特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

とても、普通ではない映画:未来を写した子供たち

 銀座で『未来を写した子供たち』(Born into the Brothels)。機能訓練指導員転職エージェントランキング
 インド・コルコタの売春地帯で生まれ育った子供たちとそれを救おうとするイギリスの女性カメラマンのドキュメンタリー、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門を受賞したそうだ。
 映画に出てくるのはカメラマンが売春地帯でやっている写真教室に通っている子供たち。フィルムに写った子供たちは何と可愛く、利発なことか。皆、10歳くらいなのに、みな自分の言葉でしゃべっている。でも、この子供たちの将来はこの街にいる限り、売春をするか、麻薬の売人か、酒の密売しかない。
 ある女の子は先祖代々 売春で生計を立てている家に生まれた。このままでは数年以内に家業を継ぐことになる。親父はアヘン中毒、母親は(母親の体を買った)客に火をつけられて焼き殺された、という子供もいる。でも、その子は言う。『目を背けないで、現実を見なくちゃ』、と。こんなことを言う子供もいる。『学校に通って、この街を抜け出せたら、どんなに良いだろう』。
ところが子供たちの表情はとても明るい。写真家が持ってきたコンピューターの画面を見ている子供たちの目が文字通り、輝いている。この映画を見ている側がそれほど落ち込まずには済むのはまさに子供たちのおかげだ。
 この子供たちを見ていると『可能性』というものを考えてしまう。(先進国のボクラも含めて)もしかしたら皆で寄ってたかって、この子供たちの未来を潰しているのではないかと。でも2千年続いているカーストというもの、それにあまりにも重い売春地帯の現実を見ると、ボクは自分の基準で子供たちのことを一概に判断する自信は、ない。
 主人公のカメラマンは子供たちを助けるためのほとんど唯一の手段、寄宿制の学校に入学させるために奮闘し、何人かの子供たちを入学させることに成功する。でも、物語の結末は必ずしもハッピーエンド、ではない。子供たちにとって教育を受けるためには街を捨てるということであり、それは自分の家族、強いては(そこで育ってきた)今までの自分というものを捨てるということになるからだ。
 それでもエンドロールで写る、学校を辞めて売春街に戻ってきた子供たちと女性カメラマンが一緒に歩く姿には感動した。彼女は戻ってきた子供たちに、まるで寄り添っているかのように歩いていた。
*子供たちの後日談は女性カメラマンの子供写真教室のホームページに掲載されている。Kids with Cameras
 見終わった後 涙を乾かすために映画館の廊下を歩いていると、その子供たちが写した写真のプリントが飾られていたのに気が付いた。思わず見入ってしまったが、しばらくして大勢の人もそれに見入っているのに気が付いた。誰一人として何もしゃべらず、ただ押し黙って、写真を見ている。普通 映画を見終わったあとのロビーは感想を話している人や次の予定を相談するカップルなど、何かしら声が聞こえてくるはずだ。
 そう、この映画は普通ではないのだ。何と表現したらよいか、言葉が見つからない。一つだけ言えるのは、この「未来を写した子供たち」のような映画を見ないで、一体何を見たら良いのか?ってことだ。