特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『近頃のデマの作り方』とPerfume 6th Tour@静岡エコパアリーナ、それに映画『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち』

今回はちょっと言っておきたいことがあります。
YAHOOニュースのコメント欄などネットを見てると、沖縄の死体遺棄事件に関して『米兵の犯罪率は高くない』とか言っている輩がいました。それも版で押したように同じようなこと、同じ論調で言ってる奴が多い。以前 映画監督の想田和弘が↓の本で指摘していましたが、橋下徹の支持者の多くは橋下が言っていること、そのままそっくり自分の意見のように主張する、そうです。

確かにネトウヨは誰かが言ってることをそのままコピペして自分の主張にする傾向があると思います。それに対する左翼の側、所謂『ヘサヨ』も似たようなものかもしれません。
今回の件について橋下は以下のようなことを言っています。

                                     
犯罪防止に風俗を使え、と言う話は問題外(笑)。このロジックだと風俗に行かない男(猛者)(笑)は皆 犯罪予備軍になってしまいます。風俗でコスプレするのが大好きな橋下自身はそうなのかもしれませんが、こんなことを公言するような奴が、かって公職にいたわけです。それだけでもボクは凄く恥ずかしい。
じゃあ、こちらはどうでしょうか。

確かに最近は、検挙された刑法犯に占める米軍関係者の割合は日本人と比べて必ずしも高くありません。沖縄で刑法犯に占める米軍関係者の割合は1%くらい、沖縄の米軍関係者の人口比率は3%くらいです。それはボクも裏をとりました(ただし検挙率であって起きた犯罪全てではありませんが。→http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/documents/04ennsyuukunnrennoyobijikennjikonojyoukyou.pdf。しかし、犯罪率を比較して問題がそれで済むかと言ったら、そんなことはありません。沖縄で米軍基地に怒る人が多くいるのは『本土に比べて沖縄の基地負担が大きいのは不公平だと考えるから』です。更に言えば、『現在は沖縄経済が発展して米軍基地は以前ほど経済的なメリットがない』こともあるでしょう。そもそも歴史的な経緯をハナから無視して、犯罪率だけを比べているのは完全に的外れです。まして企業と比べてどうこう言っているのは頭が悪い、としか言いようがありません。社員が何度も殺人や強姦事件を起こしているような企業はどんな国籍だろうと存続できないにきまってるじゃないですか(笑)

橋下は『問題は米軍の教育方法だ』としています。ふむふむ、確かに。『米兵の犯罪率が必ずしも高くない』のも『米兵の教育方法に問題がある』のも間違いじゃありませんだが、それは真の問題じゃない。翁長知事が言うように『沖縄の人が自分たちは差別されていると感じていること』と『日米地位協定』が根本的な問題です。もし米軍が教育をおざなりにしているとすれば、それは米兵に甘い日米地位協定が原因だからです。


デマ・流言というものは嘘だけで成り立つことは少ないデマは一部の真実を拡大・歪曲して成立するものです。で、自分の頭で考えられない奴がそれに引っかかってコピペする(笑)。橋下徹堤未果、トランプなんかの手口はまさにそれです。 ごく一部の真実だけを取り上げて全体を歪曲する。それが近頃のデマの作り方です。ネットで情報の量が増えた分だけ、人間が賢くなったわけじゃありませんから。
誰もがすべてを知っているわけでもないし、いつも正しく判断できるわけでもない。それにつけ込んで自分の利益を図ろうとする奴がいる。そんな時代ですから、ボクたちはより賢くならなければいけない、そう 思います。


                    
さて、先週末は、珍しくショート・トリップに出かけてきました。行先は静岡の掛川
Perfume 6th Tour 2016 COSMIC EXPLORER@静岡エコパアリーナ

Perfumeの今回のツアーの東京会場は6月の幕張。家から遠いし、あんまり気が進みません。もちろん券は入手してますけど(笑)。それなら違う土地の空気も吸ってみたくなったんです。掛川なんて行ったことないし、新幹線のこだま号に乗るのも生まれて初めてかもしれない。
品川駅構内のインド料理屋で羊のビリヤニを食べて腹ごしらえをしてから、ガラガラのこだま号の指定席に乗りました。ボクの席の前に金髪でパンチパーマの○クザみたいなあんちゃんが座っている。車内は殆ど二人きりで嫌だなあ〜と思ったんですが、ま、何事もなく(笑)、たっぷり本を読めました。先に降りた彼がちゃんと椅子のリクライニングを直して降りていったのには感心しました。見かけで人を判断してはいけませんね。お見それしました(笑)。
ビリヤニ(インドの混ぜご飯)

                                      
掛川東海道線に乗り換えて一つ先の愛野という駅で下車です。静岡県らしく工場と農業が共存するような街ですが、駅を降りたとたん 濃い緑と堆肥の匂いがした。そういうのも久しぶりで嬉しいな。
ボクがこの街で生まれたら、どんな暮らしをしていたのかなあ(それはそれで楽しいかも)、と思いながら、会場までの道に並ぶ工場やリビングの明かりが漏れるアパートをしげしげと眺めてしまいました。
●会場のエコパアリーナ


<セットリスト>
1.Story
2.Flash
3.Dream Fighter
MC
4.寄せ集メドレー
5.Next Stage With You
6.Tokimeki Lights
7.Baby Face
8.Cosmic Explorer
9.Pick Me Up
10.Cling Cling
11.Miracle Worker
P.T.A.のコーナー(*客いじりです)
356コーナー(さいころを振って10曲の中から演奏する曲を3曲決める)
 12.Spring of Life     
 13.エレクトロ・ワールド
 14.ポリリズム
15.Hold Your Hand
16.Star Train
                                                            
今回のツアーは最新作『COSMIC EXPLORER』の曲が中心です。このCDは以前は時折あった圧倒的な名曲はないものの、良い曲ばかりなので、ステージは楽しかった。

COSMIC EXPLORER

COSMIC EXPLORER

                          
夕方5時から始まって終演は7:30過ぎ、コンサートには車で来る人が多い、という地方公演はちょっとカルチャーショックでした。予想はしていましたけど、まだ8時前なのに駅前の店はみんな閉まっていて終演後 夕飯を食べるところもなかった。でも、それはそれで新鮮でした。

一足先に仙台でのステージを見てきた元大蔵省、元GPIFの運用委員のエコノミスト小幡績は『今回のショーは完成度が高く素晴らしいけれど、危うさがなくなってしまった。Perfumeへの気持ちは変わらないけど、もしかしたら愛をささげる対象ではなくなったかもしれない』(彼は『Perfumeはファンと本人たちとスタッフの三位一体の愛情をベースにしたビジネスモデル』という理論を唱えています)という感想を述べていました。確かに今回の彼女たちのパフォーマンスも大規模なセットを使ったステージ演出も完成度が高く、まさにプロの仕事という感じでした。特に2年前 テキサスのSXSWでやってた半透明のスクリーンを使ったパフォーマンスは一層磨きがかかっていました。サイコロでその場で曲を選ぶ356コーナーも含めて、確かに今回は数年前まで彼女たちから時折感じられる『危うげな脆さ』は感じませんでしたが、彼女たちの『みんなに逢いに来たよ〜』という意志(笑)は非常に強く感じさせられました。彼女たちがファンに対して捧げる愛情は変わってない。あとはファンの側がどういう気持ちを持つか、です。
Perfumeが老若男女に愛されてきたのは、ある種の物語をファンと一緒に作ってきたからだと思います。広島のローカルアイドルから、10年がかりでスターダムにのし上がり東京ドームや海外ツアーまでやるようになった。しかし、昨年の15周年でその物語は終わりました。チャートも1位を獲ったし、国内ではこれ以上大きなコンサート会場は無い。今夏 彼女たちは北米ツアーに出るそうですけど、これからの海外進出で新しい物語を作ってくれることをボクは期待します。このところずっとBABYMETALのロンドン公演のDVDと4/4に放送されたNHKの特集番組を見比べているのですが、彼女たちのやっていることはNHKでも完全に海外仕様です。『メタル+カワイイ』というユニークなコンテンツに加えて、激しいダンスと音楽のグルーヴで、コトバが通じない観客に何かを伝えようとしている。

Perfumeも海外のステージをもっと体験することでパフォーマンスも変わってくるでしょう。ボクはきらびやかなステージや舞台演出の中に隠れている、彼女たちの『何かを伝えなくてはいけない』という使命感をもっと感じたい。今回はかしゆかちゃんが演出とは全然関係なく、時折見せる以前にも増してキラキラした笑顔にハッとしました。のっちやあーちゃんがどんな気持ちでやっているかも何となくわかるんですけどね。3人とも試行錯誤しながら頑張ってます(笑)。

最後にあーちゃんがいつものように『みんなのおかげで、ヒロシマの芋娘たちが綺麗な服を着させてもらって、きらびやかなステージに立たせてもらっている』と言ってましたが、3人とも洗練されて本当に綺麗になった。父兄参観みたいな感想でした(笑)。

                     
                              
銀座で映画『アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち

舞台は1961年4月のエルサレム。潜伏中のアルゼンチンからイスラエル諜報機関によって拉致されたナチスユダヤ人虐殺の責任者、ルドルフ・アイヒマンの戦犯裁判が始まろうとしていた。アメリカのTVプロデューサー、ミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)はこの裁判のTV放映権を獲得、赤狩りで職を失っていた米国人ドキュメンタリー監督レオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパーリア)を起用して、全世界に放映することになっていた。そんな彼らの前には数々の困難が待ち受けていたが…。

アイヒマンの裁判の話は近年の公開作でも良く取り上げられています。昨年のものでも『アイヒマンは我々と同じ平凡な一人の人間だ』と喝破して同じユダヤ人から非難を浴びた哲学者アレントを描いた『ハンナ・アーレント原子力ムラとナチス:映画『ハンナ・アーレント』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)、ナチの戦犯をドイツ人自らの手で裁こうと苦闘した司法関係者の勇気を描いた『顔のないヒトラーたちTBSラジオ・ウィークエンドシャッフルの『デモのコール特集』と『TPPについて考える(途中経過)』と映画『顔のないヒトラーたち』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)などが思い出されます。

今回もそれの延長線上にあるお話です。ドキュメンタリー監督のレオ・フルヴィッツはハリウッドの赤狩りで干されていましたが、アイヒマン裁判を世界中に正しい形で伝えたいと言うTVプロデューサー、ミルトンに口説かれて撮影に参加します。
●監督のレオ(右)とプロデューサーのミルトン(左)

困難はまず、法廷の撮影を渋るイスラエルの司法当局の説得から始まります。政府は撮影を許可しても、裁判に影響を与えることを嫌った司法当局は撮影を渋ります。『司法は政府とは独立して存在するべきものだ。我々はナチスとは違う』というんです。まるでどこかの国の司法関係者に聞かせてやりたいセリフです。
フルヴィッツの機転で司法を説得し、カメラを隠した形で半年にも渡る法廷の撮影が始まります。当時のことですからネット中継なんかできません。法廷の様子を撮影して編集、それをコピーして毎日 世界各地に航空便で送るのです。
●半年以上にも及ぶ裁判は厳重な警戒下で行われます。

                                             
しかし、様々な困難が発生します。プロデューサーはナチの残党から脅迫され、実際に襲撃を受けます。撮影側も一枚岩ではありません。フルヴィッツが持つイスラエルの人たちに対する感情(赤狩りで干されているような人ですから、彼は『イスラエルパレスチナの人々から土地を強奪して成立した』という認識を持っています)、大多数を占めるイスラエル人スタッフの様々な感情(公正に扱うべきだという人もいれば、復讐心に駆られる人、それに強制収容所の生き残りまでいます)、視聴率を稼ぎながらも良い番組を作りたいと言う若いプロデューサーの功名心。それらがせめぎ合ってドラマを作ります。
ユダヤ人のスタッフの中には強制収容所の生存者(手前)もいます。彼はどういう気持ちで撮るのでしょう。

                   
この映画のすごいところは劇映画にも関わらず、法廷でのアイヒマンや証言者たちの様子を映したフィルム、それに証拠として法廷で流された強制収容所の記録フィルムがそのまま使った構成です。法廷でのアイヒマンの表情、それに証人たちの証言や強制収容所の記録フィルム。
裁判前は多くの人がナチのユダヤ人虐殺も半信半疑だったそうです。いくらなんでも、こんな酷いことが行われるわけがないと、思われていたからです。映画のスクリーンを通してでも、強制収容所で骸骨のようになった裸の人間や死体、女性や子供まで拷問を受けたり、ゴミのように打ち捨てられた死体の山を見るのは衝撃的でした。ボクも見るまでは全く判りませんでした。酷い。確かにユダヤ人の間でも信じられなかったのはムリもありません。この前見た『サウルの息子バーニー・サンダース氏と映画『サウルの息子』と『パディントン』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)は本当に誠実に強制収容所を再現したことが判るのと同時に、それを遥かに超えていました。収容所では苦しみに耐えかねて死を選ぶユダヤ人も多く出たそうですが、一番手軽な自殺方法は収容所の鉄条網に絡まって電流で焼け死ぬことだったそうです。その焼け焦げて放置されたままの死体の様子には正直 唖然としました。

法廷で再現される証拠のあまりの酷さと残虐さに法廷の証言者、撮影スタッフも倒れる人が多発します。
だけどアイヒマンは殆ど動じません。彼の法廷での記録フィルムも引用されるのですが、彼も時折は嫌そうな表情は見せます。しかし目の前で自分が殺し掛けた人の証言を聞いても、自分が殺した人たちの死体の山を見せられても殆ど動揺しないのです。アーレントは『平凡な人間』と彼を評してましたけど、今回のフィルムを見て、この点はちょっと違うな、と思いました。これだけのことを目の前で見せられて感情をあらわにしないのは、やはりまともじゃない。
●引用される記録フィルムのすさまじさは本編をしのぎます。

                               
フルヴィッツを始めとした制作陣も焦り始めます。アイヒマンの本当の感情をカメラの前で引き出せなければ、裁判を放送する意味は薄れてしまいます。いわばアイヒマンの勝ちになってしまいます。果たして裁判の行方はーー
●法廷で感情を表さないアイヒマンに制作側は焦り始めますが。

                                                                                   
映画『アイヒマン・ショー』は裁判の撮影スタッフが主人公ということで、お話のオチが限定されてしまうのは否めません。しかし、それ以外はナチの酷さ、赤狩りで弾圧された監督の複雑な思い、ユダヤ人たちのさまざまな感情が絡み合っていて、ドラマとして、とても良くできていると思います。イスラエルというと極悪ナチス国家というイメージしかないんですが、当時 アウシュビッツの生き残りの人は本当にあんなひどいことがあったことをユダヤ人の間でも信じてもらえず沈黙を強いられていたのは、ボクは全く知りませんでした。そういうことも含めて、中盤までの感情ドラマだけなら100点満点かも。今はアイヒマンの裁判記録は全てYouTubeで見られるそうですけど、ボクは当時の記録フィルムを見たのは始めてでした。この映画で数分引用されたものだけでも想像を絶するものでした。考えられないことが起こったんです。面白いだけでなく、非常にためになる映画でした。一見の価値はかなり!あります。