特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

音楽ドキュメンタリー2題。『アルゲリッチ 私こそ、音楽』と『自由と壁とヒップホップ』

台風が来る前に、先週末 渋谷で音楽映画を2つ見てきた。
午前中は『アルゲリッチ 私こそ音楽』(原題 Bloody Daughter)

ポリー二先生が年齢による衰えを隠せない今 もっとも生で聞いてみたいピアニストはマルタ・アルゲリッチだ。この人も70歳を迎えているが、鉈でぶったぎるような力強い音色とテクニックは未だに衰えを感じない。彼女は毎年のように来日してオーケストラや合唱団と共演しているけれど、ボクが聞きたいのはソロのリサイタルなんだよ。とにかく、この人は一度 生で聞いてみたい。
●現在のご本人

このドキュメンタリーはアルゲリッチの三女が今まで明かされなかった母の日常生活、演奏、家族の歴史を描いたもの。
アルゲリッチは文字通り世界中を旅してまわる生活をしている。ワルシャワに、別府に、フランス、ベルギー、イタリア、住居があるスイス。文字通り落ち着く暇がない生活を約50年間続けている。ロックスターもそうだけど、演奏家というのは大変だ。彼女は一応 結婚しているが、相手とは一緒には暮らしていないという。結婚相手のピアニストもアルゲリッチとは別に愛人が5人居て、愛人とそれぞれの子供も招いて一緒に食事を共にしたりしている。アルゲリッチも結婚相手も国境も、結婚制度もまったく相手にしないで、完全にやりたいことをやっている人たちだ。こういうのを本当の自由人って言うんだろうな(笑)。
●今の婚姻相手と一緒に。ボロネーゼを食べる。

大人たちはそれでもいい。アルゲリッチなんかは完全に天才だし、ピアノさえあれば、どこでも生きていけるだろう。だが家族はどうだろうか。
3人いる娘たちは母親似の美人揃いなのだが、父親は全員違っている(笑)。母親は子育てをする暇なんかない。中国人との間に生まれた長女は母親と暮らしたことすらないし、指揮者との間に生まれた次女やピアニストとの間に生まれた三女の子守をしたのは時折入れ替わるアルゲリッチの恋人たちだったそうだ(笑)。
アルゲリッチ(左から二人目)と3人の娘。全員父親が違う。

●長女と若き日のアルゲリッチ

                             
起居を共にしている娘が撮っただけあって、カメラはアルゲリッチが演奏前にナーバスになって周囲に当り散らしている姿、文字通りベットから起きたばかりのノーメイク姿など秘蔵シーン(笑)ばかりとらえている。公私を問わず過去をとらえた記録フィルムも興味深い。故郷アルゼンチンを捨て、ある意味 家族も捨て、だけど自分の中の愛情との葛藤に苛まれる彼女の姿は興味深い。だが、こういう人は芸術そのものに奉仕しなければならない。並外れた才能がある者の宿命は、自分でも良くわかっているのだろう。

●リハーサル光景。ペットボトルに注目(笑)

ボクはアルゲリッチがどうやって作品を解釈し、自分の演奏を生み出しているか、というところが一番興味があったけど、そこにはさすがにカメラは入らなかった。まあ、ピアノの前で独りでうなってるだけだろうから、映画にはならないかもしれないが(笑)。それにしても かってアルゲリッチが作風が全然対照的なフリードリッヒ・グルダに師事していたのは知らなかった。
●新幹線の中で駅弁を食べるアルゲリッチ。この人、映画の中では食べてばかりいた(笑)。グリーン車じゃないのも驚き。

                                      
映画は三女が生んだ孫にピアノで童謡の弾き方を教えるアルゲリッチのほのぼのとした姿を映して終わる。なんとも言えない、とても面白い映画だった。


                 
午後は渋谷のアップリンクで『自由と壁とヒップホップ『自由と壁とヒップホップ』公式サイト | SIGLO

史上初のパレスチナ人ヒップホップグループDAMの活動を中心に、占領地の検閲所や分離壁といった分断、性差などさまざまな壁があるパレスチナの人々の日常生活を描いたもの。監督はアラブ系アメリカ人女性のジャッキー・リーム・サッローム

                       
昨年封切りされた時からぜひ見たかったんだけど、今回 クラウドファウンディングで資金を募って実施されたDAMの来日公演に合わせたアンコール上映でやっとスクリーンで見ることができた。
パンクロックというのはロクに楽器も弾けない貧しい若者が3コードだけのシンプルな音楽で自分の気持ちを表現することで始まったが、ヒップホップは街中で楽器すら弾けない&買えない若者が言葉とリズムで自分たちを表現することから始まったという。ボクはメロディがない音楽はあんまり好きじゃないし、巷に流通しているものは黒人のポーズだけ真似したくだらないものが多いから、そんなにヒップホップは聞かない。だけど、若者の表現方法、闘争方法としては理解は出来る。


DAMのメンバーはイスラエルに住むパレスチナ人。イスラエルに住むパレスチナ人は全人口の2割。その中でもイスラエル建国当時に土地を奪われた『48年組』、ガザやヨルダン川西岸地区のように中東戦争イスラエルに占領された土地に住んでいた『67年組』と分かれて呼ばれているそうだ。実際の宗教もイスラムだけでなく、キリスト教ユダヤ教など様々だという。
                              
48年組の親たちに育てられたDAMのメンバーや家族たち、普通のパレスチナ人たちは別にイスラエルを倒せとかユダヤ人と闘えとか、そんなことを言っているわけではない。彼らは、ただ平和に暮らしたいというだけのようだ。そんな彼らが直面している環境はボクの想像を超えていた。綺麗で近代的なイスラエルの都会とは対照的にパレスチナ人居住区は電気も水道も不十分だ。テロリスト防止を名目に巨大な壁が作られている。住んでいるアパートを軍に爆破された人たちがいる(ガザではなく、イスラエル国内の話だ)。パレスチナ人がバスに乗れば、ユダヤ人の客からじろじろ見られる。リュックでも持っていたら、テロリスト扱いされる。まるっきり黒人差別と一緒なのだ。映画の中でメンバーが、『街中でヘブライ語を話しているとユダヤ人もアラブ人も違いは判らない。だけどアラブ語を話すと警官が飛んできて尋問される』と言っていた。これは意外だったんだけど、良く考えれば朝鮮の人だってモンゴルの人だって外観は日本の人と区別つかないことも多いもんな。民族なんてものが人的なフィクション、虚構であることが良くわかる。

結成当初はDAMのメンバーも黒人カッコいいとか、金持ちになりたいとか、そんなことを考えていたようだ。エグザイルとかって、そういう感じなんだろうか(笑)。だがDAMは2000年のインティファーダで考えが変わったという。日常生活を歌おうとしたら政治のことを歌わざるを得なくなったというのだ。そうやってできたのが最初の彼らのヒット曲『誰がテロリストだ?』
誰がテロリストだ?俺がテロリストだって?なんでテロリストだよ
自分の故郷に暮らしているだけ。
誰がテロリストだ?おまえだろ。
俺のすべてを奪ったんだから。

●Who's the terrorist?(英語字幕付き)。アラビア語は何を言っているかわからないが、伝わってくるものがある。それが音楽の力だ。


確かにイスラエルのテロや暴力に遇っているパレスチナ人が、そのイスラエルにテロリスト呼ばわりされる筋合いはない。DAMは難民キャンプや学校を回って、パレスチナ人自身の声を出そう、とメッセージを伝え続ける。さっき民族は虚構、と書いたけれど、彼らにパレスチナというフィクション?が必要なのは良くわかる。理不尽な差別の中では、自分たちが何者であるかというアイデンティティを持つ必要があるのだ。人間は幻想に全く頼らずに生きていけるほど強くない。道具も技術も要らないラップを始める若者はイスラエル国内だけでなく、難民キャンプ、それにヨルダン川西岸、ガザにも広がっていく。赤新月社で行われたガザでのヒップホップのコンサートは凄かった。殆ど素人が見様見真似でやっているだけだが、ラップで立派に自分の意見を表現していた。まさにPeople's Musicと言う感じだった。
                                                                          
監督は女性だけあって女性ラッパーの事も描いている。彼女たちはイスラエルと従来からの因習と、二重に抑圧された存在だ。ラップを始めようとしたら親戚に一族の恥と脅かされて命の危険を感じた女性もいる。アラブの一部の人間から見ると女性がステージに上がるなんてとんでもないらしい。だが彼女たちもマイクを持ち続ける。あんまりラップはうまくなかったが(笑)、勇敢な人たちだ。

            
やがてDAMは各地に散らばるパレスチナラップミュージシャンヨルダン川西岸の難民キャンプに集め、合同ライブを企画する。普段はパレスチナ人はガザやヨルダン川西岸との行き来はできない。DAMのメンバーから『イスラエルに住んでいるパレスチナ人はガザの人にはイスラエルの協力者と思われているんじゃないか』という発言があったが、それはびっくりした。パレスチナ人たちの心の中にもそういう『』はあるのだ。だが彼らはネットや電話で、そして音楽で繋がっていた。とにかく、最後には泣いてしまったよ。
                                   
日本にいるとパレスチナの普通の人々の考えはなかなか聞こえてこない。彼らはボクらと同じ普通の人たちだということが良くわかった。それが理不尽に弾圧され、暴力を振るわれている。家を壊され、オリーブ畑は潰され、土地が奪われている。女性とか子供とかは関係なく、経済的にも政治的にも不当に差別され続けている。
生々しくて最後には感動する、傑作ドキュメンタリーだった。


                       
映画が終わった後は監督とDAMのメンバーのトークショーパレスチナ人ヒップホップグループDAM、ジャパンツアー大成功!音楽に国境はない! - シネマトゥデイ

●左側二人はDAMのメンバー。右側の女性は監督

                             
監督によると今夏のイスラエルのガザへの侵攻で、映画に出ていたガザでラップをやっていた人たちは無事だったそうだ。だが父親が爆撃で亡くなったメンバーもいるという。また爆撃を受けた父親を助けようとした消防士が9人、再度ミサイルを撃ち込まれて亡くなっている。      
DAMのメンバー(写真中央)は最後にこんなことを言っていた。『外国の人たちと話しているとパレスチナの人たちに何をしたら良いかと質問される。皆さんには2つのことをお願いしたい。
1.イスラエルのものをボイコットしてほしい。
かって南アのアパルトヘイトを止めるのに、世界各国のボイコットは非常に効果的だった。イスラエルのボイコットをやっているBDSという運動のサイトがあるから、それを見て参考にしてほしい。BDS Movement |

2.ウソには気を付けてほしい。
パレスチナの問題は宗教もあるから解決は難しい』と言われている。だが、そんなのは嘘だ。我々は『ただ平和に暮らしたい。ユダヤ人にもパレスチナ人にも平等に土地を分けてくれ』と言っているだけなのだ。一方イスラエル政府は、土地は全てユダヤ人のものだ、と言っている。どっちが正しいかは決して難しい話ではない。我々はとてもシンプルな話をしている。

●手を挙げた観客をバックに自分撮りの写メをするDAMと監督(笑)。

                                     
映画館を出ると、画面で見たパレスチナの風景と渋谷の光景のあまりの違いに愕然とする。これを見て、DAMのメンバーはどう思っただろうか。そんなことを帰途、ずっと考えていた。
                          
 
●予告編

●ダイジェスト版