特別な1日  

-Una Giornata Particolare,Parte2-

たとえ、夏が終わっても:『天安門、恋人たち』

青山で『天安門、恋人たち映画『天安門、恋人たち』公式サイト
久しぶりに衝撃を受けるような映画でした。
まるで、この映画の主人公の激情に影響されたように、この’’Beautiful And Passionate Film’’(ニューヨークタイムズのレビューSummer Palace - Movies - Review - The New York Times)に、僕は夢中になってしまいました。たった2回しかロードショーを見られなかった、と感じるような映画は何年ぶりでしょうか。日本版のDVDが発売されるのが今から待ち遠しい。

天安門、恋人たち [DVD]

天安門、恋人たち [DVD]

 主人公は中国の東北部から大学へ進学するために北京へ出てきた美しい少女。彼女は大学で一人の男と出会い、恋をする。89年当時、天安門事件の熱気の中で彼らは激しく愛し合うが、いつの間にか心が離れてしまう。彼女は大学を辞め故郷へ帰る。そして発展する中国の歩みと合わせるかのように深圳武漢重慶へと移っていく。男は自由を求めてベルリンで暮らす。だが遠く離れて別々の道を歩む二人はお互いのことを忘れられない。そして10数年後、彼女たちは、ふとしたことから再会する。
そんなお話。

 人によって賛否が分かれる映画でしょう。この作品が招聘された2006年カンヌ映画祭コンペティション部門では政治的な状況を描いた作品が2作並んだとして、ケン・ローチ監督の『麦の穂をゆらす風』と共に注目されたそうですhttp://www.afpbb.com/article/entertainment/movie/2058854/565425。日本より一足先に上映され、既にDVDも販売されているアメリカでAMAZONやN.Y.TIMESの読者投稿を見てみると、否定的な意見も挙がっています。例えば『天安門事件当時の中国に、こんな学生が居るわけね-だろ』(当時中国で教えていた教師より)とか『ヌーヴェル・ヴァーグの二番煎じ』とか『セックスシーンばっか』(笑)とか。
作者のロウ・イエ(Lou Ye)監督はこの映画で、中国当局から5年間撮影禁止の処分を受けたそうです。表向きの理由は『技術的問題』だそうだが、実際は天安門事件をストレートに描いたこと、セックス描写が激しいこと、が理由だそうです。確かに個人と政治との関わりは見事に表現されているとは思いますが、政治やセックスだけの映画ではないです。もっと普遍的なことを描いている作品です。ちなみにニューヨークタイムズのレビューの表題は''Those Chaotic College Years in Beijing''。

 主人公 ユー・ホン(余紅)を演じたハオ・レイ(Hao Lei)という女優さん天安門、恋人たち 《 スタッフ/キャスト 》がとにかく素晴らしいんです。混沌とした時代背景と重なるように、ユー・ホンは奔放で激情的、それでいて内省的で繊細、というキャラクター。ハオ・レイは文字通り、ユー・ホンに乗り移ったように演じています。
*カンヌでのハオ・レイ↓

*映画でのハオ・レイ↓

ユー・ホンは「イントゥ・ザ・ワイルド」の主人公同様、自分を許せない人間です。自分で自分を牢獄につないでいる。狂おしく男と抱き合っても、どこかで「孤独で目標もない」と感じている。だから恋人を求めていても、自分から別れを切り出してしまう。突然食卓で泣き出すかと思えば、むさぼるような情事にふける。でも 彼女の中のどこかが冷めている。心の中に土砂降りが降っている。そんな人間は一体、どうやって生きていったらいいんでしょうか?
ロウ・イエ監督はそんな彼女を印象的な映像で包み込んで、その美しさを際立たせています。例えば、北京での、彼女が恋人と歩いた暮れて行く木立、庭園の池に浮かんだ月。牧歌的で淡々とした風景ですが、逆に彼女の印象が鮮烈に焼きつけられるんです。
水のないプールで彼女がゆっくりと倒れ込むシーンはなんと表現したらいいんでしょう。独り、膝を抱えた少女の周りに雪のような塵がそっと降り積もる。時間の経過とともにプールの底に彼女は倒れ込んでいく。僕には彼女が、まるで両耳をふさいで周りの世界をすべて拒否しているようにさえ見えました。
映画の後半 彼女が武漢に移ってからの光景は不倫であったり、堕胎であったり、交通事故であったり、どちらかというとダークなものが多いです。しかし、その中でも彼女は美しさを失わない。レストルームでの情事の鮮烈さは見る側の度肝を抜きます。良いも悪いもない、そこには、自分はこういう存在である、という事実があるだけ。彼女は捨て鉢になったりはしない。言い訳もしない。ただ、生きていこうとする。つまり''These characters struggle to escape the curse of the times their loves were born in''A 'Palace' in revolt - latimes)。彼女が着ていた青いセーターの鮮やかさは、激動する世界の中でサバイバルしようとする、彼女自身を象徴しているかのようです。

 この映画の、美しい少女の激しく脆い恋はジョン・セイルズの傑作「ベイビー・イッツ・ユー」(可憐なロザンナ・アークエット!!)を思い出させます。ニューヨーク・タイムズは監督の、断片的にエピソードを挿入していく展開とヒロインを美しく撮ることへの執着を、60年代のゴダールと比較しています。むしろ僕は、ノイズのようにクラシックの旋律を挿入する演出が、80年代のゴダールに似ていると思った。でも この映画はゴダールのように見る側をクールに突き放したりしない。良い意味でセンチメンタルです。積極的に観客を抱きとめ、当惑させる。だから離れられない。彼女の燃えるような目に、うつろな表情に、いつの間にかボクは吸い込まれる。それはまるで主人公と監督、そして僕が、時間と空間を越えて何かを共有しているかのようにさえ、感じさせます。
 その理由の一つは、この映画で描かれた80年代から現在にかけての冷戦崩壊からグローバリゼーションに飲み込まれていく時代を僕も生きてきた、からでもあります。ここでは天安門事件、そのあと中国の開放路線による近代化で沿海部から内陸へ高層ビルが立ちならび、またベルリンの壁ソ連が崩壊し、香港が返還される激動の時代が描かれています。交換台を通さなければ電話が通じない時代に出会った彼女たちは、10数年後 電子メールで再会を約束する。
激しい時代の変化のなかで、確かに登場人物たちは混乱しています。でも どこか、躍動しているようにも見える。だから僕は、上映されている間、自分がフィルムに包まれ、その中で呼吸しているかのように感じるんです。彼女の激情に触れようとし、彼女と同じ空気を呼吸しようとする。同じ時間を生きようとする。過去の回想になど、興味はない。この映画はそういう種類の映画です。

 映画の原題は『頤和園(Summer Palace)』。劇中にも出てくる、かって清朝西太后が過ごした夏の離宮のこと。それは主人公たちが過ごした、『人生の夏』とも重なります。     
 どんな夏にも、必ず終わりがある。しかし、たとえ夏が終わっても、天安門の学生たちは、そしてボクも、生き続けなければならない。主人公の独白にあるように「そこに出口はなく、幻想があるだけだ」としても、です。
 「天安門、恋人たち」は見ている側に、そんな確信を与えてしまう。この映画の素晴らしさは、そこにあります。