いを強調するって実にバカバカしいですよね。ボクは民族って良くわからないし、それを言い立てる人も一切信用しないことにしています。


主人公は生まれて初めて汽車に乗って、初めて街へ出て、ニコラスの家に押しかけます。あまりにも無謀だし、強引です。ニコラスの親を適当に言いくるめて(笑)、家に泊まりこむ主人公。夜の光の中で居間で主人公とニコラスが向き合うシーンは実に美しい。中学生の女の子と高校生の男の子が家の中でセックスをしているのを判っていても親が邪魔しないのは、さすがスウェ―デン、個人の自立を大事にする国民性、とは思いますが、さすがに距離感も感じる(笑)。
孤立無援の彼女はなんとか高校に潜り込もうとします。自分ならではの人生を切り開こうとします。
●体育の授業に出る主人公ですが、彼女は体操と言う概念自体を知りません。


この映画は人種差別がテーマであるだけでなく、一人の女性の人生を描いた重厚な作品になっています。誰にでもあてはまる普遍的な物語です。それを成り立たせているのが主演の女の子。実際にサーミ人だそうですが、意思が強そうな視線も相まって存在感があります。すばらしいです。


差別を受けてバカにされたら男たちに殴りかかる。初めて電車に乗り、見ず知らずの町で高校に入り込む。その視線(意思)の強さは彼女が演じた中学生時代だけでなく、老婆となった主人公が選んできた人生とも見事に重なっています。脚本と配役の妙が見事にマッチしている。
●ニコラスと主人公



今の民主的なスウェーデンからは考えられない事柄ですが、人種差別という恥ずかしい過去を直視する映画が作られるのもスウェ―デンならではです。与党の政治家自らがしきりに歴史を修正しようとする、どこかのバカな国とは違います。


劇中 主人公だけでなくサーミ人の役は実際のサーミ人が演じているそうです。また監督の父親もサーミ人です。主人公の少女の強引な行動にハラハラするところもあるのですが(笑)、この映画が観る者の心を打つのはこの子が「自分の人生は自分で決める」、『自由を求めている』からだと思います。黒人の差別や女性差別の問題と一緒です。まさに我々とおなじですよね。
彼女は自分を否定し続けて生きてきました。老婆になった彼女はその代償を噛みしめる。悲劇ではありますが、生きていく人間の強さが浮き彫りになる映画でもあります。その後味はけっして悪いものではありません。人間の生というものを彫刻に力強く彫りこんだような作品です。主役の子の存在感も相まって、非常に印象に残りました。