特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

『希望の死』を考えながら、過去と未来に想いを馳せる(笑):『小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?』と映画『ルーパー』&『塀の中のジュリアス・シーザー』

ニュースを見ているとこれから食用油、小麦粉、電気料金(怒)、値上げの嵐らしい。アベノミクスが目指すというインフレは金持ちではなく一般人を直撃するんだってば。円安は良いことばかりではない。ちょっと株が上がったくらいで浮かれているヒマがあったら自分の損得を真剣に考えたほうが良いんじゃないだろうか(笑)。

                            
さて今日から4月ということで真新しいスーツを着た新社会人を見ると自分も何となく初々しい気持ちになる、なんてことは全くない!(笑)。だが、まるでローマのコロシアムのような競争社会に引きずりだされた彼らも大変だなあ と同情はする。ボクは20代の頃から『早く定年にならないかなあ』って、思ってる。
そういうことを考えながら最近読んだのは、物事が始まる4月にふさわしい?本。
上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか』(笑)

上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?

上野千鶴子が聞く 小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?

                       
日本在宅ホスピス協会会長の小笠原文雄という医師に、『在宅ひとり死』を願う上野千鶴子がインタビューをしたもの。具体的には、ガン、認知症、老衰、さまざまな場合について在宅のまま医療を受けて死んでいくことは可能か、そのためにはどうしたら良いか、67の質問で尋ねている。
                                            
文字通り 目からうろこの驚くべき本だった。この本によると、家族がいるとつい病院に入院させて無理な延命治療で却って患者が辛い思いをするケースも多い。だが訪問医療を行う医療機関があって、周囲が介護サービスへの偏見を持たず、あとは在宅で死にたいという自分の意思さえハッキリしていれば、殆どの場合 認知症でも、呼吸器をつけていても、ひとりのまま在宅で死んでいくことは可能であるという。
                                             
死ぬのは自宅でPPK(ピンピンコロリ)が理想、とよく言われる。ボクだってそうだ。この本は『家族に迷惑をかけないこと』、『自分が死ぬ場所は自分の意思で選ぶこと』、の両立は可能ということを豊富な実例で述べている。
余命1年を告知されて在宅で死ぬことを選んだ一人暮らしの女性(87歳)が、訪問医療・介護を受けながら、マージャンを楽しみタバコを吸いながら自宅で楽しく暮らして4年の命を堪能したという話には思わず、うるっときてしまった。彼女が安らかに亡くなった枕元で彼女に『伴走』してきた関係者一同で記念写真を撮ったというのだ!なんと素晴らしい死に方だろうか。
                                           
日本人の死に場所が自宅から病院に変わったのは1976年だそうだ。だから自宅で死ぬことは可能、入院で辛い思いをする以外の選択枝がありそうだ、ということをこの本は充分に教えてくれる。
壮絶な老々介護を芸術に昇華させた映画『愛、アムール喜劇の幕引きを学ぶ:『愛、アムール』 - 特別な1日(Una Giornata Particolare)とセットでこの本をお勧めします(笑)。いつもの辛口は控えめなこの本で、上野千鶴子は実によい仕事をしたと思う。一見 死ぬためのハウツーを述べているようで実は死生観にまで繋がる死がまるで希望のように思える素晴らしい本。読み終わって思わず、本で紹介されたデータベースで自宅の近くで在宅医療を行っている病院を検索してしまいました(笑)。
                                                                                       

東京での公開時期は過ぎてしまったんだけど、かなり面白かった映画の感想を2つ。
まず、未来のお話。話題になったSF作品『ルーパー

舞台は2044年、タイムマシンで送られてきた人物を消すことを生業とする殺し屋(ジョセフ・ゴードン・レヴィット)が、殺しのターゲットとして転送された未来の自分(ブルース・ウィリス)とのスリリングな追跡劇を繰り広げる

そんなお話。だけどそれだけではなかった!
前半はSFアクションらしい展開。最初 草食男のジョセフ・ゴードン・レヴィットくんがダイハード・ゴリラ男のブルース・ウィリスと同一人物なんて無理があると思っていたけど、レヴィットくんがウィリスの姿になっていく過程の描写を見て納得した。わざわざ禿げていく描写を入れるところは意図的としか思えない(笑)。ブルース・ウィリスのしかめ面をレヴィットくんが似せて演じているところも面白かった。
●現在の自分(レヴィットくん)と未来の自分(ブルース・ウィリス)。最初は無理があるけど、段々そんなものかいなと思えてくる

ここで描かれる未来の世界は面白い。相変わらず旧来の銃を使っているところと空飛ぶバイクなど近代化されたものが混在している。世界は荒涼としている。貧富の差は拡大し、スラム街は今より酷くなっている。人間の命はいとも簡単にポイされるような世界。『第3世界化するアメリ』ということが指摘されるけど格差が拡大していく現状をみたら、そういう未来しか描けないんだろう。第3世界化は日本も同じだよ。アベノミクスは、それを加速させるだろう。荒涼としたアメリカとくらべて、未来の上海が超近代都市になっているところも面白かった。昨年の『007 スカイフォール』もそうだったが、アメリカ映画はもう、中国市場を無視できなくなっているんだろう。

         
後半は一転 とうもろこし畑に囲まれた一軒家を舞台にした牧歌的な話に変わる。組織から追われて一軒家に逃げ込んだ主人公が、子供を抱えたシングルマザーを救おうとするところは『刑事ジョン・ブック』を思い出させる。SFアクションから一転しての展開は賛否両論あるだろうが、ボクは好き。
トウモロコシ畑の真ん中で暮らすシングルマザー役は昨年12月に見た『砂漠でサーモンフィッシング』で美人コンサルタントを演じていたエミリー・ブラント。お話のキーとなる息子役の顔の演技は凶悪そのもので非常に感心した。
●子供を守ろうとするシングルマザー。しかし、その子供は---

主人公が自ら憎悪の連鎖を断ち切るエンディングのプロットはやはりお見事!凡百のSFやアクションとは一線を画した内省的な結論だ。ジョゼフ・ゴードン・レヴィットくんならではの味がここで出た〜という感じ。前評判が高すぎて ちょっと割りを食った感じだが、確かに見る価値がある映画でした。


                           
もうひとつは過去のお話。銀座で『塀の中のジュリアス・シーザー』。イタリアのタヴィアーニ兄弟が監督した作品。

ところはイタリアの重罪刑務所。教育プログラムの一環としてシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』を囚人たちに演じさせる。
それを描いたドキュメンタリー『仕立て』の作品。敢て『仕立て』と断ったのは映画で描かれるのは、実際に演じられる舞台だけでなく、刑務所内で演じられているリハーサル光景が混じっていたり、虚実が入り混じった構造だからだ。
●やたらと迫力がある面々(笑)

演じているのは皆 実際の囚人。しかも重罪刑務所だけあって終身刑だったり、麻薬売人だったり、マフィアだったりする。皆 マジで顔が怖い(笑)。文字通り 迫力がある。リハーサル中 ケンカが始まりそうになるシーンなんか本当に怖かった。
刑務所の光景はセピア色に撮られている。鉄格子、牢獄、運動場、図書室、食堂、その中で存在感ありすぎる囚人たちがシェイクスピアの大仰な台詞を重々しくしゃべっていると、まるでローマ帝国(正確には共和制ローマ)が現代に再現されているように見える。
刑務所の中シェイクスピア劇が演じられる


囚人たちは勿論 素人だが、特にブルータス役の人の苦悩の演技はすごいなあと思った。舞台装置がなく、顔の表情のアップと台詞だけだからこそ、登場人物の精神がピュアに伝わってくるのだと思う。舞台と映画が融合した新しい表現、というと大げさだろうか。
●ブルータス役の囚人

  
重厚なシェイクスピア劇の最後に、観客は現実に引き戻される。今までは刑務所なんて屁でもないという顔をしていた、カッシウス役を演じた囚人がこう、述懐する。
ここで芸術を知ってから、刑務所が文字通りの牢獄になった
そのあと、彼は模範囚として刑期短縮で出所して本を書き始めた、という解説が流れる。バッチリ決まりすぎ。
                                                 

時間も1時間ちょっとと引き締まっていて、ダレるところもない。驚くべき作品。シェイクスピア劇『ジュリアス・シーザーの映画化』としても、ドキュメンタリーとしても素晴らしい作品だった。