特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

読書『私たちはどこまで資本主義に従うのか』(ヘンリー・ミンツバーグ)

新年あけましておめでとうございます。
旧年中は勝手なことばかり書いている拙ブログへお越しいただき、ありがとうございました。自分では穏健なことを書いているつもりなんですが(笑)、ボクは嘘と予定調和が嫌いなので時折 暴走してしまいます。ただ一つ言えるのは、右も左もタブーも関係なく、自由に思考の幅を広げていきたい(笑)、と思っているので今年もよろしくお願い致します。
                         
●年末の新宿。東口地下の喫茶店ベルク(有名店ですね)。看板にSEALDsのプラカードを貼ってます。さすが〜。

                                         
いつもどおりTVは殆ど見なかったのですが、29日の夜にBSのNHKでやってた『京都、希林の宴NHKドキュメンタリー、これは出色の面白さでした。京都の250年続く旧家、お寺、花街、茶席でふるまわれる仕出し料理とその周辺に関する1時間半のドキュメンタリーです。食べ物は出てくるんですけど、むしろ京都の旧家の底意地の悪さ(笑)とか茶会を営む人の思いの深さとか、非常に面白いし勉強になりました。例えば茶席では、趣向を変えて外人女性にお茶をたててもらったり、白拍子(まだいるんですね)を呼んだり、世の中には拘りまくりのすごい人たちが居るんだ、と感じました。ボクなんかには絶対にわからない京都のこだわりに触れていると、あの樹木希林が素直に見えてくるから不思議です。そう言えば樹木希林、番組中 茶席で『こういう奥深い文化をわかった人に外交とか政治をやってもらいたい』と政府批判になりかねないような事をはっきり言ってました。彼女は昨夏 辺野古のゲート前へ応援に行った人です。さすが、としか言いようがありません。そう言えば番組には国会前で怒りのスピーチをやった室井佑月も出演してました。一部かもしれませんがNHKの製作現場がどのように考えているか、何となくわかります(笑)。勿論そういうこととは関係なく、番組の取材は丁寧だし、家屋や寺社などの映像も綺麗でしたし、見る価値があると思える放送でした。再放送は未定ですが、NHKオンデマンドでも見られるみたいです。
                                    
NHKと言えば紅白は殆どの歌手は見るに耐えないですけど、あの生放送の緊張感と豪華演出は凄いと思います。毎年ビデオで取って余分な部分をカットして15分くらいにしてから(笑)見てますが、今年は椎名林檎のところで知る人ぞ知る向井秀徳先生ナンバーガール)が出てきて、いつもの調子で『それでもよみがへる性的衝動』(笑)ってやってたのは感心しました。編み笠被ってギター侍みたいだった彼が、今年の出演者の中で一番格好良かったのではないか。ゲスの極み乙女はどんどん演奏が安定してきているし、PerfumeがSXSWでやった半透明のスクリーンを使った演出を見られたのも嬉しかった。ももクロちゃんが出なかったのは返すがえすも残念でした。あとはボクが見るのはTV東京の蛭子さんのバス旅行くらいでしょうか(笑)。それでお正月はオ・シ・マ・イ。          

                                 
さて、年末は読書シーズンでもあります。昨年1回目のエントリーではピケティ氏の話をしましたが、今回はもっと大物、経営学の大巨匠、ヘンリー・ミンツバーグが書いたこの本のことを取り上げようと思います。12月に出版されたばかりの200ページもない小品です。記述は平易なんだけど言ってることにやたらと重みがある本でした。

私たちはどこまで資本主義に従うのか―――市場経済には「第3の柱」が必要である

私たちはどこまで資本主義に従うのか―――市場経済には「第3の柱」が必要である

ミンツバーグと言えば経営学をかじったことがある人なら100%名前を知っている大学者です。世の中の経営学の潮流は大まかには二つに分かれています。一つはM・ポーターなどが唱えた、経営は事前に『戦略的計画』を立てて進めて行くというものですが、もう一つはミンツバーグ先生の、戦略は計画されるものではなく習得されるもので、経営には計画より『戦略的学習』が重要である、というものです。この考え方は、特に日本の企業経営に多大な影響を与えています。
そんな巨匠が2年前から『資本主義にブレーキをかけなくてはいけない』と主張し始めました。特にアメリカでは企業はやりたい放題、政治家まで大企業に操られている。こんなんでいいんだろうか、と経営学の大先生まで言い出したんです。ボクは非常に注目していたんですが、やっと邦訳の単行本が出た、というわけです。
                                            
本の内容はこの図で要約できます。概念をシンプルな図で表現するのはアメリカの学者は実にうまい、と感心します。
●右でも左でも中道でもなく、社会にバランスを取り戻そう!(Rebalancing Society)(日本語は加筆)

●ここからリーフレット(完全版)、ダイジェスト版を無料ダウンロードできます。
Welcome | Henry Mintzberg

お話の主旨はこんな感じです。
●社会は国家(公共)、企業(民間・個人)、多元セクター(NPO市民運動、組合、協同組合)の3つがバランスを取り合う形が望ましい。 国家が強すぎるとかっての共産主義みたいになる企業が強すぎると現在のアメリカのように企業や富裕層が政治まで支配するようになる多元セクターが強すぎるとポピュリズム、かってのファシズムのようになりかねない。従ってバランスを取ることが大事。
●世の中の対立を解消するには3つの方法しかない。
1.相手を支配する。この場合 敗れた側は自らが支配する側へ回るチャンスをうかがい続けることになる。
2.妥協する。この場合 双方が少しずつ譲るため、双方に不満が溜まり、また対立関係が発生しやすい。
3.統合する。互いに相容れない2つの選択肢で論争することは止め、双方が一致点を見出す。この場合、創造的なアイデアを苦労して考えることが必要になる。
現在のように選挙による支配で左右の両極端を行き来する政治も、妥協による中道政治も世の中のアンバランスを強化してしまうため、問題の解決にはならない。
●社会を変える担い手は国家でもなければ企業でもない。国家は国民が自分の利益のために投票するため、意思決定が不全を起こしている。これが行く着く先は財政破たんと独裁だろう。企業は利益を上げるための存在であり、CSRは問題の解決策にはならない。アメリカは民間企業が政治も牛耳っているが、それはアメリカだけの問題ではない。日本においても、政府と東京電力原子力村との関係は法的には許されていても本質的には癒着であり、政府セクターが民間セクターの軍門に下ったと言える。企業は自然人と同一の権利を持つ『法人格』という虚構の制度はやめ、企業やその構成員を刑事罰に積極的に問うべきだ(*ロバート・ライシュ先生も全く同じことを仰っているのが面白いです)。
●現実に社会を変える担い手は国家や企業に抗議する『社会運動』と世の中の問題点を具体的に解決していく『社会事業』の組み合わせだろう。問題点を指摘し、国家や企業に破壊的な行動を止めさせる社会運動は重要だが、現実に世の中を変えるにはもっと建設的な行動、具体的に何を提案したいかはっきりさせていく必要がある。具体的な問題点を洗い出していくのは往々にして『社会事業』である。
●社会のバランスを取り戻すには、国家には『市民参加型の民主主義』、企業には『広い利害関係者の利益に関心を持った責任ある企業』、多元セクターには排他的なポピュリズムに陥らない『多元的な包含』を実現させていくことが必要になる。これらはどれが欠けても問題は解決しない。
●我々には共通の敵が居る。それは自分自身である誤って理解されている個人主義と利己主義が我々の敵である。搾取と闘うためにはまず、鏡の前に立たなくてはならない。社会のバランスを取り戻すにはまず、自分のバランスを取り戻さなくてはならない。搾取はあらゆるセクターで行われており、私たちは消費者として有権者として労働者として、出来ることはあるはずだ。
                                      
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グローバリゼーションの進展に伴って、企業が政治的な力を振るっている、また企業や国家の横暴に対して市民がもっと力を発揮しなければならない、コミュニティを再生していかなければならない、というのは多くの人が指摘するところです。古くは協同組合運動とか、市民運動アナクロ左翼だと組合がどうのとか(笑)、宇沢弘文先生だと『コモン』とか、ネグリだと『マルチチュード』とか、最近の用語だとインターミディアリー(中間組織)とか、NHKでも放送された『里山(里海)資本主義』だってミンツバーグ先生が言うところの『社会事業』ですよね。

ミンツバーグ先生も国家でもなければ企業でもない、社会運動や社会的企業NPOなど多様な形での第3の勢力を育てていくべきだと主張していますが、『それだけではダメ』とも指摘しています。ボクがさすが〜と思ったの以下の点です。
1.市民運動は必要だが、それだけじゃポピュリズムになりかねないポピュリズムが支配的になると排他的な色彩を帯びて、やがてファシズムになる、と考えるのはミンツバーグ氏が戦前生まれのユダヤ人だからでしょう
2.民主主義に完成形は無く、動的なもの、永遠に過程である。環境に応じて常に、国家、企業、多元セクターの勢力が拮抗しているのが重要である。
                                     
経営学の優れたところは物事の良い点と悪い点を比較して考えるところ、だと思いますが、ミンツバーグ先生は、日本の頭の悪い学者のように『コミュニティ・マンセー』みたいなことは言いません。コミュニティは排他的なものになりがち、と指摘しています。日本の社会運動を見てるとわかりますよね。学生運動だって、環境運動だって、段々主張が先鋭化していって参加者が減り、排他的な組織になり、社会の中で自分たちが孤立していく。殆どカルトみたいな過激な反原発を唱えている人たちなんかまさにそうですよね(笑)。目つきもおかしいし、何を言ってるか完全にわからないもん(笑)。だいたい日本の運動はそのパターンが多い。
                                                   
参院選を控えての市民連合も少し気になるところはあるんです。SEALDsをやっているような子たちは建設的だし、物事を考えているとは思うけれど、他のアホ左翼団体があんまり前に出てくると中間層が参加しにくくならないか、ちょっと心配なんです。政府の安保法案の進め方はおかしいと思うけど、デモなんか怖いし行きにくい。世の中、そういう人の方が圧倒的に多いわけです。SEALDsの言ってることは概して穏健、とボクは思いますけど、現場も見てないしマスコミの情報にしか触れてない人は『SEALDsは過激』と思っている人も結構います。そう言う人たちに如何に主張を聞いてもらうか。投票に行ってもらうか考えなくてはいけない。中間層を如何にひきこむかが問題なんです。頭の悪いジジイ左翼なんか加わっても一般への影響力もなければ、票も増えない(笑)。まして集会に誰も知らないような団体の薄汚い幟が翻ってたり、長くて退屈で内容の無いジジイのスピーチ聞かされたら、普通 嫌ですよね。意味判らないし恰好悪いもん(笑)。

                                                        
読んでいる人、一人一人が立ち上がって搾取と闘え、と鼓舞する、この本を読んでいるとまるで、どこかの運動家が書いたような錯覚に駆られます。ミンツバーグ先生は世界各地のビジネススクール世界銀行で行ったワークショップを基にこの本を書いたそうです。来ているのは学者や政治家、経営者や経営者の卵です。そう言う人たちの中でも、ミンツバーグ先生が考えるように『もっと世の中をバランスが取れた社会にしたいと考える人は大勢いる』ってことなんですね。時代遅れの既存左翼より、そういう人たちと手を組むことの方が1億倍も有益です。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      
ミンツバーグ先生は、社会運動や社会事業のような多元セクターは必要だけれど、国家や企業をまともなものにしていくことも重要である、としています。運動だけでは世の中は変わらないんですね。政権時の民主党が官僚をマネジメントできずに失敗したのが良い例で、現実には国家機構や官僚を無視して政治を行うことはできません。経済や企業を無視してしまうこともできません。ミンツバーグ先生は『少人数の思慮深い人々のグループが真剣に取り組むことでしか、世の中は変わらない』というマーガレット・ミード博士の言葉を引用しています。国家でも企業でも市民運動でも、さまざまな分野で、色々なセクターで、多くの人が行動し続けなければならないわけです。我々の共通の敵は『自分自身』という指摘はまさにその通り、だからこそやれること、やるべきことはたくさんある、と思います。本文中に挙げられたブラジルの社会事業の例など?というところも部分的にはないわけじゃないんですが、大筋としては学ぶところが大きい、新年にふさわしい骨太な本でした。