特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

休みなく、切れ目なく、夏休み(笑):読書『持たざる国への道』と映画『25年目の弦楽四重奏団』

やっと夏休み。東京はガラ空きだし、1年で一番楽しい季節〜
だが、この2,3日の暑さにはさすがに閉口する。高知では41度とか言っていたが、日本の天候は絶対 昔より暑くなっている。ボクが子供のころは最高気温は32,3度だったような気がする。夕方になるとスコールのような夕立。今もゴロゴロ光る稲光を見ながら机に向かっている。何が原因かわからないけれど、気候まで昔と様変わりしているのだろう。

                                                     
お休みになって、積んでおいた本を読み始めた。
持たざる国への道』は元財務省、今は内閣府事務次官が書いたもの。『風立ぬ』などでも描かれている大正から昭和初期にかけてのデモクラシーが数年の間に一変して戦争が起きたというのは、ボクはかねがね不思議だと思っている。著者はその原因を『経済原理を理解しない軍部の満州経営や華北進出が、日本を世界的にも孤立させるとともに日本経済をじり貧に追い込んでいき国内を窮乏化させた。その窮乏を政府やマスコミが英米の責任とプロパガンダした結果、日本国民を戦争に走らせた』と指摘している。頭の悪い評論家や政治家がよく、『日本の植民地経営が中国、台湾、朝鮮を近代化させた。日本の植民地経営は良かったんだ』とか言っている。部分的な真実はあるかもしれないが、基本的には事実を曲げていると思う。仮にそれが本当だとしたら救いがたいアホな話だ。国内がそれほど豊かでもないのに外国にカネを使ってどうするんだ(笑)しかもそれで外国の人の恨みまで買ってるんだから(笑)。この本は国内経済を犠牲にしたマヌケな中国侵略という実態を、元財務省の役人らしく予算、金融の面から描いている。なかなか面白いし、案外 日本の立場を比較的 公平に書いているとも思った。後半の金本位制の話はどうでもよかったけど。

                            
永続敗戦論』は、戦後の日本社会は、原爆は『攻撃ではなく、投下』、太平洋戦争は『敗戦ではなく終戦』と読み替えて戦争責任を対内的にも対外的にもあいまいにすることで右も左も対米従属というメカニズムに支配されてきた、という本。とても刺激的で面白いし、原発やTPPや米軍基地、それだけでなく日本の社会の行く末を考えるうえで必読、素晴らしい本だと思う。だけどロジックを整理しきれなくて、まだ感想を書けない。もう2,3か月したら感想を書きます(笑)。


                                                     
銀座で『25年目の弦楽四重奏団
KADOKAWAオフィシャルサイト

今年になって、老境を迎えた演奏家の物語というネタの映画がやたらと公開されている。春にやってた『愛、アムール』もそうだし、ダスティン・ホフマンが監督した奴とか、この半年で4つか5つくらいあるのではないか。
そんなブーム?に便乗したのかと、この映画はスルー予定だったが、いつも名文を拝見させていただいているぷよねこさんがこの作品を今年NO1と仰っている2013-07-10 - ぷよねこ減量日記 2016のをみて予定変更、おっとり刀で(笑)映画館へ。



結成25年目を迎えたNYの弦楽四重奏団。記念演奏会を前にリーダーであるチェリストパーキンソン病を宣告され、彼は引退を決意する。残されたメンバーたちは動揺し、自分たちでも思いもかけなかった言動、行動に走り始める。
●四重奏団の面々
  
                                 
映画全体のモチーフになっているのはベートーベンの弦楽四重奏曲14番。後半の楽章は『アタッカ』(休みなく、切れ目なく)と指示されたこの曲は中途のインターバルがなく、弾き始めたらチューニングが狂っても、最後まで弾き続けるしかない。この映画で描かれる四重奏団のメンバーの人生とも一致している。
病で人生の終幕を意識し始めたチェリストクリストファー・ウォーケン)は自分が人生の最後に何を残すべきか考え始める。一方 残りの40〜50代のメンバーは今までの自分の人生が果たしてこれでよかったのか、振り返る。一匹狼の完全主義者、冷徹な性格だった第1ヴァイオリンは自分の中にも情熱的な部分があることに気が付き、ついでにメンバーの娘と恋仲になってしまう。第2ヴァイオリン(フィリップ・シーモア・ホフマン)は第2という自分の位置も家庭生活にも欲求不満を覚えるようになり、ついでに不倫に走る。彼の妻でもあるヴィオラ奏者も娘と向き合う中で演奏家としての自分と女としての自分の葛藤に苦しむ。
●夫婦像。第二ヴァイオリンとヴィオラ奏者


すごい人間関係だな〜、きっとフリートウッド・マックとかってこうだったんだろうな〜(笑)と思いながら見ていた。ちなみにフリートウッド・マックは30年以上続いている男3人、女性2人の超有名ロックバンド。元カップル二組で構成されており、メンバーの不和で解散、再結成を繰り返している。ステージではメンバーが交互にヴォーカルを取るのだが、失恋や破局の歌を、元カップルの相手方を睨みながら演奏したりする非常に迫力がある、というか怖いバンド。この映画はその再現フィルムみたいな感じです(笑)。

Rumours

Rumours


どろどろした人間関係は見るのも聞くのも苦手だけれど、この映画は一つ一つの出来事が丁寧に、ゆっくりと描かれた映画なので、全然嫌な感じがない。一言で言うと格調高いというか、端正な面持ちをした映画なのだ。登場人物たちの人生をゆったりと見つめる、こういう語り口は好き。四重奏団を演じる俳優たちもみんなうまかったなあ。クリストファー・ウォーケンの顔を見ていると端正というより、彼の今までの役柄、ギャングか兵隊のように見えてしまうところもありましたが(笑)。あと娘役のおねえちゃん(イモージェン・ブーツ)、表情の変化を出すのがすごくうまい。幼さと不自然な色っぽさが共存しているところも好き(笑)。正統派のブロンド美人だし、この人、スターになるかも。
●イモージェン・ブーツ嬢。膝まづくのは年甲斐もなく恋に狂う第1バイオリン奏者

●昔の役の印象が強すぎて、ボクにはクリストファー・ウォーケンは兵隊かギャングにしか見えない(笑)


この映画で唯一 物足りなかったのは演奏シーンが若干 細切れになっているところ。
ダメ指揮者が生き別れた娘との葛藤を乗り越える、ちょっと前の映画『オーケストラ』のように、音楽が文字通り飛翔する瞬間を見せてくれ、とまでは言わない。ただベートーベン後期の作品に見られる苦悩や葛藤を芸術に昇華しているところが、この作品にとっても鍵なので、それだったら1楽章分くらいはまるまる演奏シーンを見せてくれても良かった。
監督によると役者さんに本当に楽器を弾かせるシーンを撮影するために、短いフレーズごと30回!に分けて撮ったそうだ。もちろん 役者さんがちゃんと1曲通して演奏できるわけないから、細切れになるのは仕方はないとは思うけれど。画面に説得力と深みがあるから、音楽にまでそこまで要求してしまう、そんな映画なのだ。地味〜に埋もれてしまうにはもったいない作品。

                         
40〜50代って仕事にしろ、プライヴェートにしろ自分の人生はこれで良かったのか、と悩み始める時期だ。ボクだって身に覚えがないわけではない(笑)。いつの間にか自分の人生のチューニングが狂っていたのに気がついたらどうするか。きれいさっぱり、もう一度やりなおすか。それとも違う曲を弾いてみるか、気づかないふりをするか。人生のベテランに差し掛かってきた腕前を生かして、チューニングがずれたまま調整して弾いてみる手もある。演奏には様々な解釈が成り立つように、唯一の正解なんかない。

この映画が暗示しているように、芸術のように人智を超えた何か普遍的なものに身も心もゆだねたい、というのは説得力がある営為のようにボクには思える。ジタバタするのも人生だけど、この映画のように、静かで端正な面持ちってやっぱりいいなあ、と思うのだ。
自分を捨てることで、どれだけ自由になることができるか。それは歳をとっていくことの特権の一つのような気がする。ま、なかなかうまくいきませんけど(笑)。