特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

かぎかっこ付きの『言論の自由』と0116 再稼働反対!首相官邸前抗議!

今日も株が激下がりだったが、まだ序の口だ。今月下旬のギリシャの総選挙の結果が気になる。左翼?極左?が優勢だそうだが、ユーロ離脱とかいうことになると日本にだって影響は及んでくる。ギリシャ国民感情としては、なんでEUの言うことを聞いて緊縮財政にしなきゃいけないんだ、ということなんだろうけど、離脱して経済が苦しくなるのはギリシャのほうだ。そうなったら、まともに物資の輸入なんかできなくなるんじゃないの。民意が必ずしも理性的な判断を下すとは限らない。かと言ってエリート層に任せているとろくなことにならない。これは日本にとっても当てはまる、難しい問題だ。
                                                                     
さて、年末から『言論の自由とは何か、考えさせられる事件が多い。金正恩をコケにした映画『ザ・インタビュー』の事件、そして今回のフランスの新聞社『シャルリー・エブド』紙が襲われた事件、事件と呼ぶのにも値しないがサザンオールスターズの大晦日の演出に右翼?が抗議している、なんていうのもあった。サザンのあんな軟弱な歌のどこが反日で不敬なんだよ(笑)。日本国憲法に書いてある言論の自由を脅かすようなことを言ってる奴こそ反日で不敬だろ〜が。


ボクの大好きなセス・ローゲン先生が脚本・主演した『ザ・インタビュー』に対しては『言論の自由もあるけれど、外国の元首をぶち殺すような映画を作ってよいのか』というもっともらしい意見が結構あった。大前研一とかまで、そんなことを言ってたな。結構ムカついたお前ら、まだ映画を見てないだろって!(笑)。見てもいないのに偉そうなことを言ってるのは、私はバカですと言ってるようなものだ。ボクとしてはNHKのニュースでさんざんセス・ローゲンのお尻丸出しシーンが流れただけでもうれしかった。
                                                 
今回のテロが言語道断なのは勿論だが、追加号でモハメッドの風刺画を再度掲載したことに『挑発するな』、『宗教をバカにしていいのか』という意見がある。確かにそれはそれで1理ある。

だが世の中で権威とされているもの、権力を握っているものがお笑いの対象になることは良いことだと思う。世俗的なものにしろ、宗教的なものにしろ、政治的なものにしろ、権威・権力というものは一歩間違えれば人間の抑圧につながる存在だ。そういうものに対して、セス・ローゲンのようにパンツ脱いでセコいギャグでコケにするのも、シャルリー・エブド紙のように底意地悪くコケにするのも、それはアリ、だと思う。権威や権力をコケにできる世の中の方が健全だと思うからだ。政治だろうが宗教だろうが道徳だろうが、どんなものにしろ絶対的な権威が君臨する社会はボクはあまり住みやすいとは思わない

今回殺害された漫画家は以前 福島の事件を揶揄した漫画を他紙に載せて、日本政府が抗議したことがあった(↓)。ボクだって、その絵は面白いと思わなかったし、良い気持ちはしなかった。それ以前に絵が下手くそ過ぎ(笑)。だが、その絵を発行させるな、とは全く思わない。福島の事故が、北朝鮮の拉致被害のようにいつの間にか異論を言ってはいけないような奇妙な権威に成り下がってしまったらサイアクだ。

フランス風刺週刊紙「シャルリー・エブド」本社で発砲事件、犠牲者は12名に増加=パリ : SOCIETAS [ソキエタス]

だが、偶像崇拝を禁じるイスラム教を信じている人たち、大多数の善良なイスラム教徒に対してはどうなんだ、という話もある。彼らの気持ちを逆なでしないために『自粛』(笑)するべきなんだろうか。ボクはそうは思わない。言論の自由を宗教の権威より大事と考えているフランス人は表現する権利がある。だがイスラム教徒の側も抗議したり怒る権利はある。ただしテロではなく言論でスンニ派の最高指導者が『(シャルリ誌最新号の)漫画はばかげて醜悪だ。イスラム教徒は無視するように。』と呼びかけていたがhttp://www.yomiuri.co.jp/world/20150115-OYT1T50072.html?from=ytop_main6、それもアリだと思う。
                   

                                                                
答えはお互いがそこで議論をするということだ。議論してお互いがお互いを知ることで言論も変わってくると思うのだ。だが、そのためにはお互いが議論するための意志とか、礼儀(笑)とか、理由を述べるなど最低限の言語技術が必要なのは言うまでもない。
預言者の顔を描かれることがイスラム教徒にとっては不愉快であるのをフランス人が理解すること、フランス人は言論の自由を宗教より大事に思っているのをイスラム教徒が理解すること、そうすることでしか問題は解決しないと思う。元来 宗教の自由と言論の自由は結びついているもののはずだ言論の自由が脅かされれば、必ず宗教の自由も脅かされる。見解が一致はしなくても、どこかに落としどころはあるはずだ。今回の事件は西洋とイスラムとの対決でもないし、宗教の対決でもない議論をしようとする人間と人殺しとの対決でしかない。
●これがイスラムの多数派とは思わないが、サウジの法学者が雪だるまを偶像崇拝で禁止する、と言ってる↓(笑)。いくら宗教でもそんな発想まで尊重できるか、っていうのがボクの感想。
雪だるまは反イスラム、サウジの学者が宗教見解 | ロイター
                                                 
更にもう一つ、フランスではお笑い芸人がテロを擁護したとして拘束・起訴されるらしい。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150115-00000000-jij_afp-int
これも考えさせられる問題だ。詳細は判らないけれど、『フランスに宗教や権力を揶揄する自由はあっても、テロを擁護する言論の自由はないのか』という疑問は生じる。フランスの『言論の自由』は『宗教や権力を揶揄する言論の自由はあるが、テロや人種差別、ヘイトスピーチには言論の自由はない』ということなのだろう。他にもド・ゴールの悪口を言っちゃいけないとかもあるらしい?そういう彼らなりの『言論の自由』が社会にとって有益なことなのか、それともただの欺瞞なのか、それも議論を続けていけば良い。表現の自由』とは絶対的な物ではなく相対的なもの、時代背景によっても変わっていくものかもしれない。

                                     
はっきりしているのは、今の日本のように言論や表現を自粛してしまうのはサイアクだってことだ。例えば大晦日の騒動でサザンが謝罪したそうだhttp://www.hochi.co.jp/entertainment/20150115-OHT1T50115.html。謝罪した桑田佳祐を責める気はないが、何であんなことくらいで謝罪をしなきゃならないんだ。実にくだらない。所詮 サザンだろ(笑)。他にもNHKしかり、民放しかり、出版しかり。マスコミが抗議を恐れて自粛してしまったら議論すら生まれない。彼らは表現の自由を害するテロリストと同じことをしている。自粛はある意味 議論を放棄することだからだ。
映画だってそうだ。
以前イルカ漁を描いた映画『ザ・コーブ』の日本公開は大騒ぎになった。今回の『ザ・インタビュー』も公開されるか疑問だし、この年末にアンジェリーナ・ジョリーが監督してアメリカで公開された映画『アンブロークン』も日本兵が捕虜を虐待する『反日映画』と産経などが煽って【映画点描】反日映画?「アンブロークン」の監督、アンジェリーナ・ジョリーが豪を訪問 - 産経ニュース日本公開が危ぶまれているそうだ。change.orgを見たら、見てもいないのに反日映画と騒いでるバカが9000人も署名してやんの。秘密保護法に反対署名している人の3倍だ!ボクは、ボスニア民族浄化を描いた監督第1作を見てA・ジョリーは映画監督の才能はないと思ってるので、この映画をそれほど見たいとは思わないが(でも今回の脚本はコーエン兄弟らしい)、公開を自粛してどうするんだよ。それを言論の自由を守るべき新聞が煽ってるんだからどうにもならない。要するに産経もパク・クネの同類だ(笑)。
●映画『アンブロークン』の予告篇。日本軍の捕虜になり虐待を受け、そして最後は日本を許した金メダリストの実話。フツーの文芸作品だよ。

                                                 
日本兵が一部で捕虜を虐待したのも、捕虜の人肉食いをしたのも事実だし、事実が映画で描かれるのは当たり前の話だ。日本兵が捕虜を虐待したのを描いた映画なんかいくらでもある。『戦場のメリークリスマス』然り、昨年公開された佳作『レイルウェイ読書『日本人へ 危機からの脱出編』(塩野七生)と『選憲論』(上野千鶴子)、それに映画『レイルウェイ 運命の旅路』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)だってそうだ。だって、やったんだもん(笑)!
事実を覆い隠すことで議論を避けるのはサイアクだ。反日とか騒いでるバカは、マスコミに踊らされて事実を直視する勇気も能力もない白痴です、って自分で言ってるようなもんだ。反日だったら、日本よりアメリカの国益を優先する親玉が永田町にいるだろうが!             
                                                                 
                                                                     
                                               
年末から起きた諸々の事件は、自分でも良い勉強になった。どうも言論の自由』はオールマイティのものではなく、『』つきで表現するべきものみたいだ。言論の自由は絶対的というより相対的なもの、らしい。つまり民主主義と同様、社会のメンバーの間で絶えず議論をし続けなければ成立しないものなんだ。
同時に日本人が議論が苦手なのも再認識した。責める側は相手の言ってることを聞かずに、反日とか左翼とか右翼とかレッテル貼りだけで判断する。表現する側も抗議を恐れて直ぐ自粛してしまう。ホントは自粛とか謝罪をする前に自分の意見を表明して議論しようとするべきではないのか自粛は言論の自由を破壊する。議論することで始めて、自分たちなりの言論の自由とはどんなもので、どこまで認めるべきなのか、が判ってくると思う。当たり前だが、話してみなきゃわからないってことだ。逆に、一人一人が真面目にそういうことを考えていかない限り、日本の言論の自由も民主主義も危うい。つまり日本の将来もマックラだってことだ(笑)。



                                                            
と、言うことで、今週も官邸前へ
今日の午後6時の気温は10度、比較的楽だった。昨日は東京は強い雨だったが、湿っぽくて生暖かい春のような天気だった。まだ春の訪れは早いだろうけど、春先の三寒四温が始まったかのようだ。
今回の参加者は先週よりやや少ない感じで、官邸前600人くらい、国会前他で500人くらい、で1000人強くらいだろうか(主催者発表1400人)。
●抗議風景







今日スピーチをしてたなかには、日米合同委員会がどうのとか、自然エネルギーを電力会社は全量買い取れとか言ってる人がいた。真偽はしらないけど裏付けがない話をいくら聞かされてもなあ(笑)。呑気でいいよな(笑)。原発を手放したくない連中がいい加減なことを言ってるからこそ、原発に反対する側はちゃんと裏付けがある、現実的な意見を出せるようにならないとその声はいつまでたっても広まらないよ。仮にそれで脱原発が実現したって民主党の二の舞(笑)、あっと言う間に失敗するだろう。

                                      
それより、今日の深夜0時が関電 高浜3号炉、4号炉のパブコメの締め切り。★高浜原発再稼働やめろ!パブコメキャンペーン | 首都圏反原発連合
ハード面では審査書を読んでいる暇も理解力もないので、とりあえず以前 川内原発パブコメで出した、組織や避難計画、訓練などソフト面について因縁つけたものを改変して、とりあえず提出した。やっぱり出さないのは悔しいもん。コピペって素敵(笑)。原子力規制委員会は相変わらず科学的な指摘事項に限るとか抜かしているが、避難計画なんか知らね〜って言う方がよっぽど非科学的だ。

●国会前。以前の場所が道路工事ということで(嫌がらせか?)、今日から数十メートル離れた場所へ移転

                                                                                                    
今週 家に届いた通販カタログ『通販生活』の春号の表紙には少し感心した。『原発が一基も動いていない2015年のお正月』と大書したコピーの横に『原発が動けばシャッター通りが明るい通りに戻るんですか』、『原発が動けば海外から工場が戻ってくるんですか』、とある。

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原発が動いていたころだって、商店街のシャッター通り化は進んでいたし、工場の海外移転も進んでいた。アベノミクス原発の再稼働も、その本質は今や ボロボロになった戦後の経済構造を覚せい剤(補助金)を打ちまくって延命しようとしているってことだ。安倍晋三は言葉とは裏腹に戦後レジームを懸命に守ろうとしているんだよ(笑)。もちろん、そんなことは長くは続けられない。今 日本の個人金融資産は約1600兆、政府の債務は約1100兆。安倍晋三は2年で債務を40兆も増やした。昨年から日本の貯蓄率はマイナスに転じたそうだから、今のようなバラマキはあと10年も続けられない。
結局 企業にしろ個人事業主にしろ、それぞれがやる気を出して自律する経済の仕組みを作っていくしか、活路はない。口で言うほど簡単じゃないが、競争力のある企業を作っていくことだって、起業だって、里山資本主義のような試みを進めていくことだって、やれることは沢山ある(*里山資本主義だけじゃ規模が小さすぎて、日本人全員を支えるのは不可能だ。既存の産業だって利用しなければ日本人は食っていけない)
                                               
確かに昨年1年間、原発は動かなかった。これは国民の反対の声だろう。それをもっと実効性のあるものにしていくには、反対の声をより建設的なもの、現実的なものにレベルアップしていく必要がある。そのためには一人一人が現実を深く考え続けなければいけないし、一人一人がもっと変わらなければいけないと思うのだ。もちろんボクもです、はい(笑)。