特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

このおとぎ話は誰のものか:『サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』


今年のゴールデンウィークはいつもより余計に人が溢れているような気がする。渋谷なんか普通に歩くのにも苦労するくらいだ。昨年の反動だろうか。ボクは本当に電気が足りないと言うのならネオンサインや民放を止めよう、という声が出ないのが不思議でならない。政府の御用放送しかやらないんだったら、民放なんか無くても困らない。だいたい電力不足なんてピークタイムだけの問題だろう。高校野球、今年だったらオリンピックの昼間の放送も止めれば、関西電力なんかグウの音もでないんじゃないか。


渋谷で映画サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』。
映画館に行くと、周りの歩道でボランティアの女の子が映画のチラシを配っている。自主制作ならではの光景だが、この映画に対する強い気持ちを感じてしまう。そういう気持ちは伝染するような気がする。
●こ〜んな感じ(公式ブログから)みひろさんトークショー&ゲリラ宣伝レポート | 映画「SR サイタマノラッパー」シリーズ公式ブログ

現在 TV東京でドラマ『クローバー』も放送されている、入江悠監督の自主制作映画、サイタマノラッパー(SR)シリーズ三作目。第一作のサイタマ、第二作の群馬に続いて、今回の舞台は栃木。

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第一作でサイタマのラップユニット『SHOGUNG』(将軍)を抜けて、一人東京へ向かったラッパー、マイティ。あるグループの下働きをしながらチャンスを探すが、理不尽にこき使われてばかりの毎日。勝てばステージデビューを約束されたMCバトルで八百長を強いられたマイティは暴行事件を起こしてしまう。東京から栃木へ逃げだしたマイティだが、ここでもまた事件に巻き込まれる。

                                     
今までのSRシリーズは笑いと涙に加えて牧歌的な雰囲気もあった。が、今回は『へヴィーな物語』(入江監督)。昨年の傑作『サウダーヂ』に感触が似ている。何でもあるが、何にもない郊外の生活。それに今回は危ない筋の人たちが絡む。ギャングスターラッパー、半分ヤクザみたいな自動車修理屋や産廃処理業者、スナックのママ。みんなマジで雰囲気が怖い。本当に顔が怖い。その怖い出演者が上映終了後、ロビーでシリーズ恒例の関係者によるお見送りをやってたのにはぎょっとした(笑)。

主人公のマイティ(奥野瑛太)はサイタマのブロッコリー農家の息子。ヒップホップをやりたくて東京へ出て行ったが、諦めて栃木の自動車修理屋や産廃業者の手先として使われる毎日。盗難車の売却、人身売買、売春、いつの間にか彼の周囲はそういう世界になっている。自業自得だが、泥濘にはまったように抜け出すことができない。

●埼玉での愛称はブロッコリーラッパー(笑)

そこに第一作の主人公、『SHOGUNG』の二人、ニートでデブ、略して引きこもりラッパーのニック(駒木根隆介)と気弱でおっぱいパブ勤務、略しておっパブラッパーのトム(水澤紳吾)が栃木に現れる。産廃業者がカネ儲けのために企画したイベントに出場しようというのだ。彼らにオーディションで知り合った日光のラップグループ、『征夷大将軍』(笑)が合流するが、どいつもこいつもバカで頭悪くて、のんきでどうしようもない。 この子達、ボクは大好きだ。
間抜けな彼らと、今や逃亡者になってしまったマイティの運命が徐々に近づいていき、やがて交錯する。
●SHOGUNGのおばか二人

省略すべきところは省略し、断片的なシーンをつなぎ合わせて、お話はどんどん進んでいく。非常にテンポが良く、見ていて快適だ。いつもながら、入江監督の話の構成はとてもうまい。
それがラストシーンでは一変、延々と長回しになる。15分以上あるだろうか?追われるマイティがライブ会場に忍び込み、逃亡するシーン、まるで真っ暗な夜の海を泳いでいるようだ。迫力がありすぎて(怖くて)正視できなかった(笑)。でも、このシーンは忘れることができない。

                                               
ボクはラップとかヒップホップって、あまり興味が無い。特に日本語ラップは『スタイルだけ物真似しました、だけど歌詞はフォークか演歌』(笑)というものが多いからだ。だけど このシリーズでは地に足が着いた日本語ラップのシーンがあって、いつも感心する。パンクロックは楽器が下手な若者たちが3コードで演奏できるロックバンドを組んだのが始まりだが、この三作目は元来のラップの本質、楽器すら買えない連中がコトバという武器で自己表現する、という本質を強く感じる。それは映画で描かれている環境、強いては今の社会の現実も、より厳しくなっているから、だろう。
                                              

いつもどおり入江監督はとことん、主人公を転落させる。あがけばあがくほど落ち込んでいく日常。救いの無い毎日。今回は時折、理不尽な暴力も加わる。何も出来ない主人公の姿は、自分の無力な姿を見せ付けられているようで辛い。イタい。だけど登場人物たちが時にはユーモラスに、時には惨めにジタバタしているのを見るうちに、観客は馬鹿でダメダメな彼ら・彼女らに感情移入してしまう。 今回のマイティは確かに感情移入しづらい主人公だけど、監督は彼にも手を差し出す。

逃げようと思えば逃げ切れた筈なのにそうはしなかったマイティに、イックとトムがステージから呼びかけるシーンでは涙が止まらなくなる。それに続く拘置所での面会シーンには、苦渋とヤケクソ、それに強固な意志が入り混じっている。登場人物たちはこの期に及んでもジタバタあがきながら、なんとか向こう岸にたどり着いてみせる

                                                 
終了後は入江監督と第一作で文字通りの名演を見せたヒロイン、みひろ嬢とのトークショー。みひろちゃん、ちっちゃくて可愛い(笑)。入江監督は次の次あたりで、第一作のヒロインのその後を描きたい、と言っていた。それは絶対見てみたい。
●入江監督(右端)とみひろちゃん(公式ブログから)

                                        
サイタマノラッパーの登場人物たち、特にSHOGUNGの二人はボクには実在の人物としか思えない。画面に出てきた瞬間から、『おお、久しぶり』と声をかけたくなる。ボクは彼らとは年齢も趣味もまったく違うが、ずっと前から現実の知り合いだったような気がする。これは他人事の話ではないのだ。こういう映画って他にあるだろうか。

   
                                                       
ボクらが暮らしている現実の毎日と同じように、サイタマノラッパーの世界にはハッピーエンドはないしかし、違う何かがある
それは『それでも物語は続いていく』、というリアルな寓話、おとぎ話だ。そのお話は若いラッパーたちのものだけではない30歳になっても50歳になっても90歳になっても『自分はまだ、終わりじゃない』と思っている人間のためのものだダメ人間による、ダメ人間のための、ダメ人間の賛歌なのだ。 この映画の撮影シーンにボランティアが何百人も集まり、ボランティアだけでなく出演者、関係者が自ら街頭に立って宣伝しているのは、多くの人が『これは自分たちの物語だ』と感じているからだと思う。もちろん、ボクもその一人だ。
                           
高橋源一郎が言っているとおり、このシリーズは永遠に続けて欲しい。いや、終わってもらっては困る。サイタマ、群馬、栃木だけでなく、ダメ人間はどこにでもいるのだから。