特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

映画『プロミスト・ランド』

今週 スコットランドがイギリスから独立するかどうかを決める住民投票が行われる。当初はそんなのムリだろ、と思っていたが、今や賛否は拮抗しているようだ。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140915/k10014602321000.html
事情を良く知らない、無責任な第3者の物言いなんだけど、ボクはスコットランドが独立したら面白いと思う。独立派が言っている、スコットランドの意見がイングランドに掻き消されて国政に反映されない、というのは確かに一理ある。それどころかサッチャー時代からスコットランドの炭鉱や鉄鋼、造船などの産業は苛められてきた。栄えているのはロンドンの金融街だけ。格差はどんどん広がる。そんなんだったらスコットランドの人が独立しちまえ!と考えるのは当然かもしれない。
無責任な物言いついでに、沖縄も日本から独立すればいいと思うんだよな。もちろん福島県だって、北海道だってそうだ。今度の沖縄県知事選に立候補する元自民党県連の幹事長の翁長氏は、『日本の47分の1として認めないと言うんだったら、もう日本という衡(くびき/自由を束縛するもの・枠組み)から外してちょうだいっていう気持ちです。』、『基地と引き換えなら地域振興策なんか要らない。沖縄は独立しても貿易でやっていける。』と昨年の朝日新聞のインタビューで断言していた。那覇市長が語る「2012年の衆院選挙と沖縄独立」 | 後世に残したいラジオの話
                                       
明治以前は日本も地方ごとに法も違えば、人々の暮らしぶりも違っていた。沖縄はその最たるものだ。蝦夷熊襲が割拠していた時代に始まり、鎌倉時代室町時代、それに戦国時代、藩ごとに都市国家のようになっていた江戸時代、日本は統一国家と言うより、地域の集合体だった時間の方が長いのではないか(ホント、イタリアに似ていると思う)。
スコットランドにしろ、バスク地方にしろ、沖縄にしろ、横暴な中央政府からどんどん地方が離れていく、色んな人々が自分たちの地域の特徴を生かしながら自立していく。そんな動きが世界中に広がっていったら素敵だ、とボクは思うのだけれど、それは夢物語なのだろうか。



                                             
銀座で映画『プロミスト・ランド映画「プロミスト・ランド」公式サイト
マット・デイモン主演、ガス・ヴァン・ザント監督の新作。


舞台はペンシルバニア。シェール・ガスを採掘する巨大エネルギー企業に勤務する主人公(マット・デイモン)はガス鉱脈がある小さな村へやってきた。彼の使命は住民をなるべく安い費用で説得して採掘権を手に入れること。アイオワの田舎育ちの彼は今まで地方の住民の説得に大きな実績を挙げてきた。だが、今回は元高校教師の住民が反対に回る。さらに環境保護団体まで現れて、彼は窮地に陥る。採掘の是非をめぐる住民投票の直前、彼は環境保護団体の主張が全くの虚偽である証拠を見つけだすが。

                                
言うまでもなくアメリカにとってはシェール・ガスは革命的な出来事だろう。今までは中東の石油資源を守るためにアメリカは莫大な軍事資源を費やしてきたが、それすら不要になるどころか資源の輸出国になる可能性すらあるからだ。だがシェール・ガスの採掘によって採掘地の地震が増えるとか、地下水の汚染リスクの話もあるようだ。その真偽はボクはまだわからない。

主人公は女性の同僚と組んで、ペンシルバニアの田舎町を回る。主人公が育った町も田舎で産業も何もない貧しい村だった。大多数の子供たちは大学へも行けず、安い賃金しか払われない肉体労働の職に就くしかない。だからシェールガスの採掘に同意することで、村人たちがお金を手にすることが良いことだと信じている。そうすることによって過疎の村には産業が興るし、村人たちも貧しい暮らしから脱却できる。子供たちは大学へ行くことができるのだ。心底からそう信じている主人公は多くの村人たちを説得に成功してきた。ただしガスの評価額は安く見積もる。無知な村人たちへの補償金をそうやって抑えて会社での出世街道を歩いてきたのは主人公のもう一つの側面だ。
日本の地方で原発の立地工作を進めた人たちは、またカネと引き換えに原発を受け入れた人たちはどんなことを考えていたのだろうか。
●エリート候補の主人公と会社幹部との食事。ワインのオーダーを問われて、幹部は料理とのマリアージュや年代も問わずにただ『シャトー・マルゴー』とだけオーダーする。物事の価値を価格だけで判断する連中ということが判る。


マット・デイモンはルックスはあんまり好きじゃないんだけど、ウォール街を告発するドキュメンタリーインサイド・ジョブ』のナレーターを自らやったりするような好漢だってことは判ってる。脚本にも加わっている彼は、素朴な人の良さがそのまま強調されるような役柄で、村人たちを説得する役がぴったり合っている。

●主人公は会社の同僚(アカデミー賞女優のフランシス・マクドーマンド)と二人で村を説得に当たる。彼女はダメ夫と子供が待つ家にただ早く帰りたがっている

●主人公は村の高校教師(左)にも好意を寄せる。

                                    
だが、主人公の前には環境保護団体の男が現われる。シェールガス採掘のリスクを巧みに訴える彼の弁舌に主人公の説得工作は苦戦に陥る。彼が田舎町のダサいバンドをバックにスプリングスティーンの『Dancing In The Dark』を超下手に歌うシーンは、この歌が好きなボクとしては複雑な気持ちだった(笑)。
主人公の見かけ上の人の良さは本当に信念を持った人には通用しない。シェールガスの環境リスクもさることながら、田舎のコミュニティの良さを愛する人たちには通用しない。彼が『シェールガスが出ればアメリカは石油を輸入しなくても済む』と述べると、村人に『俺の弟は石油のためにイラク戦争で死んだ。今更 石油が要らないなんて残された弟の家族に話すことなんかできない。』と言い返される。このシーンにはボクも文字通りガーンときた。こういう地に足の着いた当事者たちの声にさらされて、主人公は出世街道まっしぐらだった自分の生き方に疑問を持つようになる。ここいらへんの説得力は圧倒的だった。
環境保護団体の男(右)も主人公を邪魔しに来る。主人公はこの団体の正体を知らない。

                    
だが、彼は組織の壁にぶち当たる。観客も唖然とするような大企業の非情さ(見事なプロット!)を目の当たりにした彼はどういう行動をとるか。
                                                                                      
ボクは企業なんか一切信用しないし、企業は敵だと思っているけど(笑)、それでも共産党みたいにただ企業を敵視するだけでは問題は何も解決しない、と思っている。たいていの企業は世の中にメリットも与えているからこそ存在できているのであって、そこを無視するのは幼稚だし、間違いだ。所詮 企業は金儲けのための道具でしかないが、人間にはカネも必要なのだ。そこを無視することは自分だけでなく多くの人を傷つけることでもある。
                                                                        
大上段に構えてイデオロギーで断罪する前に、個人個人にできることが必ず、何かある。安いからと言ってインチキな製品を買わないこともそうだし、原発関連の企業やイスラエルの入植地で商売をしている企業をボイコットしたり、企業の反社会的な行動に抗議することもそうだろう。個人が職場でできることもある。男女差別にしろ派遣社員の問題にしろ、働いている人、一人一人が見て見ぬふりをしていることを止めれば、ずいぶん問題は解決できるのではないか。仮にすぐ解決できないとしても、目の前で不条理なことが起きたら10年、20年かけても解決できるよう努力していけばいいじゃないか

主人公はそういう行動をとる。会社に声高に反抗はしない。だが会社の言いなりにもならない。村人たちにただ真実を伝え、判断は彼らに委ねる。
違う道を歩む同僚と決別するシーンも良かった。人間は一つの価値観で割り切れたりはしないからだ。だけど、何か通じるところがあれば、それでいいじゃないか(*イデオロギーに凝り固まった頭の悪い奴はこういう大切なことがわからない。)
●住民集会に臨む主人公

                                                                         
見ごたえのある重厚な人間ドラマ。だけど後味はとても良い。それはマット・デイモンの演技やプロットの面白さだけでなく、この作品に流れている、物事を一つの価値観で決めつけない懐の深さだと思う。映画館に張ってあった『マット・デイモンジェームズ・スチュワートになった』という宣伝文句は褒め過ぎかもしれないが、的外れでもない。作品で描かれた田舎町のように時代遅れかもしれないけれど、この映画にはフランク・キャプラの映画で描かれていたような誠実さがある。愚直で爽やかなヒューマニティに溢れた映画だ。ボクは大好き!