特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

風穴を穿つ:ピケティの『21世紀の資本』と映画『がむしゃら』

 沖縄県の翁長知事と菅官房長官との会談が物別れに終わったが、まずはお互い予定通り、と言ったところでしょうか。
 特に菅の方は沖縄と話もしないという悪評からのアリバイ作りだろうけど、会談をしても工事は続けるという姿勢では、誰だって日本国の高圧的な態度を感じざるを得ないです。

 かって成田空港も『羽田は拡張できないから新空港建設が唯一の道』という高圧的な姿勢で政府は建設を進めました。その結果はどうでしょう。

 今 羽田は沖合へ拡張して国際便がバンバン飛んでいます(笑)。不便な成田は悪評だらけで航空会社離れが進み、稼働率確保のためにLCCを誘致している始末(笑)。成田は宇沢弘文先生らが国と農民との調停役になって、村山富一首相は国の強引な進め方を農民に謝罪しました。

 今回も政府が言うように本当に辺野古移転が唯一の解決策なのか、政府は説明・実証する義務があります。沖縄の人がどう思うかは知らないが、自国民に対してそんな高圧的な政府ならアメリカの51番目の州になった方が遥かにマシ。ボクはそう思えてなりません。ネトウヨの総理大臣(笑)を担いでまで『日本国』なんて看板を掲げている必要なんか1ミリもないですからね。

                                                                                             
 やっとピケティ先生の『21世紀の資本』を読み終えました。

21世紀の資本

21世紀の資本

 こういう本はある程度まとまった時間をかけないと頭に入りませんが、平日は時間がないし休日は映画も見なければいけないので、週1日のペースで2か月強かかりました。疲れた〜(笑)。何が嬉しいって、これから他の本が読めるということが嬉しいです(笑)。

 今やこの本の話は便乗本から週刊誌まで巷にあふれているけれど、実際読んでみると印象はずいぶん違います。立場の賛否に関わらず、誤解された解説がずいぶん出回っている。ボクが直当たりして、印象に残ったのは以下のようなことです。

・経済成長は無視できない要素である。成長が止まると低所得者の側に負担はより大きくなる。
→これは鋭い。リーマンショックの時に本当に困ったのは収入が低い層で、高所得者が路頭に迷ったのではない。共産党は爪の垢でも煎じて飲め!

・一般的には資本から生じる収益率は経済成長率より高い(いわゆるr>g)
ロジックじゃなくてデータ=事実で言ってるのが賢い。これは反対する側の人間でも、グ〜の音も出ないところだろう。だが、良く考えれば元から財産を持っている人の方が徒手空拳で成り上がろうとする人より圧倒的に有利なのは日常生活でもいくらでも実感できます。誰もがビル・ゲイツになれるわけじゃありません。どんどん大きくなっている相続財産による格差は自由競争を阻害し、社会全体の成長を阻害します。

・フロー(所得)への課税に加えて、ストック(資本)への累進課税を行うべきである
→ここが最も誤解されているところ。所得だけでなく資本への課税。先生曰く、所得への累進課税だけでなく、資本の優位性を考えたら資本(預金、株、土地、一切合財)へ年次累進課税をしなければ意味がありません。例えば日本では株の税率は一律20%だが、キャピタルゲインが100億でも100円でも同じ税率というのはおかしいに決まってます。もちろん金持ちには所得税より安い税率です。そのためには所得と資本の情報公開も前提になります。所得への過度な累進課税は成長を阻害する恐れもある、としているのも鋭いです。ボクは前々から相続税100%を提唱してますが、ピケティ先生の後ろ盾ができました(笑)。

社会主義の失敗
→資本への累進課税を考えていくと生産手段の国有化を唱える社会主義に行き着きかねない(確かに)。勿論 その方向へ行けば官僚制のコントロールができなくなって失敗することは目に見えてます。競争によってお互いがけん制する市場を活用していくのは仕方がないことかも。ボクも含めて、人間はサボるし傲慢になるものだからです。今考えなくてはいけないことは、如何に規制緩和して市場に任せるかではなく、市場を活用しつつ如何にコントロールするか、だと思います。

・あらゆる市民はおカネを取り巻く事実や歴史に真剣な興味を抱くべき
→ピケティ氏が言っていることで最も重要なのはこのことかもしれません。所得の格差を是正して社会の不平等を改善するには『技能と知識教育の格差』を是正すべきだとしている。経済は所詮 社会構造の一部であり、歴史や文学と共に理解されるべきものなのだから、この問題は一人一人が真剣に考えなければ問題点は解決しない、というのはその通りです。                                                     
                                     
精緻な議論を平易な表現で書いてある、とても良い本でした。ロジックも全然難しくないし。それは一人一人が考えてほしいという筆者の想いなのでしょう。近年 実に勉強になる資本主義論を述べている水野和夫氏とピケティ氏がともに、歴史を総合的な視点で考えようというフェルナン・ブローデルの影響を受けているところが面白いです。
●殆ど名著の域、じゃないですかね。

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

 『日本には当てはまらない』とか言っている奴がいますが、それはちゃんとこの本を読んでないからです
 アメリカでは上位1%へ富が集中しているかもしれないが、日本だって下位90%の人の収入が激減することによって、上位10%に富が集中しています『ボクらが立っている場所』(トマ・ピケティ氏のデータベース)と、映画『サード・パーソン』 - 特別な1日そしてもっと重要な相続財産(資本)の問題は2世3世議員だらけの日本にこそ当てはまるのは言うまでもありません。

 ピケティ氏への批判で最もまともなものは『グローバルな資本課税なんて夢物語』ということでしょう。
 確かに政治的には難しい。だが本の中で指摘されているように銀行取引がオンライン化された現在ではグローバルな資本課税の技術的なハードルは問題ないし、今 検討されているEUでの金融取引課税トービン税)など端緒となる動きも現実に出ています。                                     
                                                                    
 今世紀初め、所得税は夢物語と思われていたそうです。だが、今では殆どの国で実現されています。グローバル資本課税だって、それと同じじゃないでしょうか。まず考えて、声を出さなければ何も始まりません。

 新自由主義を批判する人はボクも含めて大勢います。だけど『じゃあ、どうする』という建設的な方法論はあまり聞いたことがありません。せいぜいアンソニー・ギデンズの『第3の道』くらいでしょうか。特に日本では新自由主義の勢いが中々止められないのもインテリ層の怠慢・無能が一つの理由でしょう。現実から遊離しているんですね。
●20年近く前の本ですが依然 説得力があると思います。ピケティ同様、この本でも教育の重視を強調しているのが興味深い。

『21世紀の資本』はそんな世の中の流れに逆らい、閉塞感に風穴を穿つものだと思います。やっぱり、おすすめです。


 ということで、青山で映画『がむしゃらがむしゃら - ホーム | Facebook

ひきこもり、いじめ、レイプ、解離性人格障害自傷甲状腺障害、怪我、壮絶な経験を乗り越えてきたプロレスラー安川惡斗の姿を描いたドキュメンタリー

 鍛えた肉体同士のぶつかり合いに、善悪など様々なギミックを折り混ぜたショーであるプロレスは映画やマンガとかで見るのはアリだけど、怖いから(笑)本物は見たことがありません。あんまり見たいとも思わない。この映画は日経の映画評でも4つ星がついているなど各方面の評価が高い作品で、恐る恐る見に行きました。

 ちなみに主人公の安川選手はこの映画が完成した後、試合で顔面への反則パンチを受けて顔中が腫れ上がり骨折した事故が最近 話題になったばかり(腫れ上がった顔が大々的に報じられましたが、酷い写真なのでリンクしません)



 映画は主人公の試合風景から始まります。プロレスは台本があるショーとは判っているけれど、蹴ったり殴ったり張り倒したり、すさまじい肉体のぶつかり合いに『危ないじゃないか』と言いたくなります。画面からでも、肉と肉がぶつかり合う、バチーンというすごい音がします。ましてか細い女性(か細くない人も居る)。正直、こんなことやってていいのかと思いました。

 同時にこの人のリングでのマイクアピールがいまいちすべり気味なのが気になります。実に無器用なんです。カメラを向けられた同僚のレスラーたちからも『無器用』とか『どこまで本音かわからない』とか『大嫌い』などと言われている。コミュニケーション下手の彼女は確かに嫌われても仕方ないだろうと思わないでもない。
●主人公、悪役プロレスラー安川惡斗

                                     
 そのあと画面は、主人公が生まれ故郷の三沢市を訪れる場面に変わります。絶えず軍用機が飛び交う三沢市の光景に驚く。凄い轟音です(ひでえ)。

 素顔の主人公は、ここでどうやって育ってきたか語りだします。おっとりとした、実にのんびりとした語り口。さっきまで絶叫していた悪役レスラーの姿とのギャップに驚きます(その理由は後で明かされる)。無器用なところはリング上と変わらないけれど、非常にいい感じの人です。ここでボクは引き込まれてしまいました。

 彼女は淡々と過去を語り続けます。
 幼時に発症した白内障で右目はあまり良く見えない。どんくさくて少し変わっていた彼女は学校でいじめを受けた。中学生の時に、彼女をいじめていた同級生にそそのかされたらしい年長の男たちに公園で乱暴される。
 カメラの前で彼女は、その公園で話している! そのことに触れたとき彼女は涙を流すけれど、淡々とした口調は変わりません。

 そこから、自傷、登校拒否。学校で他人にナイフで傷つけられたのが嫌で彼女はより深く自傷を繰り返します。その傷は今でも彼女の身体に残っている。家族には頼れなかったし、学校の先生も助けてくれなかった。
 やがて病院で彼女は『解離性人格障害』という診断を受けます。集団生活になじめないのはそのせいだったんです。
●素顔の主人公。本名=安川佑香。公園にて

 転機になったのは自殺未遂。洗剤と睡眠薬を混ぜて飲んで死のうとしたが発見が早くて救われます。
 担ぎ込まれた病院で意識を取り戻した時に見た、青空がやけに青かった。そこで彼女は青空が大好きになる。今でも彼女の部屋のカーテンは青空の柄です。

 彼女は、病院の先生に自分の気持ちを聞かれて、『自分の気持ち』を他人に表現しても良いことに初めて気が付きます。カメラの前で彼女が『自分なんかの気持ち』と表現したのが印象的でした。

                                                    
 誰もが自分の過去を知っている狭い田舎町から東京の高校に転校した彼女は演劇に出会います。舞台の上で他人を演じることは、解離性人格障害の自分にピッタリでした。
 高校卒業後 舞台演劇の世界に入った彼女はプロレスの世界を知り、そちらへ転身します。人格を豹変させることが得意な自分の存在をより生かせると思ったからです。

 だが入門当初 彼女は腕立て伏せすらできませんでした。それでもプロレスの練習が終わった後もジムに通って人知れぬトレーニングを続け、徐々にレスラーとして頭角を現していく。
 だが、その後も頸椎ヘルニアで長期入院したり、激しい運動は厳禁というバゼドー病を発症するなどのトラブルに見舞われます。
●トレーニングジムにて

                                              
 痛々しいくらい無器用で、人が良い、おっとりした主人公にボクは感情移入してしまいました。一歩踏み外せば真っ逆さまに転落してしまうような世の中で、なんとか独りで生き残ってきたこの人のことが他人事とは思えなかったからです。

 はっきり言ってこの人はレスラーには向いてない。優れたアスリートでもないし、白内障で片目もほぼ見えないし、舞台の上で自分をアピールするにはスマートさも足りないし性格も無器用過ぎる。次から次へと見舞われる怪我や病気に、この人はどうしてプロレスなんかやるんだろう、という疑問は最後まで拭えませんでした。まるで自分が彼女の親戚にでもなったような気分(笑)。

 だが、それは愚問でもあります。
 この人は過去を乗り越え、自分を受け入れることができました。ほとんど見えない片目も眼帯で自分のセールスポイントにしてしまった。映画が完成した後に起きた今回の事件で顔面が腫れ上がるほど殴られ、鼻骨を折られても、もう一回体を鍛え直して復帰すると宣言しています。
 リングの上で観客に向かって『弱くて悪かったな!』(笑)とまで言っています。

 彼女の過去は文字にすると暗くなりそうな話だが、驚くべきことに全然そんなことはないんです。素顔のこの人の淡々とした語り口は過去を乗り越えた人のものだからです。
 誰を恨むでもなく、誰を責めるでもなく、何ともいえない、いい感じの人がカメラの前に立っている。自分を受け入れることができた人の姿。その姿は少し痛々しいけれど、シンパシーを感じてしまう。存在そのものに感動してしまいます。
●実家で登校拒否していた頃のことを語る主人公。壮絶な話を穏やかに語る表情が印象的。

                                                  
 壮絶な彼女の物語は、芸術や表現という行為で救われた一人の人間の普遍的なお話でもあります。環境にも資質にも決して恵まれている人ではありません。
 でも、ただでさえ生きづらい世の中で彼女は、ここまでやった。もう28歳。レスラーとしての見通しだってそれほどあるとは思えないけど、それでも彼女はここまでやった。

 そして、更に前に進もうとしています。彼女は自分の居場所を見つけたのではなく、自分で居場所を決めてしまった。そこには演技も虚飾もありません

 壮絶な話に圧倒されて涙を流すことすらできませんでした。このドキュメンタリーを見た観客はただただ、単純に勇気をもらえると思います。2時間弱の上映時間がとても短く感じられます。
不器用だが力強いこの映画は、世の中の閉塞感に風穴を穿つ力を持っていると思います。傑作!