特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

身の程知らずに復興を考える(笑)&映画『ダラス・バイヤーズクラブ』

さて、今週は官邸前抗議への参加はお休みします。明日は犬のお墓参りへ行かなくてはならないので。
ウクライナの話はプーチンの強盗の手際の良さは驚くばかりだが、一方ウクライナの政権もネオナチが少なからず混じっている。佐藤優氏が『毒蛇と毒サソリのにらみ合い』と評しているそうだけど、ウクライナの群集にネオナチの旗が混じっているのを見たりhttp://matome.naver.jp/odai/2139338815267519601、内閣に4人もネオナチが混じっているのを見ると、確かにそういう見方が的確なんだろう。世の中、簡単には割り切れないことばかりだ。ネオナチが政権に入っているというのは日本から見たら信じられないことだが、外国から見たら安倍晋三A級戦犯の孫で本人もネオナチみたいなファシスト、そんなのが文明国の総理大臣なんてもっと信じられないことなのかもしれない。
                              

今回はちょっと考えていることを書きます。耳触りは悪いかも、と最初にお断りしておきます(笑)。                                                      
この前 TVのニュース番組でコメンテイターをやっている学者さんとお会いする機会があった。TVと言っても、インチキ臭くないきちんとした人だ(笑)。その際 311の復興についての話になった。色々言われているが、現状を整理すると、こんな感じだそうだ。

                                                                   
20兆円の以上の巨費を使っても復興は全くはかばかしくない、といえるだろう。その原因は役所の復興予算の流用とか非効率だけではないという。
一つは建設の労働力不足、もう一つは地権者と工事や用地買収に関する手続きに時間がかかっているから、だそうだ。新聞によると11年、12年とも復興予算の約4割が未消化だという。 http://mainichi.jp/sports/news/20140211k0000m020095000c.htm
                                                       
ゼネコンの人に聞いたらビルなどでコンクリートの枠を作る型枠職人の平均年齢は60歳になっているという。下手したら今に日本はビルも建てられなくなるんじゃないか?(笑)。それが典型的な話で少子高齢化による人手不足は深刻な問題だ。だが津波で流されてしまった人の土地を誰かに相続や名義変更してから買収をする、というのも大変だ。確かに、そんなことをやっていたら莫大な時間がかかる。名義がわからない土地も多いらしいし。復興が遅いとすぐ、役所がバカという話になるがそんな簡単な話ではない。そんなこと誰がやったって簡単なことではないし、被災地の役人だって被災者なのだ。土地の収容を円滑に進める特別立法の動きがないわけじゃないらしいが、政治家のほうも収容を強引に進めるような話は及び腰らしいし、行政だって強引にやる根性はないらしい。土地の収容なんて人気取りになる施策じゃないからだ。 これでは復興が遅々とした足取りになるのも仕方がないように思える。

更にこんな問題もあるそうだ。もともと高齢化率が高かった現地では若い人を中心に人口の流出が依然進んでおりせっかく復興住宅やインフラを現地に作っても住む人の多くは高齢者になりかねない。将来 被災地は税収不足で、夕張市のようにインフラの維持費が負担になって財政破綻+ゴーストタウン化する可能性もあるという。勿論 若い人を呼べばいいのかもしれないが、日本全国の過疎自治体がそう思っていても中々実現することは出来ないわけで、簡単な問題ではない。

                                                    
避難者の人、仮設住宅に居る人への対策を加速させることは必要だ。環境の良くないプレハブ住宅に長期で暮らすことで心身ともに悪影響が出ている人が居ることは度々報じられているし、心が痛む。仮設住宅から被災者がきちんとした住宅に移ること、これは優先順位を高めて解決すべき問題だ。
だが誤解を恐れずに言うと、多額の予算を出して同じ場所に復興住宅やインフラを整備するのが良いのかどうか、ボクは正直ワカラナイ。将来 被災地が財政破綻したり、ゴーストタウン化してしまったら元も子もない。もしかしたら特に高齢の人は現地ではなく都会にマンションでも建てて、そこに住んでもらったほうが良いのかもしれない。
でも、こんなことは政治家は言えない田中康夫などは以前から『除染などに使う金があったら、国がフクイチ周辺の土地を買い上げて居住不可の地域にするべき』だと言っていたが、メジャーな政党はそんなことは言えない。感情的だが正論ではある『故郷が失われた人の気持ちはどうする』という非難を浴びることは目に見えている。勿論マスコミだって言えるわけない。 そうやって、ゼネコンと官僚、それに口利きした政治家以外は誰も得しない復興事業が機械的に進んでいく。被災者の人を置き去りにしたままで。

                                                            
これは何かに似ている。この前 東京大空襲とフクシマが似ていると書いたけど、戦前 対米戦争なんかムリと判っていても、国民の悪化した対米感情を恐れて誰も止めることができなかったメカニズムとも似ているのではないか。
誰も止められない。誰も決められない。そして、誰も責任を取らない。

                                                    
今後 人口が減って行く日本では以前のような経済成長を望むことは難しい。産業革命やIT革命のような画期的なイノヴェーションみたいなものが起これば、人口が減っても経済成長は出来るかもしれないが、普通の大人だったら、そんな神がかりみたいなことはあてにできない(笑)。実際 この20年 日本の名目GDPは労働人口の減少に比例しているのが現実だ。
だから今までの手法、例えば原発のように、カネでみなの不満を塞ぐような解決策は取れない。残念ながら、どこかが損して、どこかが得するような政策になってしまう。それを政治家は決められない。マスコミも指摘できない。行政もたいしたことはできない。

じゃあ、どうするのか。
案1.橋下徹方式(笑): 国民を説得できる卓越した指導力を持つ『決められる』リーダー(笑)に『頼る』
案2.安倍晋三方式(笑):政府の権力を強くして国民の私権を制限して『決められる』社会を目指す
案3.現状維持方式:とりあえず、現状維持。極論すると、被災地での復興もこのまま無かったことにする。

                                
どれも、厳しいよなあ(嘆息)。案1や案2のような話はマスコミ受けするし、判りやすいが、いい加減そんなものは幻想だってことはそろそろ気がついても良いと思う。日常生活でみんなわかっている通り、個人の能力なんて、そんなに差がないのだ。
ボクは被災地の問題だったら、当事者である被災地の人が決めるしかないと思う。巨大防潮堤を作るほうがよいかどうか。津波のリスクを冒して海の近くに住むかどうか。将来の維持費はどれくらいかかり、それは自分たちで負担できるのか。行政はメリットとデメリット、住民の負担と国からの援助、すべて明らかにするくらいは出来るはずだ(得意だろう)。あとは被災地の人が決めるしかないのではないか。実際 確か気仙沼だったか、一部では住民の意思決定が有効に左右して、津波からの安全性を保ちつつ巨大防潮堤を作らなくて済んだ例もあるそうだ。
                                                               
それは被災地だけの問題ではない。結局 政治家もマスコミも行政も耳触りのよいことしか言えない彼らは本当のことを言えないのだ。だったら我々が決めるしかない。その手法は例えば 住民投票だ。以前 将来の原発比率について3案を提示したパブコメ募集があったが、行政は住民が選択可能なオプションを出し、それを熟議した上で投票で決めるようにすれば良い。
                                                
例えば脱原発だったら、大雑把にはこんなオプションが考えられるのではないか。 原発停止の燃料費増は経産省の3兆以上という宣伝とは違って、実際は1〜2兆みたいだから、電力会社が経営改善して負担しろよ。
1.原発を直ぐ止めるかわりに廃止費用5兆を国民負担する
2.原発は10年くらいかけてゆっくり止める。廃止費用は電力会社の減価償却で賄う。足りなければ国民負担(10年も経てば残存価額は大したことはないはず)。
3.安全を確認した原発とウラン燃料は極力使いきる。廃止費用は最も少ないが、期間中の事故リスクを国民は負う
 
残念ながら、原発を廃止してカネもかからない、なんて魔法のような案はない。現実的なオプションを行政に作らせて、あとは数ヶ月かけて情報を周知させて国民が選べばよい。
もちろん多数決だって問題ある手法だが、時間をかけて熟議するというプロセスを入れればマシにはなる。自民党三原じゅん子のように秘密保護法を動物愛護と勘違いしている国会議員がいるくらいだから(こいつは、保護法採決時 マジでそうtweetしてました)、今の国会審議よりはマシかもしれないではないか。
現状の、代議士を選出して政治を委託する間接民主主義制は国民の意思を必ずしも反映できていない。その結果 欲求不満と不平だけが拡がっていく日本に漂っている閉塞感はそんなところにも原因はあるのではないか。

                                                                  
哲学者の國分功一郎氏がこの本、『来るべき民主主義』で『選挙だけが民主主義のやり方ではない』と喝破していて、それはまさにその通りだと思った。住民投票だけでなく、ロビーイングやデモのような意思表明だって民主主義のやり方の一つだろう。
これからは、それらのような間接民主主義を補完する仕組みを真剣に検討していかなければならないのではないだろうか。戦後50年経って確かに制度疲労は起きているのかもしれないが、憲法なんか変えても何のメリットもない。こんな複雑な世の中では、魔法の薬はない嫌なことも良いことも、耳触りが悪いことも、結局 自分たちのことは自分たちで決めなければならないのだ。


                                       
ちょっとヘビーな話のあとはとっておきの映画の感想、行こう。自分のことは自分で決める男の話だ。
渋谷で映画『ダラス・バイヤーズクラブ』。今年のアカデミー賞で主演男優賞(マシュー・マコノヒー)と助演男優賞ジャレッド・レト)を独占した作品。

舞台は1985年、テキサス州ダラス。電気技師をしながらロデオカウボーイをしていた主人公(マシュー・マコノヒー)は酒、ドラッグを乱用し、コールガールと乱交する暮らしを続けていた。いかにもテキサスの白人男性らしく、ゴリゴリの保守派、男性優位主義でゲイを忌み嫌うような男だ。ある日 偶然担ぎ込まれた病院で彼はHIV陽性、余命30日を告げられる。当時 HIVの薬はHIVに対する無理解なレーガン政権の姿勢もあってアメリカ国内で殆ど認可されていなかった。彼は猛勉強を始め、HIVの薬を探してメキシコから密輸することに成功する。やがて彼は入院先で出会った性同一性障害レイヨンジャレッド・レト)とともに未承認薬を密輸し、HIV患者たちに配る『ダラス・バイヤーズ・クラブ』を立ち上げる。だが彼の前には 製薬会社と政府、医師たちが立ちふさがる。

これまた、実話だという。アカデミー賞絡みの『アメリカン・ハッスル』も『ウルフ オブ オブ ウォール・ストリート』も『大統領の執事の涙』も『あなたを抱きしめるまで』(傑作)、作品賞を取った『それでも夜はあける』も全て実話だそうだが、事実は小説よりも奇なり、ということなのだろうか。少なくとも圧倒的な重みは感じてしまうし。
                                                                    
映画が始まると、今まで男性ストリッパー役などをやってた肉体派?のマシュー・マコノヒーガリガリに痩せこけた姿にまず、驚く。20キロ以上痩せたそうだが、文字通り骨と皮だけの姿だ。
最初に描かれる主人公の姿はテンガロンハットをかぶり、未だに南軍の旗が飾ってあるようなバーで男だけでビールとウィスキーをかっ食らってるような男だ。コールガールは大好きだが働く女は大嫌い、女性は自分と対等の存在とは思っていない。AIDSはゲイに対する神罰と信じているような、文字通りのウスラバカだ。
●今やカウボーイハットを被っていると何となく頭が悪そうに見える(笑)。

                                                             
そんな男がどう変わっていくか。
この主人公はウスラバカでも、自分のことは自分でやる。政府も組織も一切信用しない、自分と身の回りしか信用しない、リバタリアンだ。だから病院でHIV陽性と言い渡されても信用せず、自分で徹底的に病気のことを調べて医者顔負けの知識を身につける。アメリカでは製薬会社の圧力で、自分には向かない、副作用の大きい薬しか処方されないことがわかると、自分でメキシコ、日本(インターフェロン)、中国、ヨーロッパ、世界中を飛び回って効きそうな新薬を密輸してきて、同じように困っているHIV陽性の患者へ配り始める。当局から個人で輸入した薬を販売することが違法と指摘されると、彼は会費制のクラブを作って薬は無料配布ということにしてしまう。FDA(食品衛生局)や製薬会社が圧力をかけてきても断固として訴訟で対抗する。あれほどテキサスを愛していた男が、保守的なテキサスはダメだ、として、リベラルなサンフランシスコに移ってまで裁判を続ける。

その戦いの中で主人公はいつの間にか変わっていく。最初はカネのためにクラブをやっていたのに、途中からカネが払えない人も受け入れるようになる。またゲイや性同一性障害者を文字通り毛嫌いしていたのに、商売の相棒となったレイヨンとは深い友情で結ばれるようになる。ドラッグ・クイーンのように華やかさを装っても、どこか物悲しさが漂うレイヨン役のジャレッド・レトはマジで名演だった。そのレイヨンの性を侮辱した男に、主人公が襲い掛かって謝罪させるところは泣けてきました。

●ゲイ嫌いの主人公は商売のために性同一性障害者をパートナーにする(ジャレッド・レト)。

ジャレッド・レトの名演技には涙が出ました。(『蜘蛛女のキス』のジョン・ハートを思い出させました)


頑として他人を受け入れなかった男は、数多くのゲイや女性の助けをも受けながら戦いを続ける。余命30日と言われた男は結局 約3500日、7年間を生き抜くことになる。
                                                                          
以前CANGAELさんが安倍晋三について述べていたおられた印象的な表現をお借りするとクリミヤのプラカードと「強がるリーダー」(内田樹氏) - 四丁目でCan蛙、この映画は、主人公が安倍晋三のようにただ強がるだけの男から、本当に強い人間へと代わっていく物語だ。AIDSや難病モノというだけでない、自分が変わりたいと願っている誰にでもあてはまる普遍的な物語なのだ。
ボクはもう感情移入がビンビンで(笑)、こうやって感想を書いていても涙が出そうだ(笑)。傑作です!