特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

米大統領選と読書『おひとりさまの最期』、それに『0304 再稼働反対!首相官邸前抗議』と『#保育園に落ちたの私だ』

今週は米大統領選の前半の山場『スーパーチューズデー』がありました。トランプとクリントンが優勢ですが、サンダース氏が4州で勝ったのも驚きでした。大統領選は日本にとっても対岸の話ではありません。コラムニストの小田嶋隆が今週TBSラジオで『TPPにしろ、憲法にしろ、日本に変化をもたらすのは米大統領選の影響が一番大きいんじゃないか』と言っていましたけど、確かにその通りなのです。

日本なんか、さっさと解散してアメリカの51番目の州を目指すべきだとボクは考えます(笑)。日本は豊かで治安も良く、食べ物も美味しい(笑)良い国だと思いますが、それは国民の気風が良いからであって、政治が良いからではない。そこを勘違いしちゃいけない。日本の政治家なんて『自国の利益より他国の利益と自分の保身を優先する政治家』か、『何も考えてないし、何もできない政治家』の二者択一なんだもん。それだったら、自国の利益を優先するアメリカの政治家にやってもらった方が遥かにマシです。時々ブッシュやトランプみたいなクズも出てくるけど(でもクルーズの方がトランプより遥かにやばい)、それだってカネ勘定ができるだけ、日本の今の政治家よりマシです。属国の日本人が国民としての権利を行使するには51番目の州が早道でしょう。そうすれば沖縄の基地問題だって解決するし(辺野古の工事中止、とりあえず良かった)。
天皇だって京都か奈良に宗教法人でも作って神主に収まってもらったほうが、ご本人にとっても幸せじゃないでしょうか。今の天皇は良識あるし、最強の護憲派だと思います。それがオヤジの戦争責任があるから仕方ないとはいえ、高齢を押して炎天下で戦没者の墓参りしている姿は見ていて痛々しいです。気の毒ですよ。国民の税金で食っているとは言え、老人の人権問題じゃないの。どこぞの右翼でもそれくらいのことを主張すればいいのに。いや、伝統を大事にすると自称する日本会議こそ主張しろって(笑)。


それはさておき、今週読んだ、米大統領選に関する北海道大准教授の渡辺という人の記事が面白かったです。
サンダース旋風がヒラリーに与える「党内外圧」(渡辺 将人) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
現在のバーニー・サンダース氏の大健闘はエリザベス・ウォーレン上院議員なしには生まれなかった、というのです。そういえばそうだった、と思いました。ウォーレン議員は元はハーバードの教授でウォール街規制の第1人者として有名で、リーマンショックの時は議会の不良債権救済委員会の委員長を務めていました。別名『ウォール街の天敵』(笑)。ついでに彼女はオキュパイ・ウォールストリート運動の理論的指導者の1人とも言われています。更に『税金によって整備されたインフラや高等教育を受けた人材なくして富を得た人など誰もいない』という観点から富裕層への増税を主張している人でもあります。ちなみに彼女は労働者階級の家に生まれた元シングルマザーです。
●ウォーレン議員と共和党のマケイン。超党派でウォ―ル街が最も嫌がるグラス・スティーガル法クリントンが廃止した、普通銀行に投資銀行業務を禁止する法律)の復活を主張しました。マケインって立派なところもある、一筋縄ではいかない人です。
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-MPS9VK6JTSF301.html

                                          
確かに彼女はリベラル派の本命でした(昨年時点では民主党内の支持率はヒラリーに次いで2位)。ですが2012年に初当選したばかりですし、さすがに立候補はしなかった。彼女が立候補しないことになって、その支持がサンダースへ回ってサンダース旋風が起きている、というのはその通りです。

渡辺准教授によると『サンダースは表の候補だが、ウォーレンはヴァーチャル候補』だそうです。どういうことかと言うと、民主党のリベラル派は例えサンダース氏が勝てなくても(現実に彼は74歳のユダヤ人ですから、やはり勝つのは大変です)、サンダース氏が健闘すればヒラリーもリベラル寄りの姿勢を打ち出さなくてはならなくなるし(まさに今 起きていることですその後 機が熟せばウォーレン氏を押し立てて勝負すれば良い、と考えているからだそうです。

                                 
ま、そこまで深く考えている人はごく一部の人だと思いますが、確かになるほど〜と思える話です。ボクの感覚だとサンダース氏よりウォーレン氏の方が過激なんですが(笑)、確かに彼女には希望を託したくなります。

任期を終えようとするオバマ氏は何故か評価は低いようです。でも実績を考えれば素晴らしいリーダーです。リーマンショックから景気を立て直したし、不十分とは言え国民皆保険を導入したし、キューバとも国交を回復した。外交はあまりうまく行かなかったかもしれないが、戦争というブッシュの負の遺産がある中で誰がやっても成功するとは思えないし、まさかISを潰すために再び中東へ攻め込むわけにもいかない。文句言ってる奴には『これだけのことがお前に出来るのか』と言いたい。
ただ、オバマ氏は人種問題と対ウォール街を中心とした格差問題はあまり改善できなかった、というのは頷かざるを得ません。特に後者では銀行の自己取引を規制するボルカ―・ルールを作ったまでは良かったけどウォール街の抵抗で骨抜きにされました。経営陣の超高額収入にも手が付けられなかった。かといって、単にウォ―ル街に対して強硬な人がやればいいというわけではない。金融のことが全然わからないド素人を起用したら、経済が大変なことになる。そこが問題なんです。金融機能が必要なのは99%の側も同じです。クリントンが廃止したグラス・スティーガル法の復活(銀行に証券業務をすることを禁止する法律)など連中を潰さないように力を削ぐ、バランスを取った施策が必要です。法律の専門家(破産法)としてウォール街と闘ってきたウォーレン先生だったら何とかなる可能性がある。
                           

いずれにしても民主主義は人々が自らブラッシュアップしていく過程こそが民主主義なのであって、誰かどこかのヒーロー・ヒロインがお任せで与えてくれるものではない。311以降様々なデモへ参加してボクも実感しているんですが、選挙に行くだけでは民主主義じゃないんですね。サンダース氏が言っているように、人々が自分の頭で考え、自ら声を出していくことが重要なのでしょう。日本の組合が既得権益団体であるのと同様に、アメリカでも多くの組合がヒラリーの支持に回っているのが象徴的です。我々一人一人が個人になれるかにかかっている。そう考えれば、日本もアメリカも課題は同じ、ですね(笑)


                                                
さて、本が溜まっているので今週 電車の中で頑張って読んだのが上野千鶴子の『おひとりさまの最期

おひとりさまの最期

おひとりさまの最期

ベストセラーになった『おひとりさまの老後』、『男おひとりさま道』に続く3部作?の最新刊、おそらく最後の本です。まえがきで本人は次は『おひとりさまの死後』を書くとか言ってましたが(笑)。

3部作で、上野が言ってきたのはこういうことです。
・死ぬときは皆一人、おひとり様(笑)
・たいていの人は住み慣れた自宅で死にたいものだが、病院信仰に取りつかれた家族が往々にして障害になる。
・今は病院で死ぬのが一般的で家族もそうしなければいけないと思い込みがちだが、それは幻想。1976年までは自宅で死ぬ人のほうが多かった。
・おひとり様でも地域の訪問介護・医療、ある程度のお金、友人関係があれば、自宅で安らかに死ぬことができる

社会学者らしく、医療や介護の現場でのフィールドワークをもとに述べる話は多くの人に希望を、幾ばくかの人には反発を与えた(笑)ようです。『在宅おひとり死の良い点』ばかりクローズアップする内容は、上野自身が独身、お金あり(たぶん)、友人関係豊富(たぶん)ですから、我田引水的な感覚は感じます。ですが『ガンこそ在宅おひとり死にぴったり』と言った内容はまさに目からうろこだし、彼女自身はあくまで当事者として語っていますから説得力があります。ボクはかなり感動しましたし、希望を持ちました。

                                          
今回の『おひとりさまの最期』は『死の臨床』にスポットを当てて、実例に当たりながら、『在宅おひとり死』を迎えるには個人として、社会としてどうしたら良いかということを超平易な文章で考察しています。おひとり様とは具体的には独居高齢者、夫婦二人暮らしの高齢者ですが、2020年にはこの二つのグループで高齢者全体の約6割になるそうです。つまり『おひとりさまがマジョリティ』になる。良くニュースで孤独死がどうのとか言ってますが、ボクにはあまり理解できません。どんな環境だって死ぬときは精神的にはどうせ一人だろって。もちろん死ぬときにならなければ、どう感じるかは判りませんけど。

                                  
医療費の高騰で最近は入院期間はどんどん短くなっています。国としても医療費を抑えるために在宅で介護や死を迎えるよう政策を変えてきています。ところが医療にしても、介護にしても、必ずしもその体制は整っていない。子育ても一緒です。要らない役所、外務省と文科省、あとスポーツ庁、ああいうゴミ役所はさっさと潰して丸ごと保育所にすればいいのに!
そうして医療、介護、子育てが家庭(多くは女性)に押し付けられた結果、少子高齢化が進むと同時に、優秀な人材の活用も出来なくなっている。社会福祉負担はどんどん増え、その分消費も減る。その結果 日本は衰退する自業自得(笑)の負のスパイラル状態です。要するに家事をしないバカ男が悪い(と、それを許してきた女性)。その結果がこの前挙げた#保育園落ちた日本死ねになるわけです(笑)『保育園落ちた日本死ね!!』と『#とりまUNITE』(笑)、それに『0219再稼働反対!首相官邸前抗議』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)上野千鶴子は80年代後半からそういう指摘をしてきました。

                                             
この本では今までの上野の本への批判『介護や死をサポートできる人間関係なんかそう簡単にできるわけないだろ』(まさにボクもそう思ってました)については本人も認めた上で弁解しています(笑)。だから個人をサポートする仕組みを社会のシステムとして作ることが大事なんだと。そこで個人としての政治への視座が定まってくるわけです。

ですが、死の当事者は自分です(笑)。政治だけでなく、個人としても自衛手段を講じなければいけない。今まで上野は先ほど述べた条件に加えて、『おひとりさま在宅死』のためには断固とした強い意志が必要だ、としてきましたが、ここでは『他人に自分をゆだねる力=自己解放』が大事、とも言い出します。他人の世話になりたくないという自立のための意志だけでなく、無力な自分を受け入れて他人にゆだねる=それまでの生き方のこだわりやしがらみからの解き放ち、が大事だと言うのです。

今までの『おひとりさま』との最大の違いは、この本では、上野があまり断定しなくなった(笑)ということです。上野千鶴子の特徴は良くも悪くも切れ味の良さですが、この本は特に後半になるにつれて歯切れが悪くなる。そこが良いのです。
結局 死にはそれぞれ、色々な形がある。
立派な死も、立派でない死もない。死は死である。
自分の身内の例を思い返しても、そうだと思います。死に場所で言えば、幸運と努力の結果 在宅で死ねる人もいるでしょうし、事情が許さずに出来ない人もいる。上野はさらにこう述懐します。
生まれることと死ぬことは自分の意志を超えており、それをコントロールしようとするのは傲慢である。だが生きている間のことは、努力すれば変えられる。与えられた生の最期までを生き抜くこと、家族のある人もない人も含めて、多くのひとたちにとって、安心して過ごせる世の中をつくること。
いずれにしても、死ぬときは一人です。ボクも一人で、願わくば心やすらかに死んでいきたいな。


ということで、今週も再稼働反対の官邸前抗議へ。
段々暖かくなってきて花粉は多いけれども、体は楽です。今日は子供連れも見かけたし、人数も先週より少し増えました。今日の参加者は主催者発表で1000人。ボクが見た感じもそんな感じです。
良く考えたら『主張に関係ない団体の幟は止めてくれ、反原発の主張に絞ってくれ』と言い出したのは官邸前抗議を主催する反原連でした。抗議には共産党の支持者もいるし、社民党系の運動の人もいるし、日の丸を掲げている人もいるし、ボクみたいなアウトロー(笑)、いやウルトラ・無党派も参加しています。主張だけに絞ってやっているから、大勢の人が参加できる、同じ土俵に立てるのですね。議論をするにも言葉を喋るとか、嘘はつかないなど最低限のルールが要るのと一緒で、ごく当たり前の話なんです。野党共闘だって、『安保法反対』という同じ土俵、最大公約数に立てたから実現しました。いつも抗議開始前に行われる『主張に関係ない、団体名の幟を広げるのはやめてくれ』という反原連のスピーチを聞きながら、その先見性を改めて感じました。
●抗議風景








●『再稼働やめろ、安倍やめろ』と書いてある、白地に赤の斜め線が入っているプラカードがボクです(笑)。イラストレーター持ってないんでパワーポイントで作ってるんですが文字のフォントが120ポイントじゃ小さかったです。反省しました。

先週発覚した、再稼働直後の高浜4号機のトラブルは返す返すも酷い話です。原因はまだわからないみたいですけど、福井新聞が報じているように『機器に異常なし』だったら、もっと悪いです。ハードに問題がなければ、ソフト=オペレーションが悪いと言うことです。さらにチェック体制もダメだった、ってことでしょ。ハードは取り換えれば済むけど、人間は中々そうはいきません。
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/npp_restart/90716.html
原子力規制委員会の田中委員長が『関電は反省しろ』と他人事のように言ってるのも問題大アリです。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00317814.html

原発の立場の人には原子力規制委員会を悪玉扱いしている人が結構います。でもボクは、彼らもたまには良いことも言ってるので、決めつけずに是々非々で考えれば良いと思っていました。だけど、これは酷い。お前らはオペレーションやチェック体制も含めて再稼働を認めたんだろうって。関電だけじゃなく規制委員会の眼も節穴だったってことでしょ。責任とれって! 民間だったらクビですよ。人の命がかかっているんだから。

                                                
さらに、今日はもう一つ。以前取り上げた『保育園落ちた日本死ね『保育園落ちた日本死ね!!』と『#とりまUNITE』(笑)、それに『0219再稼働反対!首相官邸前抗議』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)は今週 国会でも取り上げられました。しかし政治家のまったく誠意のない態度に怒りが爆発しつつあるようです。ボクも部下の子が保育園落ちました。ふざけんなよ4月から仕事の割り振りはどうしてくれるんだよ(怒)。Twitterでは『#保育園落ちたの私だ』というハッシュタグが出来ています。その中で自然発生的に、SEALDsが抗議していた国会前北庭でスタンディングをやろうという呼びかけがありました。組織とか全然関係ない、個人の生活のなかから生まれてきた怒りです。統計を見たって、今は共稼ぎの人の方が多い。当たり前です。非正規社員は勿論、正規社員だっていつリストラされるか判りません。男女平等はおいておいても、共稼ぎなんて安全保障上 当然じゃないですか。なのに保育園に入れなくて仕事を辞めなくてはいけない人が大勢いる。その後で再就職しようとしても前の給料並みの職に就くのは難しい。女性の労働力を安く買い叩くのがこの国の構造になってしまっている。それで、少子化だ?一億総活躍だ?ご冗談でしょ政治家のヒヒジジイども! 所詮 税金で食わしてもらっているくせに。
Change.orgで署名キャンペーンも始まりました。
キャンペーン · #保育園落ちたの私と私の仲間だ #保育園落ちたの私だ · Change.org

                                 
今日いきなりの呼び掛けでしたけど、国会前北にはママさん、パパさんが2、30人くらい集まって『保育園落ちたの私だ』というプラカードを持ってスタンディングをしていました。ボクが着いた時は終わりかけだったかも。写真は参加者の顔が判らないように撮ったので様子が判りにくいかもしれません。(ボクの嫌いな)IWJの中継をキャプチャーしたものがtwitterで流れていたのでそちらも併用します。日本死ね



●今日の写真。これは最強でしょう(笑)。スタンディングは明日もやるそうです。